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自民も野党も幼児教育の無償化を訴える理由 生涯にわたり続く深刻な健康格差

衆議院議員選挙で各党「幼児教育の無償化」を公約として掲げていますが・・・

10月22日に投開票される衆議院議員選挙。自民党は、消費税増税分の使い道を幼稚園や保育園費用の無償化へ転換することを掲げて解散総選挙に踏み切った。だが、幼児教育の無償化自体はこれまで野党も訴えてきた政策だ。

争点となるかどうかはともかく、幼い頃の格差対策は、高齢者も含めすべての世代の格差是正にプラスになる。これは世界各国の研究で明らかになっている。

貧しさや学歴などの社会経済的要因で健康に不平等が生じることを「健康格差」と名付け、対策を訴えてきた千葉大学予防医学センター教授の近藤克則さんに、なぜ幼児への投資が全世代に効果的なのか聞いた。

格差の影響は生涯にわたって続く

近藤さんは、全国14万人を対象とした国内最大級の高齢者調査プロジェクト「JAGES(日本老年学的評価研究)」を率い、国立長寿医療研究センターの老年学評価研究部長も務める。

「高齢者研究」の第一人者である近藤さんが、若い世代への投資を評価するのは理由がある。子供時代の貧しさや逆境体験が、教育や就職、人間関係の豊かさやストレス対処能力などに影響し、高齢期の不健康につながることを研究で明らかにしてきたからだ。

「JAGES研究でも、子供の頃に貧しいと高齢になってからの認知症リスクや、新たにうつになるリスクが、豊かだった人よりも3割高くなることがわかりました。高齢になってから歯がなくなったり、野菜や果物を食べる頻度が低くなったりということにも影響を及ぼします」

「海外でもこうした研究がたくさん行われ、お母さんのお腹の中にいる時に飢餓状態にさらされると糖尿病や心筋梗塞になりやすいことがわかっています。また、貧困家庭に育った子供は脳の容積も小さいというデータが出始めています。裕福な家庭ほど本も多く、両親の会話の語彙が豊かで知的刺激がある。学力テストの成績の2割に影響するといわれています」

困は物質的な欠乏だけでなく、社会からの排除でもある

貧困は、物質的な欠乏だけを指すのではない。温かな家族関係や、十分な教育、就職、サポートを得られる人間関係など、人の可能性を育てる様々な社会関係からの排除をもたらす社会的に不利な境遇だ。

「幼い頃から、周囲に励まされ、努力すれば上手くいく時だってあるという経験を積み重ねた子供と、努力することを褒められもせず、『お前には無理だ』などと言われ続け、達成感も経験したことのない子供がいるとしましょう。後者は『どうせ自分なんかだめだ』『自分には価値がない』と学習してしまい、無力感を持つようになります。それは生涯にわたって、その人の人生の様々な側面に影響し続けてしまうのです」

そして、教育は社会的な排除から人を救い出す可能性を持つ。ノーベル経済学賞を受賞したヘックマンは、アメリカの貧困地域で、教育を徹底的に行った子供たちと、何も介入しなかった子供たちを40年追跡する調査をした。

「例えば、10代の妊娠や、麻薬、高校中退、刑務所に入ったかどうかなどは、教育を受けた子で明らかに少ないことがわかりました。興味深いのはIQ(知能指数)には差が出ず、いわゆるEQ(心の知能指数)と呼ばれる対人関係能力や非言語的な能力に差が出たことです」

「『努力すればなんとかなる』とか『自分でもできることがある』『人の役に立つことにやりがいを感じ、踏ん張れる』という能力は、教育によって育てることができる可能性を示しています」

しかもヘックマンは、この追跡調査で、学校卒業後よりも就学期、就学期よりも就学前教育での段階の介入がもっとも効果が高いことを明らかにしている。

「そういう意味でも、今回、各政党が公約として示した就学前の幼児教育の無償化は、やりようによっては費用対効果が高い政策になる可能性があります」

海外先進国では、国際競争力を高めるために子供へ投資

こうした研究の蓄積を基に、海外先進国では10〜20年前から、貧しい子供への投資や教育支援が強化されている。イギリスでは、1998年から「シュアスタート(確かなスタート)」という就学前の子供と親に対する総合的な支援政策を進め、貧困児童の数を減らすなど効果を上げた(現在は増加)。

そして、日本はこうした世界の動きに遅れをとってきた。

「欧米では、貧しい子供たちを救うという人道的な政策というだけでなく、国際競争力や経済成長のために重要な社会投資だという認識が強まっています。もちろん子供の貧困問題や母子家庭の問題をどうするかという視点や少子化対策という側面もある。そういう様々な狙いが相まって、与党も政策の流れを変えました。ようやく日本もここにたどり着いたというのが率直な印象です」

これまで与党の動きが鈍かったのはなぜか。

「従来、票に結びつきやすい高齢者にわかりやすくアピールする公約が掲げられてきたということがあるでしょう。今回、消費税の使い方を子供への支援に方針を変えるから総選挙をやる価値があるんだという言い方は、逆に、これまではあまり子供対策に力を入れてこなかったと認めたとも言えます」

解散総選挙に打って出た与党の思惑はともかく、近藤さんは「社会保障の枠を広げ、全世代型に方向転換したのはいい方向」と評価。しかし、この政策が実際に効果を出すかどうかは不透明だ。それはなぜだろうか?

一番恩恵を得るのは誰か? 制度設計が鍵を握る

現在も低所得の世帯に対する保育所や幼稚園の減免制度はある。

「そこで一律無償化した場合、『一番恩恵を得るのはどの層なのかを検証すべきだ』、あるいは、『そこにあてる財源を待機児童ゼロや病児保育の拡充などを優先して整備すべきだ』という意見があります」

「ただ、低所得者だけに資金援助すると、中間層や富裕層がその政策を支持しないという面があるので、多面的に評価しないといけません。子育て支援のメリットを感じてお金持ちも増税を受け入れるのであれば、高負担、高子育て支援の政策に社会合意が形成されることになり、それは悪いことではありません」

ただし、消費税という財源は所得の高低に関わらず、広く薄く徴収するものだ。

「消費税だけに注目すると、低所得の人が高負担になるという逆進性は確かにあります。しかし、給付の段階で恵まれない層に手厚い給付にその財源が振り向けられれば、トータルで所得の再分配機能を持たせる制度設計は可能だと言われています」

「ただ、東大の社会科学研究所長、大沢真里さんらが指摘しているように、日本では所得の再分配後に格差が広がる『逆機能』が母子世帯などの例であります。今回の幼児教育の無償化も、もっとも支援が必要な人ほど支援が厚くなる制度として設計され、実行されるのかを見ないと安心はできません」

さらに、近藤さんは、生活に困難をきたしている人が必要としているのは教育費だけではないということを指摘する。

「例えば、シングルマザーがダブルワークをしている場合、子供が熱を出したら働けないという問題が起こります。おばあちゃんが助けてくれたら解決するかもしれませんが、シングルマザーは自身の育った家庭も不安定であったりして、親に虐待を受けながら育っていた場合などは頼れない」

「恵まれない層は教育費だけでなく、経済面以外にも困難を抱えていることが多く、社会的サービスでトータルに支えられないと恩恵を受けられない人もいます。『教育費を無料化したんだから、あとは自己責任』だという言い方をされると、その人たちは救われません」

あらゆる視点からの格差解消策を

健康のために野菜や果物を食べた方がいいということはよく知られている。近藤さんらは、最近、子供の頃の貧しさが、高齢期に野菜や果物を食べているかにどう影響しているかをJAGESに登録する約2万人の調査で明らかにした。

この調査で面白いのは、学校給食が高齢期の食習慣にどのように影響したかも分析していることだ。

その結果、77歳以上の学校給食がなかった年齢層では、子供の頃に貧しいと、高齢期に野菜や果物を一日に1回も食べない割合が増えた。

ところが学校給食が十分普及した70歳未満では、子供の頃の経済状況で、高齢期の野菜摂取に差が見られないことがわかった。

「つまり、学校給食という公の制度が、食習慣の格差の解消につながったと考えられるということなんです。食育という言葉があるように、食習慣は子供の頃に形作られると言われています。子供は家庭環境の影響をもろに受けますが、学校環境でカバーすればその格差を緩和できる可能性が確認されたのです」

さらに、教育年数が長いほど、この格差は解消される。

「子供は素直に吸収するので、教育はすごく大事なんです。学校で『手を洗いましょう』と指導されれば習慣として身につきますし、喫煙が体に悪いと学べば、家でも『パパ、たばこ吸っちゃいけないんだよ』と言ったりする。受動喫煙だって減るかもしれない」

生涯の影響だけでなく、今いる全世代にもメリットが

ここまで、幼児期の恵まれない境遇が生涯にわたって影響することを見てきたが、幼児期の格差是正は、同時代に生きる上の世代にもプラスがある。

OECD(経済協力開発機構)の報告によると、1985〜2005年の経済格差の拡大は、1990〜2010年の経済成長率を減少させたとしている。理由の一つとして挙げられているのは、経済格差が拡大すると、貧困層ほど教育への投資が減って、潜在的な能力の開発が妨げられるからだそうだ。

「教育への投資で格差を解消するのは、経済競争力を上げることでもあります。例えば、成功した経営者の松下幸之助は丁稚奉公に出されるほど貧しかったわけで、貧しい人の中にも優れた潜在能力のある人が当然いる。親の経済力で進学できるかどうかが決まるという社会は、きちんと栄養を与えたら花開くかもしれない能力を見捨てることになります」

「格差是正は、社会正義だけの問題だけではなく、社会全体の能力の底上げになる。高等教育まで行かずとも、コンピューターを使える人が増えるなら、社会の効率は上がります」

さらに、若い世代の格差解消は、治安の安定にもつながる。アメリカの調査では所得格差が大きい州ほど殺人発生率が増えたというデータがある。

「貧富の差が拡大すれば、貧困層の不満が募り、犯罪が増えたり、暴動やテロが増えたりすることが、先進国でも見られることはわかると思います」

さらに、教育への投資は、現在日本の大きな課題の一つともなっている少子化対策にもなり得ると近藤さんは指摘する。

「独身者急増の背景には不安定雇用があると言われていますが、教育が受けられれば就職にも有利になって働けるようになり、より多くの人が結婚して子供を持つことのできる程度の将来展望を抱けるようになります。税金を納める力を高めることにもなって、社会保障制度の安定にもつながります」

近藤さんは言う。

「今、とても苦しい思いをしている人は目の前の生活に追われて、自ら支援を求める声を上げることは難しいかもしれません。でも、誰かが代弁してあるべき支援がなされる社会を作ることはできます。そして、それは恵まれない人のためだけじゃなく、同じ社会に生きる自分にも返ってきます。どのような社会を選ぶのか、選挙もその意志を示す一つの方法。じっくり考えて投票してほしいと思います」


【近藤克則(こんどう・かつのり)】千葉大学予防医学センター教授、国立長寿医療研究センター老年学評価研究部長

1983年、千葉大学医学部卒業。船橋二和病院リハビリテーション科科長、日本福祉大、イギリス・ケント大学カンタベリー校客員研究員を経て、2003年、日本福祉大教授。2014年に千葉大に移り、同大予防医学センター社会予防医学研究部門教授に。現在、国立長寿医療研究センター 老年学・社会科学研究センター 老年学評価研究部長、日本福祉大客員教授も併任。日本老年学的評価研究(JAGES)プロジェクト代表。

『健康格差社会ー何が心と健康を蝕むのか』(医学書院)、『医療・福祉マネジメントー福祉社会開発に向けて』(ミネルヴァ書房)、『健康格差社会への処方箋』(医学書院)など著書多数。