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食べる喜びをどんな子供にも 障害がある娘が教えてくれた大切なこと

「食べることを楽しみたいのはみんな一緒」

おやつの時間、子供たちは今か今かと食卓で待ち構えていた。

ここは、東京都日野市のマンションの一室で営まれている「こどもでいさーびすにじいろ」。障害のある未就学児が療育のために通う保育園だ。"園長先生"の管理栄養士、大高美和さん(35)が毎日、だれもが食べやすいおやつを手作りしている。

「さあ、みんな盛り付けるのお手伝いしてね。この牛乳パックには熱々のケーキが入ってますよー」

この日のメニューは「ふわふわケーキのパフェ」。

大高さんが牛乳パックの型に入れ電子レンジで作ったスポンジをちぎってカップに入れると、子供たちが手分けして生クリームやメープルシロップ、イチゴジャムを盛り付ける。

食べる時に手元で少し混ぜると、自然とペースト状になってかむ力、飲み込む力が弱い子も楽しめるケーキだ。大高さんが管理栄養士の論文を読んで電子レンジを使って4分で作れるようレシピに改良を加え、盛り付ける方法も工夫した。

「ふわふわだ」と笑顔になる子、何回もお代わりをする子。みんなで同じおやつを食べるうちに、普段は介助が必要な子も友達につられて自分でスプーンを握ることもある。

「みんなで美味しく食べることって楽しいねって子供たちが教えてくれる。自分の娘が小さい時は、どうしたら食べてもらえるだろうと料理が苦痛で追い詰められていましたから、楽しみまで辿りつけなかった。娘に対する後悔と罪悪感が今の仕事につながっています」

大高さんは、障害児のママ友やデイサービスを運営する会社と一緒に食の楽しみを大切にする「にじいろ」を昨年6月に設立し、障害児向けの調理の工夫を伝える講座を開き続けている。染色体異常のある長女、芽彩(めい)ちゃん(7)が導いてくれた道だ。

妊婦健診でわかった長女の障害 家に引きこもる生活に


病院の管理栄養士だった大高さんが、初めての子を出産したのは28歳の時。定期健診ではずっと「少し小さいですが順調ですね」と言われ、出産後の幸福な生活を思い描いて穏やかな妊婦生活を過ごしていた。

それが暗転したのが臨月に入った時。岐阜県の里帰り先の産院で推定体重が1400gと、この時期にしては小さ過ぎることを指摘された。県立病院で検査を受けたところ、羊水がなく脳に異常があることがわかった。

「『生まれてから検査をしてみないとわかりませんが、障害があるかもしれません』と医師に言われて、目の前が真っ暗になりました」


妊娠38週になり帝王切開で1836gの長女を出産。「障害があってもたくさんの幸せの芽が彩りよく成長するように」と願いを込めて、「芽彩(めい)」と名付けた。

NICU(新生児集中治療室)に1ヶ月入院した後に退院した。家に帰ると、ただでさえ大変な初めての子育てに、障害があるかもしれないという不安が重なり、母子でほぼ引きこもり状態となった。

母乳は飲んでくれたが、1歳を過ぎても歩く気配はなく、言葉も出てこなかった。月日が経つにつれ、母子手帳にある成長記録のチェック欄の「いいえ」に丸をつけることが増え、辛さが増した。


「誰にも相談できず、不安な気持ちを分かち合えるママ友もいない。障害があることを知られたくなくて、公園にも児童館にも行けませんでした。何より、娘が友達と当たり前に遊べないということが悲しかったです」

さらに辛かったのが離乳食だった。ペースト状にしたり、柔らかく煮たり、いろいろ工夫しても次の段階に進めない。仕事では専門家としてお年寄りのために食べやすい調理をしてきたのに、一番栄養を取ってもらいたい我が子に何を食べさせたらいいのか、全くわからなかった。

運良く保育園が見つかり、娘が1歳半になった時、仕事に復帰した。保育園の給食は全てミキサー食にしてもらった。

「今振り返ると、復職は娘から逃げたい一心でした。思い通りに離乳食が進まない娘と1日中向き合っているのがしんどくて、もう頑張ることができなかった」

復職する時、忘れられない出来事があった。「働き続けたい」と話していた重度の障害児がいるキャリアウーマンのママ友がどこの保育園にも断られ、辞めざるを得なかったのだ。

働く母親は増えているが、重度心身障害があったり、胃ろうや人工呼吸器など医療的ケアが必要だったりする子供を受け入れる一般の保育園はまだ少ない。障害児を療育のために預かる通所施設も不足し、預かる時間も短いことが多い。

「彼女は『あなたは頑張ってね』と励ましてくれたのですが、理不尽だと思いました。我が子に障害があると働けない、面倒は全て親がみなくてはならない、障害があると母親と離れて子供がのびのび遊べる居場所がない。こんな社会はおかしいと思いました」


なければ自分たちで作ればいい! ママ友たちと障害児向け保育園設立


芽彩ちゃんはすくすく成長したが、相変わらず全ての身の回りの世話が必要で、食事もマッシュ状のものや柔らかいものを食べるのが精一杯だった。

3歳になった頃、15番染色体に異常があると判明し、甲状腺機能低下症やてんかんも発症した。保育園でもみんなと遊べず、ポツンと孤立している姿を見るのが辛かった。

5歳になる直前の2年前の秋、地元の障害児サークルのママ友、戸田真以子さんに、「一緒に障害のある子が誰でも通える居場所を作らない?」と声をかけられた。大高さんは家族に相談もせず、その場で「やる!」と即決した。

当時、障害児を集団生活の中で療育する児童発達支援事業としての通所施設は日野市にあった。しかし、発達障害がある子供が中心で、重度心身障害がある子供はほとんどいなかった。どんな障害があっても子供らしく友達と過ごせる居場所----。大高さんもずっと抱いていた夢だった。

戸田さんは大高さんを誘った理由を「上手にご飯が食べさせられなくて悩むママが多いので、栄養管理や食育を大事にする施設にしたかった。管理栄養士で障害児のママでもある大高さんは適任だと思いました」と話す。

大高さんは、半年後には勤めていた病院を辞め、施設管理者になることも引き受けた。そして昨年6月、児童発達支援事業の「こどもでいさーびすにじいろ」をオープンした。

スタッフ14人のうち、半分は障害がある子供の母親。管理栄養士の大高さんと理学療法士が常駐し、看護師もいて、それぞれの障害に合わせた食事や運動、遊びなどの活動支援をする。現在、25人の様々な障害を持つ子供を自宅まで送迎付きで午前10時から午後3時まで預かっている。

給食設備がないので、昼食は保護者が持参したお弁当を食べてもらうことにした。それぞれの障害に合わせて、飲み込みやすい姿勢が保てる椅子を調整したり、大高さんが一手間かけて食べやすいように工夫したりする。

記者が取材した日には、食べ物を丸呑みしがちな湊介くん(3)はお弁当のきんぴらごぼうをやはり丸呑みしていた。大高さんはその様子を見て、ハンドミルで細かくし、ご飯と混ぜて口の中で噛みやすく、飲み込みやすいようにして食べさせた。

哺乳瓶で液体の栄養剤を中心に飲む心奏(かなで)くん(4)には、母親がペースト状にして持たせたご飯や肉じゃがのお弁当を、飲み込みやすいように口の周りをマッサージしながら食べさせる。

「食べる力が弱い子は大きくなったら胃ろうになる可能性もあるので、少しでも口から食べられるように訓練しておきたい。入園した時はペースト食だったお子さんが徐々に形のあるやわらかいものが食べられるようになると嬉しいです」と大高さんは言う。

毎日近所の公園などで外遊びをし、毎週1回は遠出をして、自然がいっぱいある大きな公園や児童館にみんなで行く。子供を自然の中で遊ばせる活動をしているNPO法人の協力を得ながら、地域の子供と一緒に遊ぶ。この日は、公園で降り積もった落ち葉を放り投げたり、ハンモックに揺られたりした。


「療育センターなどでは訓練や指導が中心となりますが、本来、どんな子供も遊びながら育つはずです。障害のある我が子を公園や児童館に連れて行くのはまだ勇気のいるお母さんもいるので、私たちはそんな場所にみんなで行って遊ぶということを大切にしています」

みんな食事に悩んでた 障害児向けのクッキングセミナーをスタート


障害児は食べる機能に困難を抱えることが多いため、親たちは数ヶ月に一度、病院の摂食指導の外来に通うことが多い。普段食べさせている料理を持参して医療者の前で食べさせ、評価や指導を受けるというものだ。

「だけど、障害児のママが知りたいのは、今すぐに作ることのできるレシピなんです。これがダメなら、具体的にどうやって作ればいいのかを知りたい。でも、そんな情報は誰も教えてくれず自分で試行錯誤するしかありませんでした」

病院や療育施設で出会うママ友たちも同じ悩みを抱えていた。そして、大高さんが管理栄養士であることを知ると、「貧血の時はどういうものを食べさせたらいい?」「ペースト食を食べやすくするには?」とちょくちょく相談を持ちかけられるようになった。

「こうしたらいいよと自分がやっている工夫を教えているうちに、私は娘に何もできていないと思っていたのが、自分なりにやってきたのだなと気づかされました。少しでも役に立てるなら、今悩んでいるママたちに私の工夫を伝えたいと思うようになりました」

「にじいろ」の設立に取り組み始めた2015年11月、障害児向けのクッキングセミナーを初めて、地元のママ向けに開いた。メニューは、「子供にペースト状にしたドロドロのケーキを出すのが悲しい」と言うママ友のために、形は保っているのに手元で潰せばペースト状になるクリスマスケーキだった。

「病院だとゲル化剤を使うのですが、市販のプッチンプリンも同じ成分が入っているので、それを混ぜて形を作るケーキでした。ケーキの形を目でも楽しみながら、家族みんなで同じケーキを食べられる。すごく感動してもらいました」



お正月直前の2回目は飲み込みが難しい子でも食べられるおもちの作り方を教えた。粘りが出ると喉に詰まるので、でんぷん質を分解する酵素を加えて食べやすくする。高齢者向けに病院で普段使っていた技術だった。

「障害児を育てていると、栄養を十分取らせることに必死で、食事の見た目やイベントを楽しむことまで手が回らない。でも一生栄養や訓練のために食事をするのは悲し過ぎます。ハレの日の料理だって楽しめるんだよと伝えて、子供もママもときめかせてあげたかった」

口コミで評判は広がり、様々な団体に呼ばれて料理教室を開くようになった。昨年からは東京・御茶ノ水で毎月、摂食嚥下障害のある子供のためのワークショックも開く。

また、通っていた摂食外来の歯科医師らから、「大高さんの作るメニューは工夫があってさすがだね」と依頼され、昨年10月に出版された『上手に食べるために3 摂食機能にあわせた食事と栄養のヒント』(医歯薬出版)にレシピも提供した。


頑張りすぎちゃダメ 障害児の親だからこそ伝えられるメッセージ


今月9日には、東京・稲城市の障害児のママサークル「芽ぐむの会」に呼ばれ、「摂食嚥下障害のある子供のための食事セミナー」を開催した。メニューは、冒頭で紹介したケーキのパフェや、炊飯器でうどんを柔らかく煮る方法だ。

大高さん自身、芽彩ちゃんの3つ下に長男が生まれ、仕事もしながら、娘の分と他の家族の分を別々に作るのは大変だと思い知っている。

短い時間で手間なく、どこにでもある材料で作る方法を実演しながら教え、最後に質問を受け付けながら講演した。

機能が衰えていく高齢者とは違い、障害があっても子供は成長するため、食べる機能の発達を促す工夫や、食べやすくするための姿勢を整えることなどの必要性を訴えた。

大高さんは、「食べることを楽しみたいというのはみんな一緒なんです」と始め、参加したママ10人にこう語りかけた。

「みんな周りから『子供のため、子供のため』って言われ続けていると思いますが、『私にも私の人生あるわ!』って思いますよね?誰がなんと言おうが頑張っちゃダメなんです。子供だって、ママだって、パパだって、家族全員が幸せになって初めて、子供は幸せになれる。私のようにズボラな主婦でもできる裏技術で楽をして、ママと子供が笑顔になれる食事作りを心がけましょうね」

大きくうなずきながら聞いていた芽ぐむ会のメンバーで、湊介君を「にじいろ」に預ける長坂直子さんは、「食の専門家でありながら、障害児の母親でもある大高さんは私たちの目線に立ってこういう工夫を教えてくれるので救われるし、元気が出る。これなら自分でもできそうと思えるのがありがたいです」と話した。

夢は赤ちゃんからお年寄りまで、障害があってもなくても集えるカフェ作り


大高さんは言葉を話さない芽彩ちゃんと毎日過ごして、「この子に意思はないのかな」と思うことがあった。でも、家族で出かけた旅先で、アイスを食べさせるとしかめ面になった娘を見て、ハッとした。

「冷たいわよ!私にも気持ちがあるわよ!って娘が教えてくれたと思いました。親には一緒に食事を楽しんでほしいという愛情がありますが、子供には子供の意思があるし、上手に食べる条件は子供たち自身が教えてくれます。子供がやりたいこと、親がやってあげたいことをすり合わせるために、環境を整えるのが私の伝えたい食支援なのだとわかってきました」


にじいろも2年目になり、運営も大変なことが多いが、大高さんらはさらに大きな夢を抱いている。今では支援学校1年生になった娘やにじいろに通う子供たちが、大きくなった時に集える居場所作りだ。

「離乳食も出すし、障害者もお年寄りもみんなが食事を楽しめるカフェのようなものを作りたい。お母さんたちもそこでお茶をして語り合え、どんなに障害が重くても働ける就業の場にもなったらいいなと願っています」

【大高 美和(おおたか・みわ)】 管理栄養士、児童発達支援事業「こどもでいさーびすにじいろ」施設管理者

2005年3月、女子栄養大学卒業。2005〜2016年、病院で管理栄養士として勤務。2016年3月、こどもでいさーびすにじいろの施設管理者に就任した。「ママと子供が笑顔になれる食事作り」をモットーに食支援活動を続け、毎月1回、東京・御茶ノ水カムリエで障害児向け食のワークショップ開催中。

※この記事は、Yahoo! JAPAN限定先行配信記事です。