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結局のところ、日本でものごとを決めているのは「空気」? HPVワクチン接種を勧めるメッセージが届かなかったわけ

HPVワクチンの積極的勧奨を差し控えた頃の新聞記事を見ると、被害を訴える側は「顔が見え」、推進側は匿名化されています。そして医学界は沈黙しました。安全性や有効性を訴えるメッセージが届かなかった理由を考えます。

2013年3月の報道を節目に、「HPVワクチンは危険だ」という方向に一気に傾いていったメディア。

それはなぜなのだろうか? また、その時、専門家たちは何をしていたのだろうか?

前編に引き続き、積極的勧奨が差し控えられるまでの3大全国紙(読売新聞、朝日新聞、毎日新聞)の記事を分析した医療人類学者、磯野真穂さんに取材した。

被害者側は「顔の見える発信」、推進側は「匿名の発信」

HPVワクチンについて、2013年3月に朝日、読売が行政による副反応認定の記事を書き、その後、朝日が第一社会面で被害者連絡会が接種中止を求めて嘆願書を出した記事を大きな扱いで書いた。そこから、それまで慎重な書き方を貫いていた毎日も「HPVワクチンは危険」という報道に追随する。

新聞社で長く働いた記者(岩永)の経験でも、新聞社は他社の動向をかなり気にして記事を書く。他社の紙面に大きく扱った記事が出ると、上司に「うちはどうなっているんだ?」と圧力をかけられ、似たトーンの「追いかけ記事」を出すのは日常茶飯事だった。

そんな横にらみの報道姿勢が招いたことなのだろうか。

「それまでの新聞報道は、副反応報道には慎重で、接種希望者数に対して在庫数が足りないことを批判するような記事もありました。ところが2013年3月以降、報道は突然逆方向に傾きます。なぜこんなに一変してしまうのか。分析では、そのような空気の立ち上がり方に目を向けました」と磯野さんは言う。

2013年3月25日には被害者連絡会が設立された。

「被害者連絡会など、被害を訴える人々が記事に掲載されるとき、そこには明確な特徴が見られました。かれらの顔や氏名が記事に掲載されることです。たとえ実名が出されていなくとも、年齢、居住地、個別の詳しい症状が掲載されます。新聞は論文ではありませんから、顔の見える個別のストーリーは読者に訴える影響が強くなります」

2年が経過した今も、毎日、10秒から数時間にわたり、体中がトンカチで殴られたような痛みが続く。これまで、約20種類の痛み止めを服用したがどれも効かず、足の関節がふくれあがり、学校を休むことも多い。出席率は3割程度で、登校できたとしても、保健室にいる時間が長いという。

「ワクチン接種を勧めなければ、娘は副反応に苦しまずに済んだのに」。多摩地区在住の主婦(44)は、私立高校1年の長女(15)が痛みに苦しむ姿を見る度に、自責の念に駆られる。

(2013年6月2日読売新聞より)

このように「顔の見える形での掲載」を、磯野さんらは「アイデンティファイド・レパートリー(identified repertory 個人が特定されるレパートリー)」と名づけた。

対照的なのが、厚労省の役人や副反応検討部会の有識者の報道だ。「厚労省幹部」とか「有識者検討会の委員」などと書かれ、顔や氏名、個人としての訴えは書かれない。対象記事を分析すると、53回の登場のうち、49回(91%)が匿名化されていた。

「ワクチンを推進する側はずっと匿名化されたまま記事化されるので、当然メッセージとしては届きにくくなります。それが新聞社の意向なのか、発言掲載を許可したご本人たちの意向なのかは不明ですが、こちらを私たちは、アノニマス・レパートリー(anonymous repertory  匿名のレパートリー)と名づけました」

「『ワクチンの安全性は確認されているが接種を積極的には勧めない』という元から曖昧な厚労省や検討会の委員のメッセージは、匿名化されることで、よりわかりづらく印象にも残りづらかったのです」

「副反応検討部会座長の桃井真里子氏(当時)は氏名が掲載された数少ないうちの1人です。しかし、そのメッセージは、『ワクチン自体の安全性に大きな問題があるということではない。調査し、より安心な情報を出したい』という、よくわからないものでした。他方、『接種を継続してもいいのでは?』と発言した委員の実名は明かされていません」

沈黙で報道を追認? 鈍い医学会からの反応

では積極的勧奨差し控えの前後、医学会は何をしていたのだろうか?

研究グループが対象としたのは、2013年4月3日に「子宮頸がん予防ワクチン(HPV ワクチン)適正接種の促進に関する考え方」というタイトルで積極的勧奨に賛成した6医学会、2団体だ。

  • 子宮頸がん征圧をめざす専門家会議
  • 日本対がん協会
  • 日本産科婦人科学会
  • 日本産婦人科医会
  • 日本婦人科腫瘍学会
  • 日本小児科学会
  • 日本小児科医会
  • NPO法人VPDを知って、子どもを守ろうの会


副反応騒動が起きていた分析対象期間中に、これらの団体が公的に意見を表明しているか、2022年現在公式ウェブサイトに残っている範囲で調べた。

積極的勧奨が差し控えられる前に、副反応に関する報道への声明を出しているのは「NPO法人VPDを知って、子どもを守ろうの会」(3月13日)「日本産婦人科医会」(4月9日)のみだ。どちらも「副反応は重大な検討事項にはあたらない」との見解を示していた。

しかし、副反応報道がさらにヒートアップしていた4月中旬から積極的勧奨停止の6月14日まで、関連学会が公式声明を出した記録はない。

同年5月22日に「子宮頸がん制圧を目指す専門家会議」が、ワクチンに関するセミナーを開催し、その報告書の中に、「毎日 10 人の方が子宮頸がんで亡くなっていることを考えますと、厚生労働省の副反応検討部会における HPV ワクチンの定期接種を継続するという判断はやはり正しかったと考えます」という、当時の日本医学会会長である高久史麿氏の言葉はある。

「でもこれは公式声明とは言い難く、また報告書の中の一文であるため影響力は弱いです。実は初め私たちは、医学会は声明を出しているのに、新聞社がそれを無視したのではないかと疑っていました。ところが実際調べてみると、そうではないことがわかってきたのです」

積極的勧奨が停止された直後は、先の8団体のうち、4団体が声明を出している。

安全性が確認されるまでの間、強い推奨を一時中止するという勧告は妥当と考えています。今後、厚生労働省の予防接種に関する合同部会をはじめとする専門家により、ワクチン接種の安全性が科学的にかつ速やかに確認されることを期待します」(日本産科婦人科学会、2013年6月22日

子宮頸がん予防ワクチンに関する正確な副反応情報の積極的な収集・検討により、安全性が科学的に評価され、紛れ込み事故を含む憶測情報が排除されて、安心して予防接種が実施されることを希望します。国はできるだけ早く結論を出し、適切な対応をとっていただきたいと思います」(子宮頸がん征圧をめざす専門家会議)

合同会議での議論やそれを受けた厚労省の対応を深く受け止め、この研究班の活動ならびに今後の厚労省の検討・判断等を注視しながら、がん征圧活動を進めていきます」(日本対がん協会)

今回の決定によって保護者の方々に混乱や不安を招くことを懸念し、保護者への判断材料(『保護者の保護者の皆さまへ 子宮頸がん予防ワクチンの接種について』)の提示や最新情報の提供に努めてまいります。それらの情報を元に保護者が”現時点で接種すべきか”を充分考え、判断していただければ幸いです。また、医療者としては、保護者の判断を尊重して接種希望者にはこれまでどおり接種を続けていくことを啓発いたします」(「NPO法人VPDを知って、子どもを守ろうの会」2013年6月29日

いずれも接種を進めたい姿勢を示しつつ、厚労省の対応を認め、批判はしていない。このうち、新聞記事として取り上げられたのは、日本産科婦人科学会の声明だけだ。

「4団体のうち、産科婦人科学会の声明を記事に掲載したのは妥当でしょう。『学会』と名のつく団体ですから。『偏向報道をしたメディアが悪い』と言うのは簡単ですが、一気に危険性を訴える方向に流れた新聞報道に対して、適切な言葉の使い方を呼びかけるなど、もう少し抑制をかけることはできたのではないでしょうか?」

なお、日本産婦人科医会も2013年6月24日に積極的勧奨の差し控えについて触れた文書を出しているが、厚労省の通知の要約と対処方法を示しているだけで、この差し控えに対する意見は書いていない。

「HPVワクチンの危険性を訴える報道が増える状況において、専門家団体は沈黙することで、結果追認する状況となってしまった。加えて、推進側のメッセージが匿名化されることで、メッセージは読者に届きにくくなった」

「当時は何が起こっているのかよくわからなかったわけですから、はっきりとしたメッセージは出しにくかったでしょう。とはいえ、沈黙以外にできることはあったのでは、と思うのです」

なお、磯野さんらの研究はテレビ報道を対象にはしていないが、筆者の取材では2013年4月以降、けいれんする女の子の姿などを繰り返し報じて不安を煽ったのはむしろテレビ報道の方だと母親たちからは聞いている。

磯野さんは「テレビ番組の動画をまとまった形でデータとして入手することが困難なので、そこは研究の限界です。ただ、新聞とテレビ報道は連動する必要はありません。それを踏まえると、三大紙の詳細を質的に分析した意義はあると考えています」と話している。

不安を煽る報道と場当たり的な対応 繰り返されるパターン

HPVワクチンについてやはりメディアの「副反応報道」によって接種率が激減したアイルランドデンマークなどは、医療行政が積極的に勧める態度を変えず、国を挙げた接種勧奨キャンペーンを繰り広げてすぐに接種率を回復している。

一方、日本はHPVワクチンに限らないワクチンへのためらい、東日本大震災の原発事故による放射能不安の対応などで不安を煽る報道や、行政の場当たり的な対応が繰り返されてきた。

研究結果から離れて、磯野さんからはこの日本独自の問題についてはどう見えるのか、追加で聞いてみた。

「HPVワクチンに限らず、同じく積極的勧奨が差し控えられた日本脳炎ワクチン、さらには当時狂牛病と呼ばれ、日本中が大混乱になったBSEの問題も調べて気づいたのですが、日本は医療をめぐる混乱についてほぼ同じパターンを取ります」

「それは、国民の不安が高まると、それをとりあえず鎮めるための対応をとり、一時的な対応策といいながら、それを恒久的に続けてしまうことです。そしてその対応は、とても科学的とは言い難いものです」

「例えば国は2005年に、日本脳炎のワクチンの積極的勧奨を差し控えました。その理由は、重症のADEM(急性散在性脳脊髄炎)と日本脳炎ワクチンの因果関係が疑われたからなのですが、この時地方自治体に出されたメッセージはこのようなものでした」

厳格な科学的な証明に基づくものではないが、日本脳炎ワクチンの使用と重症のADEMとの因果関係を事実上認めるものである。

ついては、マウス脳による製法の日本脳炎ワクチンの使用と重症のADEMとの因果関係を肯定する論拠があると判断されたことから、現時点ではより慎重を期するため、定期の予防接種においては、現行の日本脳炎ワクチン接種の積極的な勧奨をしないこととされたい。(厚生労働省「定期の予防接種における日本脳炎ワクチン接種の積極的勧奨の差し控えについて
(勧告)」2005年5月30日 )

「厳格な科学的証明はないが因果関係を事実上認める」とは、よくわからない文章ですが、日本小児科学会は、この声明について、このように解説しています」

厚生労働省の今回の「国による日本脳炎ワクチン接種の積極的勧奨の差し控えについて」は、新たな科学的根拠が判明したわけではありませんが、理論的リスクとしての疑いが払拭されない中で重症例が出現したということで、より慎重を期するという行政判断から、次世代の日本脳炎ワクチン(ベロ細胞由来:マウス脳由来による神経アレルギーの発現があるかもしれないという理論的リスクは回避される)に切り替えられるまでの間、一時的な措置として積極的な勧奨(ほとんどすべての子供に接種を呼びかける)を控えたものと説明されています。(日本小児科学会「国による日本脳炎ワクチン接種の積極的勧奨の差し控えについて―日本小児科学会コメント」2005年6月27日より)

「この時の積極的勧奨差し控えは、新しいワクチンがもうすぐ開発されることを見込んでのものでしたが、開発がずれ込んだ結果、差し控えは継続されました。結果、『お勧めはしないが、打ちたい人は無償でどうぞ』という、積極的勧奨差し控えという極めて曖昧な対応は、2010年3月まで継続されたのです」

「その間、ワクチン未接種の日本脳炎の患者が出始め、厚労省は長袖着用を呼びかけるといった、なんだか本末転倒な対応を取ります。加えて不思議なのは、積極的勧奨再開直後に2人の死亡者が出た時の対応です。1人は接種後わずか2時間半後の死亡でしたが、厚労省は『因果関係は考えにくい』とこの時は止めませんでした。これを踏まえると、慎重を期すとした初めの差し控えはなんだったのかと思わざるを得ません」

結局のところ決め手は空気?

このようなパターンについて、磯野さんは社会の空気でものごとを判断する傾向が影響しているのではないかと考える。

「内部の会話を聞いたわけではないのでよくわからないのですが、一連の出来事を見ると、『今は進めても大丈夫そう』とか、『今は止めたほうが良さそう』という空気が決定を左右しているように見えます。HPVワクチンも2018年には名古屋スタディ(※)があったのに、その結果は判断に影響を与えませんでした。ここからも、科学的な根拠が国の決定にさしたる影響を与えないことが見て取れます」

接種した女子と接種しない女子で症状の出方に変わりがないことを示し、訴えられている症状はHPVワクチンのせいではないと結論づけた名古屋市3万人の女子を分析した調査。日本でHPVワクチンの安全性を証明した代表的な研究。

「先の新聞報道分析からも、メディア、国、医学会それぞれに、どうやったら批判をされないか、という読みがあり、それが差し控えの空気を醸成していったことが読み取れます。一時的と言われた、根拠のよくわからない対応が恒久化するパターンはワクチンに限りません。2001年のBSE問題の際も、科学的には意味がないと言われる全頭検査が2001年から2013年まで続けられました」

だから逆に、もし今後似たような問題が起きて状況を変えたいなら、この日本特有のパターンを踏まえた上でアプローチを考えるべきだと磯野さんは言う。

「このパターンを踏まえると、科学的知識の普及に努めれば、状況は改善されるとは思えません。決定に関わる専門家が科学的根拠に基づいた判断をしているとは言い難い状況で、国民にそれを求めるのは奇妙でしょう」

「日本人はワクチンを信頼していない、といった問題提起もたまにありますが、そういうわけでもないと思います。なぜなら新型コロナウイルスのワクチンについては、強制されたわけでもないのに高い接種率を誇るからです」

「決め手が『空気』であることをまず認め、『空気』を一概に悪いことと断罪せず、『空気』をどう使うかを議論の俎上に載せるべきではないでしょうか。額面上『空気』では決まっていないことにする『空気』が、同じパターンを引き起こしているのではないかと思います」

(終わり)

【磯野真穂(いその・まほ)】医療人類学者

オフィシャルサイト / Blog)

人類学者。専門は文化人類学・医療人類学。博士(文学)。

早稲田大学文化構想学部助教、国際医療福祉大学大学院准教授を経て2020年より独立。身体と社会の繋がりを考えるメディア「からだのシューレ」にてワークショップ、読書会、新しい学びの可能性を探るメディア「FILTR」にて人類学のオンライン講座を開講。

著書に『他者と生きるーリスク・病い・死をめぐる人類学』(集英社新書)、『なぜふつうに食べられないのか――拒食と過食の文化人類学』(春秋社)、『医療者が語る答えなき世界――「いのちの守り人」の人類学』(ちくま新書)、『ダイエット幻想――やせること、愛されること』(ちくまプリマ―新書)、宮野真生子との共著に『急に具合が悪くなる』(晶文社)などがある。