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世界で広がる新しいHIV感染予防策「PrEP(プレップ)」日本でも議論へ

欧米で広がりつつありますが、日本はまだ議論の入り口にも立っていません。

かつて「死の病」と恐れられたHIV(※)感染症は、治療薬の進歩で、ウイルスを体から排除できなくても、薬を飲み続ければ寿命を全うできる病となった。

だが、2016年の新規感染者数は1448人(エイズ発症者も含む。厚生労働省エイズ動向委員会)と横ばいが続く。「エイズパニック」の時代よりも警戒心が薄れていることもあり、最近の新規感染者は20~30代で多い。

性感染が9割を占め、多くが同性間の性行為によってうつるこの感染症の効果的な予防策はコンドームの使用だ。だが近年、欧米を中心に予防的に薬を飲む「PrEP(プレップ)(Pre-exposure prophylaxis、暴露前予防投与)」という新しい予防法が広がりつつある。

日本ではまだほとんど議論にもなっていないこの予防法。現状と課題を探った。

※ヒト免疫不全ウイルス(エイズウイルス)。ウイルスが体内で増殖して免疫力が落ちることで発症する病気のうち、ニューモシスチス肺炎やカポジ肉腫など23の病気を発症した状態をエイズ発症という。

高い効果、積み重なる科学的根拠

「PrEP」として現在、効果が証明されているのは、抗ウイルス薬の一つである「ツルバダ配合錠(テノホビル・エムトリシタビン)」を原則、1日1錠、飲み続ける方法だ。

ウイルスの増殖を防ぐ2種類の成分を配合したこの薬の濃度をあらかじめ体内で高めておくことで、万が一、体内にHIVが入り込んでもウイルスが増殖しない環境を作る。

感染前に投与するという意味では、「PEP、Post exposure Prophylaxis(暴露後予防投与)」という方法が、国内でも既に行われている。

これは、例えばHIV感染症やエイズ患者に接する医療者や介護者らが、注射の針刺し事故などで誤ってウイルスを含む血液や体液が体内に入った時に、72時間以内に飲めば感染を防げるというものだ。

これに対し、PrEPは、HIV陰性で、不特定多数とコンドームなしのセックスをする人や、治療をしていないHIV感染者のパートナーがいる人、静脈注射の使い回しで薬物を使用する人など、潜在的に感染リスクの高い人が対象になる。

HIV感染を防ぐ効果については、世界中で様々な研究が積み重ねられ、概ね9割程度の予防効果が明らかにされてきた。

最近では、2016年に医学誌ランセットに掲載されたイギリスの「PROUD研究」がある。男性とアナルセックス(肛門性交)をする男性544人を対象にし、PrEPを行なったグループと、遅れて投与したグループに分けてHIVへの感染率を比較したものだ。

PrEPを実施したグループでも追跡期間中3人の感染者が出たものの、遅れて投与したグループでは20人という差が出た。PrEPで感染リスクを86%減らしたことになる。さらに、PrEPを行ったグループで感染した3人のうち、1人一は登録時に既にHIVに感染しており、残りの2人も、薬を飲んでいない期間が長かったことが判明している。

また、ずっと飲み続けるのではなく、セックス前後に薬を飲む「オンデマンドPrEP」という方法も、フランスとカナダの研究で効果が証明されている。

コンドームなしでアナルセックスをする男性400人を、セックス前に2錠、翌日から1錠ずつ2日間ツルバダを飲んだグループと、成分の入っていない偽薬を飲んだグループに分けて比較した。

その結果、ツルバダを飲んだグループでは2人、偽薬を飲んだグループでは14人の感染者が出た。オンデマンドPrEPでもHIV感染を86%防げたと結論づけている。

副作用や体への影響は?


気になるのは、副作用の問題だ。

PrEPに詳しい国立国際医療研究センターエイズ治療・研究開発センターの医師、水島大輔さんによると、ツルバダの代表的な副作用は、腎機能の低下や骨密度が減ること、そして吐き気、下痢などの消化器症状だ。

このため、腎機能を測るクレアチニンの数値が高い人は飲むことができない。

また、万が一、HIVに感染している人が飲むと、治療薬としては最低限飲むべき薬が1種類足りず、抗ウイルス薬に耐性ができてしまう。HIVが陰性であることが、PrEPを実施するための絶対条件だ。


薬の副次的な効果としてB型肝炎ウイルスの感染も防ぐ可能性が高いが、その他の性感染症を防ぐことができないことにも注意が必要となる。

「HIV感染を予防するとはいえ、梅毒や淋菌、クラミジアなどの感染リスクを考えると、決してコンドームなしでいいとは言えません。コンドームでセーファーセックス(より安全なセックス)をした上で使うことが望ましい予防法と言えます」と水島さんは注意する。

米国、WHOに続き、ヨーロッパも続々ガイドライン策定

米国では2012年、FDA(米食品医薬品局)がHIVの予防目的で、ツルバダを承認。2014年には米疾病対策センター(CDC)がPrEPのガイドラインを策定した。

このガイドラインではHIV陽性のパートナーがいる人、セックスの相手がたくさんいる人、セックスワーカー、コンドームを使わないセックスをしている男女や、静脈注射による薬物使用者などがHIV感染のリスクが潜在的に高いと指摘。

HIV陰性で、腎機能が正常であることが服用の要件となる。3ヶ月に1回の定期的なHIV検査と、腎機能のチェック、無症状でも半年に1度の性感染症のチェックを行うことが必要としている。

WHO(世界保健機関)もHIV感染においてリスクが高い人たちに対し、PrEPを推奨し、2015年ガイドラインを策定した。

オーストラリア、ベルギー、フランス、オランダ、ノルウェー、イングランドなども、続々とガイドラインを作っている。

現在、米国では10万人近い使用者がいると推計され、オーストラリアでも約1万2000人が利用していると言われる。

アジアでも、台湾やタイでは予防薬として承認された。韓国でも承認申請され、ベトナムやフィリピンでも導入が検討されている。

そんな中、日本ではPrEPという手段があることさえ、ほとんど知らされていない。リスクの高い人にも、だ。

コストの問題、国内では根強い反対の声も

ただし、海外でも爆発的に使用が広がっているわけではない。最も大きなネックとなっているのが、コストの問題だ。

ツルバダの日本での薬価は1錠3863.6円。1ヶ月で11万5908円かかる計算となる。安価でほぼ確実なコンドームという予防法がある以上、高価な新しい予防法を採用すべきかという議論は、コスト意識の高い海外でも起きている。

ただ、いったんHIVに感染すると、月にかかる薬剤費は30万円前後となり、生涯の薬剤費は平均約1億円とも言われている。水島さんによると、オーストラリアではコストについての研究も実施され、PrEPは十分に費用対効果があるとの判断により、導入を決めた州政府もある。

日本の医療保険は原則、予防医療には適用されないため、保険適用は難しそうだ。水島さんは、「日本では予防薬として承認をした上で、安価なジェネリックが出ればそれを医師が処方して、副作用とHIVを含む性感染症をフォローしていくというのが現実的な導入方法だろう」と語る。

都内の外来でも既に、海外の通販サイトで月5000円程度のジェネリックを買っている日本人男性が出始めたという。

そもそも情報が知らされていない日本

だが繰り返すように、国内ではPrEPという予防手段について、リスクの高い人も知らされていない。議論の入り口にも立っていない状況だ。

HIV陽性者を支援しているNPO法人ぷれいす東京が、2016年に出会い系アプリを利用する男性間性交渉者(MSM)を対象に性行動などについて聞いた「LASH(Love Life And Sexual Health)調査(6921人分の回答を分析)※」では、感染リスクの高い「過去6ヶ月間にコンドームを使わないアナルセックスをしたことがある」人は51.4%もいた。

※厚生労働科学研究費補助金(エイズ対策政策研究事業)「地域においてHIV陽性者と薬物使用者を支援する研究」として実施。

PrEPがあったら飲みたいと答えた人は64%。

一方、PrEPとは何かを知っている人は10.6%に過ぎず、「PrEPを飲むとしたら、気になること」を聞いたところ、「どれぐらいお金が必要か」(93.5%)、「どのぐらい副作用があるのか」(90.9%)、「予防の効果がどれくらいか」(81.6%)などと基本的な情報を求める声が多かった。

国内でもPrEP導入に反対する一部の研究者らからは、「コンドームの使用がおろそかになり、性感染症が増える」という声が上がる。

実際にこの調査でも、PrEPを服用したらコンドーム使用にどう影響するかという質問に対し、3割が「今より使わなくなると思う」と答えた。

科学的な議論を

11月24日から始まる日本エイズ学会学術集会・総会の会長で、MSMの性行動の調査をしたぷれいす東京代表の生島嗣さんは、PrEPの導入が進むタイの現状や2016年にPrEPが承認された台湾の研究について、各国の研究者から報告してもらうプログラムを組んだ。

「国際化が進み、世界を跨いだ人の交流も増えている今、『PrEPを行なっている』という人が来日し始めており、日本ではどう取り組むのかが問われています。まずは議論を」と訴える。

これまで述べたように、PrEPは予防薬であり、日本の医療保険では予防医療は原則対象外であること、HIV感染者の報告件数は2016年時点で累積2万7443人(エイズ発症者も含む)と日本では少ないこと、コンドームという有効で安価な予防手段があることなどが、国内での議論の歩みを鈍らせる。

そして、グローバルな人の行き来が当たり前になっている今、HIVも含めた感染症対策は、日本国内だけで完結する話ではない。

水島さんは日本でも現状を把握するデータを積み上げていこうと、今年からHIV陽性のパートナーがいてコンドームなしでアナルセックスをするMSM500人を対象に、セーファーセックスの普及活動をすると同時に、どの程度HIVのリスクが高いのか調査を始めた。

途中経過でも、日本のMSMは世界のハイリスクのグループと比較して、同様に感染リスクが高いことが判明している。

「すべての対象者がPrEPを行うべきだというつもりはありませんが、新規感染者が減らず、現在の予防啓発に限界があるならば、現状でPrEPを必要としている人がいるのであれば、世界的に効果が証明された予防法の導入を検討してもいいはずです」

「日本だけは取り残されているドラッグラグ(新薬承認の遅延)の問題でもあり、ハイリスクな人の権利としてもこの予防法は、セーファーセックスとセットで検討される必要がある。性感染症対策は、感情的な議論となりがちですが、科学的データを踏まえた上で、日本はどうするのか冷静に議論することが必要です」と話している。


※この記事はBuzzFeed JapanとYahoo! JAPANの共同企画に加筆修正を加えたものです。