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「死を目の前にして、苦しんで死にたくないと思った」 幡野広志さん、安楽死について考える(1)

インタビュー直前、肺炎になってまさに死に直面した幡野広志さんが安楽死について考えるインタビュー、全5回です。

3月1日に36歳の誕生日を迎え、それが偶然、人生初の写真集『写真集』(ほぼ日)を出す日と重なった写真家の幡野広志さん。

2017年に34歳で多発性骨髄腫という血液がんにかかっていることがわかり、がんを公表した。治療を続けながら、写真家としての活動の他、患者が抱く思いや読者の人生相談へ回答するウェブ連載、本執筆など、様々な発信を続けている。

その中で、注目されている発信の一つは、「安楽死」をできるようにしてほしいという問いかけだ。

日本では認められていない安楽死。医師が致死量の薬を患者に注射したり、医師から処方された致死量の薬を患者が自ら飲んだり(自殺幇助)して、死期を早める方法だ。

必要なのか、どんな影響があるのか、反論の声にどう答えるのか。

約1年ぶりのインタビュー直前、肺炎にかかってまさに死に直面した幡野さんにじっくりお話を伺った。

インタビュー予定日に肺炎で入院 「死ぬ可能性が半分」

当初予定していたインタビューの日は、2018年の12月26日だった。その3日前、Twitterのメッセージで、幡野さんからこんな連絡が入った。

じつはちょっと体調を崩しています。

ちょっとというレベルではなくけっこうやばくて、肺炎になっています。

医師の話によると助かる可能性が半分、死ぬ可能性も半分だそうで、入院しています。

26日は難しい状況にあります。

当然、インタビューは延期した。私は改めて、幡野さんが、生と死の境目にいるような、こういう日常を生きているのだと実感した。

年が明けた。幡野さんは回復し、改めてインタビューの日程を尋ねる連絡をくれた。1月中旬の退院間もない日、私も幡野さんもマスク姿で再会した。

ーー心配しました。

危なかったですね、今回。危なかったですよ。肺炎で死ぬ理由がわかりましたよ。これは死んでもおかしくないなと思いました。

ーーどんな状況だったのですか?

40度ぐらいの高熱と、ひどい咳と痰の症状なんですけれども、肺炎になったことがなかったので気づかなかったんです。

ーー奥さんが気づいたそうですね。

いつも風邪をひくときに38度とか39度とか高熱が出て、だいたい1日で治るんですよ。今回、2日間も40度の熱が続いて、いいかげん妻が、「ちょっとおかしいね」と言い出した。

土曜日の夜だったんですけれど、救急外来に妻が連れていってくれた。それでも最初は行かなくてもいいかなと思っていたんですよ。そういうのが医療者の負担になるのかなと思って。

ーーそんなこと言っている場合じゃないでしょう。

風邪ぐらいで救急外来に行くのって、負担ではないかと思いますよ。「週明けにクリニックでいいんじゃない?」と僕は思っていたんですけれども、もしかしたらその日の夜に行ってなかったら、もしかしたらそのまま夜にベッドで死んでいたかもしれない。それはちょっと感じますね。

息ができない 「死んじゃうんだろうな」

ーーそんなに苦しかったのですね。

息ができないんですよ。僕の場合は肺の片方に膿が溜まって、呼吸がとにかく苦しかった。だけど、咳だけは一方的にでてくる。首を締められている感覚になって、涙も出てくるし、おしっこも漏れそうになる。

窒息するような感じで、死んでしまうのだろうと感じました。

ーー最初にがんの診断を受けた時の腰の痛みは死にたいほど強烈だったと話されていました。今回の「死んじゃうんだろうな」という苦しさは違ったのですか?

がんとはまた種類が違う苦しさです。がんの苦しさってわりと中長期的じゃないですか。1日や2日で死ぬわけじゃないし。

肺炎の苦しさって超短期的な苦しさなので苦しさの質が違います。いま、死んじゃいそうだと思いましたね。これはきつかった。

がんの時は中長期的な苦しみだったから、「もう死にたい」と思いましたけれども、短期的にくると、「今、死にたくない」とすごく思う。ある程度覚悟はしていたけれど、今じゃなくてもとは思いましたね。

ーーこれまで死について考え抜いてこられたと思いますが、差し迫った経験をされて考えが変わったりはしましたか?

やっぱり苦しんで死にたくないなと思いました。改めて。死ぬのはしょうがないけど、こんなに涙を流して、咳でむせながら、おしっこ漏らしそうになって死にたくないなと思いましたね。

仮にもし肺炎で死ぬのだとしても、回復が見込めなくて助からないんだったら、延命治療とかは勘弁してほしいなと思いました。

救急で聞かれた延命措置の希望

ーー家族にそういうことを話したりはしたのですか?

最初に救命救急の部屋に入った時に、肺炎ということがわかって、妻も部屋に呼ばれて、場合によってはこのまま亡くなることもあること、その場合、人工呼吸器を使うか、心停止したときに心臓マッサージするかを聞かれました。

血液内科の担当医がたまたまいて、その人が、直接、妻の前で聞いてくれましたね。それに僕が答えるという感じでした。

ーーどう答えたのですか?

妻は基本的には僕のしたいようにしたほうがいいという考えなので、妻だけに尋ねられていたら、どう答えたかわからないです。僕は心臓マッサージも人工呼吸器も必要ないと言いました。

ーーその場でそんなことを聞かれるんですね。

珍しいんじゃないですか? お医者さんって普通、もっと差し迫った状態になった時に聞きますよね。このお医者さんは雑談の回数も多いし、コミュニケーションが取れているんですよ。

僕のツイッターやブログなども目を通してくれていて、「幡野さんの性格をよくわかっているんで」と言ってくれる。

心臓マッサージや人工呼吸器が必要となった時に、本人は意識がないわけじゃないですか。その時に僕の妻に聞いたら、妻は「お願いします」と言っちゃうでしょう。

僕の意識があるうちに、患者と医師が家族の前でこういうやりとりができたのは正しいことだと思いました。

家族と話はしているのか? もしもの時にどうしたいか

ーー1度きちんと聞いてみたかったのですが、前のインタビューの時、奥さんはあまり自分の病状について知ろうとしないとおっしゃっていましたね。

たぶんね、それは今でもそうだと思います。そんなに知ろうとはしていない。

ーー幡野さんは、安楽死の話をツイッターや取材でも発信していて、日本で安楽死を考える上でキーマンになっているのは間違いない。一方で、奥さんとはどこまで突き詰めて話をしているのですか?

安楽死に関しても、治療のことでもなんでもそうですが、基本的にうちの妻は、「あなたのやりたいことをすればいい」というスタンスですね。僕に好きなことをさせることが、きっと妻自身の後悔にもつながらないのだろうと思います。

だけど、今回、車で大学病院まで連れていってくれて、僕からすると、あと一晩ほっといたら死んでいたかもしれないから妻に対して感謝しているんですが、妻はもっと早く病院に連れていけばよかったと少し後悔しています。

妻はどちらにしても後悔を抱えてしまうタイプの人だと思うんです。それでも、僕が好き勝手にやっている方が、同じ後悔するにしても、後悔の質が違うだろうとは思いますね。

ーー先ほど、もし入院する時に、医師の延命治療に関する問いに自分が答えてなかったら、奥さんが「お願いします」と言うかもしれないとおっしゃいましたよね。

それはきっと医者の伝え方も関係します。「こうすれば、もうちょっと生きられますよ」というニュアンスで言えば、誰だって延命をお願いするでしょう。お医者さんは、「やっても助からないけど、延命しますか?」とは言わない。

1%の可能性に聞こえのいい言葉をのせれば、家族は引っ張られちゃうと思いますよ。

尊厳死、安楽死、家族は理解して同意しているのか?

ーー幡野さんの思う通りにすればいいという奥さんの気持ちは本物だと思います。奥さんは、過剰な延命治療を行わない尊厳死と、薬で死期を早める安楽死の違いはわかった上でそう思っているのでしょうか? 

理解はおそらくしていると思います。ぼくは食事中とか、日常的に安楽死の話をしています。これは少しぼくのずるいところかもしれないんですが、ぼくは安楽死を望んでいるわけですから、妻に反対されたら困るわけです。だからある程度、安楽死を選ばなかった場合の、あまり良くないパターンを話したりしています。

この間、片木美穂さんの記事を読んで思ったんですけれども、片木さんはがん患者会の代表だから相談がいっぱい来て、僕はSNSを通じてたくさん来る。その中で、これはちょっとつらい死に方だなと思うものもたくさんあって、そういう話も妻に話すようにしています。

ーーどんな話をしているのですか?

例えば旦那さんのがんが判明して、治療法も色々試していたけど、お医者さんに1年もたないといわれたそうです。子どもたちにもそれを伝えて、抗がん剤をやりつつ在宅に切り替えた。

鎮痛剤が麻薬しかなく、奥さんが管理していたそうですが、ご主人が麻薬は嫌だとおっしゃって、やらなかったそうなんです。想像をこえる痛みだったと思います。

お医者さんからは、呼吸が止まっても心臓マッサージをしないように言われたそうです。骨がもろくなっていて、心臓マッサージをすると骨が折れて臓器に突き刺さってしまうから。鎮痛剤を使わないことについて医師や看護師から咎められていたのに、それでも使わなかった。

ある日、ずっと耐えていた旦那さんが亡くなる直前に「もう終わりにしていいか」って奥さんに言ったのだそうです。

よくこういう話は聞きます。気丈だった方が、最後の最後に「許してくれ」とか「もう終わりでいいか」という。諦める瞬間がくるんですよ。その時、奥さんは旦那さんの言葉をウソだと思ったんだそうです。信じたくなかったんでしょう。

そして、あまりにも痛みがひどかったから鎮痛剤を使うと、呼吸が止まったそうです。最後は吐血をしている状態で、人工呼吸をしながら亡くなったそうです。そして奥さんは大きな後悔をしています。

ーーそのお話を、幡野さんはどのように感じたのですか?

適切な知識や助言があれば防げたことだと思います。

麻薬の鎮痛剤を使ったところで廃人になるわけではないし、痛いのを我慢する必要はない。「麻薬」という言葉に引っ張られてしまったのだと思うんです。

在宅医や看護師も奥さんに説明したのかもしれませんが、言い方もあるのでしょう。とにかく全ての歯車が噛み合わなかったから、不本意な結果になったのだと思うのです。

そして、こういう体験談をぼくは妻に読ませたりするんですよ。うまく夫婦で歯車が回らないと、患者を苦しめる結果になるし、その後悔を抱えて生きることになると伝えています。

そして聞くんです。「そういう結果と安楽死はどっちがいい?」と。ずるいとは思います。

ーーずるいと思われているんですね。

ずるいというよりも、そっちの方に誘導しているのかな。

ぼくがどんどん症状が悪くなって、寝たきりの状態になったときに、薄い関係の親族が大きな顔して出てくるわけですよ。その人たちが安楽死にしましょうというはずはない。

ぼくが症状が進んで何も言えなくなった時に、やっぱり好き勝手言われて、ぼくの望まない治療を受けさせられる可能性はかなり高い。それを跳ね返してくれるのは妻しかいないんです。だから、味方にするために安楽死のいい部分を伝えているんです。

幡野広志 写真集の写真展。」が3月10日まで、TOBICHI東京とTOBICHI京都で開かれている。会場では、写真集購入特典「小さい優くんの写真集」も。

(続く)

鎮静は悪くない でもそれまでの苦痛に耐えられない 幡野広志さん、安楽死について考える(2)

誰のための、何のための安楽死? 反論や批判にどう答えるか 幡野広志さん、安楽死について考える(3)

「医者たちを焦らせたい」 安楽死なんてしなくてもいい社会に 幡野広志さん、安楽死について考える(4)

生きることも死ぬことも悪いことではない 幡野広志さん、安楽死について考える(5)

【幡野広志(はたの・ひろし)】写真家

1983年、東京生まれ。2004年、日本写真芸術専門学校中退。2010年から広告写真家・高崎勉氏に師事、「海上遺跡」で「Nikon Juna21」受賞。 2011年、独立し結婚する。2012年、エプソンフォトグランプリ入賞。2016年に長男が誕生。2017年多発性骨髄腫を発病し、現在に至る。著書に『ぼくが子どものころ、ほしかった親になる。』(PHP研究所 )、初の写真集『写真集』(ほぼ日)。公式ブログ

追記

安楽死と尊厳死の説明を追記しました。