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幼い子供と遺されて 若い母親をがんで失うということ

大事な人を失う悲しみ、慣れない育児、仕事の不安。誰にも言えず一人で抱え込んだ。

フリーアナウンサーの小林麻央さんが幼い二人の子供と夫の市川海老蔵さんのもとから旅立った。乳がんを公表し、病と向き合いながら過ごす日々をブログで発信。家族と共に最後まで自分らしく生き抜いた姿に多くの人が励まされ、全国から心が寄せられた。

その陰で見過ごされがちなのが、「第二の患者」と言われる配偶者や子供のケアだ。昨年の冬、まだ20代だった母親を胃がんで失った父子の思いを聞いた。

「会いたい」「寂しい」と言わない息子

「ママはお空に行っちゃったよ!」

そう言うと、そっぽを向いておもちゃに没頭し始めた長男の岩元優輝くん(3)を父親の吉輝さん(36)は複雑な思いで見守る。

「ママに会いたいとかさみしいとか言ったことがないんです。妻の話になると、ごまかしたり、違う話をし始めたりして、かわいそうだなと思うのですが、どうしたらいいのか…」

二人は最愛の妻であり母である有香さんを昨年2月、29歳の若さで失った。出会って3年、息子が生まれてたった2年。これからもずっと続くはずだった未来が突然断ち切られ、途方に暮れている。

見つかった時には「余命3か月」と宣告

有香さんが食欲をなくし、お腹の張りや痛みを訴え出したのは27歳だった2014年夏のこと。前年秋に出産したばかりで、産後の不調かとしばらく我慢していた。ある夜、強い痛みに襲われ、名古屋市の総合病院の救急外来に駆け込んだ。

翌日、精密検査を受けたところ、医師は深刻な表情でこう告げた。

「スキルス胃がんです。このまま入院しましょう」

早期発見が難しく、若い女性にも多いがん。胃を超えて胆管や肝臓、腹腔内にも広がり、既に取りきれる状態ではなかった。妻のいないところで吉輝さんは、「余命3か月」と宣告された。

「妻は病名を告知されて、息子を抱っこしながらずっと泣いていました。自分は諦めきれないので、がんセンターや大学病院にセカンドオピニオンを聞きに行き、助ける方法を見つけようと必死でした」

大学病院で抗がん剤の臨床試験に参加できることになり、入退院を繰り返しながらの闘病生活が始まった。

両肩にかかる介護と仕事と育児 

特別養護老人ホームの介護職員として不規則な勤務時間で働いていた吉輝さんは介護休暇を取った。副作用に苦しむ妻と1歳になったばかりの優輝くんの世話に専念したかったからだ。貯金頼みの生活が始まった。

「いつ頃仕事に復帰できるのか見通しがつかず、一定額以上の治療費は高額療養費制度で後日戻ってくるとはいえ、一時的に出費はかさむ。病状と共に経済的な問題も不安でたまりませんでした」

収入や貯金がもともと多くはない子育て世代のがんでは、病気になった配偶者や子供の世話と、仕事との間で引き裂かれることがある。

介護休暇が切れる頃、心配した主治医が、「お父さん働きなさい。休んでいたら、本人も治療に集中できないですよ」と言ってくれた。

「結局一緒にいても僕が治療することはできないし、治療にもお金が必要でジレンマを抱えていました。先生が優しい言葉で背中を押してくれたので、『今、僕にできることは働くことだ』と吹っ切ることができました」

同世代のがん患者、相談相手が見つからない

闘病中、吉輝さんは、インターネット検索やSNSで、最新の治療法はないか、同じ思いをしている人はいないか探したが、20代でがんになった人はほとんど見当たらなかった。

現在は自身もがん患者の西口洋平さんが発案した「キャンサーペアレンツ」という子供を持つがん患者が交流できるサイトが作られ、家族も一緒に利用できるようになっている。

だが、当時はなかなか参考になりそうな情報には行きあたらなかった。

「妻も『同世代で話せる人がいない。入院中に抗がん剤治療で出会った人が唯一の仲間』とよく話していました。治療のこと子供のこと、いろいろな悩みがあったはずですが」

患者の配偶者はなおさら悩みを分かち合える場は見つからなかった。妻を失う悲しみや治療法はこれで本当によかったのかという迷い、慣れない育児、仕事や収入の不安。誰にも言えず一人で抱え込んだ。

「周りにはよく『一番辛いのは本人だよ』とか『子供の方がもっと辛いのだから』と言われました。そう言われると自分が頑張らなくちゃいけない、強くならなくちゃいけないと思ってしまう。でも自分も本当に辛かった」

最期の時、弱っていく妻と話せない本音

妻の子供への愛情は病気になって一層強まった。

「『なるべく子供と一緒にいたい』とずっとそばにいたがりました。『お腹の痛みがあるから抱っこできないのが辛い』と言いながらも、できる限り自分で保育園の送り迎えを続けていました」

一時、抗がん剤が効いて体調が上向くと、「思い出をいっぱい作りたい」と息子の好きなアンパンマンを見に高知のミュージアムに行ったり、テーマパークに遊びに行ったりもした。「3人で過ごす一つ一つの時が愛おしい」と喜んだ。

しかし、そんな穏やかな時は長く続かなかった。

2015年冬には手術も試みたがやはりがんは取りきれず、そこから体調は急速に悪化した。最期の時間、有香さんは家で過ごすことを望んだ。

腹水が溜まって痛みも強まったが、本人は「痛みがあっても意識ははっきりしていたい」とモルヒネを拒んだ。優輝くんがはしゃいでベッドの上で飛び跳ね、振動で痛みが増してもそのままにさせていた。存分に甘やかしてあげたいようだった。

そして、吉輝さんは、別れの時がすぐ近くまで迫っているのがわかっていたのに、妻と距離を取ってしまった。

「僕は弱いので、妻が本当にいなくなったら立ち直れなくなる。考えたくなかったんです。僕も妻も、妻がいなくなった後のことは話したくなかったし、話せませんでした」

それでも、動いている姿を映像に残しておきたくて、ビデオを撮った。優輝くんに「パパの言うことをよく聞いてね」と語りかけたビデオ。「疲れるから」とその一言しか残せなかった。

それから数日後、家族が見守る中、静かに息を引き取った。優輝くんは「ママ?」と話しかけても目を覚まさないのを不思議に思っているようだった。

寂しさ、育児、孤立 相談できる妻はもういない

葬儀や手続きで1週間ほど慌ただしく過ごし、親戚がみんな帰った後で、猛烈な寂しさが襲った。しかし、悲しみに浸っている間もなく、息子にご飯を食べさせ、風呂に入れ、寝かしつけなくてはいけない。

息子が体調を崩す度に、早退や休暇を繰り返した。妻の死後、妻の母とは疎遠になり孫の世話は頼れない。昨年夏、名古屋市から自分の実家がある三重県に引っ越し、両親に助けてもらうことにした。

周囲の人は妻が亡くなった直後から、「あなたはまだ若いのだから、またいい人を見つけたら?」と再婚を勧めてくる。幼い子供を持つ男性遺族はよく言われる言葉だ。

「悪気はないと思うのですが、とても傷つきました」

そして今、一番の悩みは育児のことだ。少しずつ息子に母親のことを話そうとしているが、どのように話せばいいのか迷う。

保育園の送り迎えやイベントに父親しか来ないことを息子はどう思っているのか、今後の教育はどうしたらいいのか、同じ園の親たちとはあまりにも違う立場にいるようで話せない。

「夫婦で子供のことを相談し合えるのがどれほどありがたかったのか。アドバイスが聞きたいのではなくて、同じ目線での共感が欲しい」

妻を亡くしてから、小林麻央さんの療養のニュースも辛くて中身を読めなかった。「どうか今、家族と一緒にいる時間を大事にしてほしい」と祈っていた。

吉輝さんが今、最も求めているのは同じ立場の親との交流だ。

「同じような立場にいる若い父親がいたら話をしたい。少しずつ外に出かけていこうと思っています」

求められる幼い子供を持つ家族への支援

若い母親の患者が多いスキルス胃がん患者・家族の会「希望の会」も、今最も大きな課題は、幼い子供を持つ家族への支援だと感じている。

代表の轟浩美さんは「特に孤立してしまうのが若い父親。仕事で忙しい盛りだから、子供の学校や園とのつながりも薄く、地域との付き合いもない。慣れない家事や育児に苦労するのに、親にも心配をかけたくないし、会社でも弱みを見せられない。同世代の友人も幸せに見えて自分が辛くなるので、誰にも相談できずにいます」と語る。

希望の会では、現在、がん患者や家族が一緒に歩くチャリティーイベント「リレー・フォー・ライフ(RFL)」などに参加しながら、全国の若い患者や家族とつながろうとしている。屋外のイベントなので子供づれでも参加しやすい。

先日も青森で開かれたRFLで若い父子の遺族と一緒に参加した。父親は、「妻を亡くして初めて、妻のことだけを想うことができた」と泣きながら歩いたという。死の数日前に妻から「主人をお願いします。一人にしないでください」と電話を受け、誘っていた。

がんになった親と子を支えるケア

「NPO法人ホープツリー」は、がんになった親と子を支える活動をしている団体だ。

子供にがんになったことをどう伝えるか、命の終わりが近づいた時、亡くなった後、どのように子供に向き合えばいいのか迷う親は多い。隠し続けると子供は不安が強まり、疎外感や「自分のせいでがんになった」と誤った罪責感で苦しみ続けることさえある。

ホープツリーでは、親には子供への病気の伝え方や不安を和らげる方法を伝え、闘病中の親を持つ学齢期の子どもを対象とした4日間のグループワークでは、がんを正しく理解してもらい、自分の気持ちを表に出せるよう支援する。

母親がやはり進行した胃がんで手術もできない状態で見つかった小3の男の子は、白い人形に色を塗るグループワークで、人形のお腹をハサミで切り、中に詰まっていた綿を取り出して、真っ赤に塗った。

その日の帰り道、男の子は母親に「なんでがんなのに手術しないの?」と問いかけ、母親は「病状がきちんと伝わっておらず、不安にさせていたのか」と気づいた。改めて子供と話し合ったという。

医療ソーシャルワーカーで、ホープツリー代表の大沢かおりさんは、「子供は親ががんになった不安や恐怖を言語化できないことも多く、『がんが移るから手をつなげなくなった』と大人では考えられない悩みを持っていることもあります。大事な時ですから、親子でコミュニケーションできるように支えたい」と話す。

子供のグループワーク中は親同士の交流もあり、その後も同じグループで集まる「同窓会」も開く。患者さん、配偶者、遺族のグループに分かれて互いの悩みを分かち合う機会になっている。

子供向けのグループワークは東京共済病院で行うホープツリー主催のもののほか、鹿児島県の相良病院、埼玉県の埼玉石心会病院、秋田県の秋田大学(臨床看護学講座)などでも開かれている。

他に、「NPO法人子どもグリーフサポートステーション」は子供を中心とした死別の支援(グリーフサポート)をしている団体をこちらのページに掲載している。