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「植松被告のような人が生まれても不思議ではない世の中」重度障害のある参議院議員が経験してきたこと

重度障害がある参議院議員、木村英子さんへのインタビュー連載第1弾。相模原事件が今の世の中で起きたことは不思議ではないという木村さんに、ご自身が経験してきた施設での生活などについて伺いました。

知的障害者入所施設で、2016年7月、元職員の植松聖被告が入所者19人を刺殺し、職員も含む26人に重軽傷を負わせた「相模原事件」。

「障害者は不幸を作ることしかできません」と殺害を正当化する被告の言葉に、衝撃が広がりました。

その一方、私たちは昨年7月、重度障害がある木村英子さんと舩後靖彦さんという二人の国会議員を参議院選挙で国会に送り出してもいます。

作家の雨宮処凛さんに「日本に広がる優生思想に対する最強のカウンター」と言わしめた、この国会議員の一人、木村英子さんは、相模原事件が起きた日本社会をどう見ているのでしょうか?

被告人質問が始まった直後の1月下旬、お話を伺いました。3回連載でお届けします。

「同じ人間なのに、なんで障害を持ったことで『いなくていい』と言われなければいけないのか」 相模原事件が起きた時、「やっぱり起こったな」と感じたという木村議員。 重度訪問介護の制度などが拡充されない限り、「私たちの生活はいつまで経っても、施設しかないという状況になる」と語ります。

「やっぱり起こった」 人に優しくするのがバカバカしい世の中

ーー相模原事件が起きた時、どのように感じましたか?

初めて聞いた印象は「やっぱり起こったな」という感覚でした。

植松被告だけがあのような考えを持っているわけではないからです。

障害者の人たちを毎日介護している施設職員が、嫌がらせをしたり虐待をしたりというのはあの施設だけでなく、たぶん、他の施設でもあると思います。その中で、彼がとうとう事件を起こしてしまったんだなと思いました。

ーー被告人質問が始まりました。人が幸せになるには7つの要素が必要で、障害者がそれを阻害しているという内容です。どう思われますか?

あからさまに差別的な発言を繰り返していますので、そういう人が多い世の中になると、障害を持っている人たちは生きづらい状況になってしまいます。とても悲しいことだなと思います。

ーー彼なりの理論があって、それに基づく犯行だったと主張しています。側から聞くと荒唐無稽な内容ですがどう思われますか?

本人は正義の味方だと思っているのだと思います。そういう弱い人がいなくなることで世の中が正常になるという考え方なのでしょう。

地域の中に障害を持っている人たちが少ないですから、自然と支え合う関係がなくなっています。子供の頃から住む世界を分けられていますし、頼りあう関係がない地域や社会では差別が生まれていく。

競争社会では、誰かを支えていたら自分が遅れをとってしまいます。だから、人に優しくすることのほうがバカバカしい。損をする。そういう感覚を持ってしまう環境が出来上がっているのではないかと思います。

植松被告のような人が生まれてくるのは、今の世の中では不思議ではありません。

植松被告は「正常」だった

ーー弁護人は、植松被告は精神的に問題があったから責任が問えない、もしくは責任が軽くなるんだという主張をしています。植松被告自身は、知的障害があり、言葉でのやり取りができない人を「心失者」と呼び、そういう人は殺していいという論理を掲げて犯行に及んだので、被告人質問で弁護人の主張に対して「責任能力はある」と反論した一幕がありました。どう思いましたか?

植松被告は正常ですよね。

ーー正常ですか?

はい、正常だと思います。正常でないと、あんなに「この人はしゃべることができますか?できませんか?」と聞いて、殺すことはあり得ない。ちゃんと計算されていると思います。彼なりの湾曲した「正義」があるので、それに基づいて殺人を起こしているわけです。精神に障害があるとは思えないです。

ーーそういう意味で、植松被告の主張はその通りだと、責任を取ってほしいと思っているのですね。

そうですね。

ーー「心失者は生きる価値がない」という彼の主張に対してはどのように感じますか?

それはもうありえない。怒りを持ちますね。

赤ちゃんの時の事故で脳性麻痺に 施設で暮らした日々

ーー木村さんはどのようにして障害を持つようになったか教えてください。

幼い頃のことで定かではないのですが、1歳になる前に、歩行器ごと玄関に落ちて首を損傷しました。寝たきりで治らなかったので、牽引といって病院で首を伸ばす治療を受けました。

結局、骨は伸びたのですけれども、一向に動けなくて、そのあともいろいろ検査をしたのですが、最終的には脳性麻痺という診断がおりたそうです。親から聞いたのはそんな説明でした。

ーー今、体はどこが動くのですか?

右手の指ぐらいですかね。

ーー生活に全て介助が必要な状態ですか?

そうです。

ーーそして幼い頃から施設で暮らしてらしたのですね。

物心ついた時にはもう施設でした。生まれて障害を持って、1歳半か2歳か定かでないですけれど施設に預けられて、そこから10歳ぐらいまで施設に入れられていました。

そこではリハビリと手術を繰り返して、付属している養護学校にリハビリが終わったら通う生活を送っていました。10歳から15歳までは自宅にいったん戻りましたが、15歳から18歳までまた寄宿舎制の養護学校に入りました。

幼い頃からずっと施設なので、社会を知らずに育っていて、大人になって卒業してからずっと死ぬまで施設にいるんだろうなと思っていました。それが当たり前だと思っていたのです。

施設でのいじめ 過重労働の苦しさが憎しみになる

ーー施設での生活では、施設職員、医療関係者からあまり人間的な扱いをされていなかったと書かれていますね。

人間らしい扱いは全然受けられません。

起床から始まって、食事、トイレ、入浴、リハビリ、そしてまた食事、就寝と、決められたスケジュールで動く生活です。時間を決められて、毎日ルーティンがあるのですが、そういう生活の中で、職員の嫌がらせや虐待はしょっちゅうありました。

ーーどんなことをされたのですか?

子供でしたので、言葉による暴力は常にありました。例えば3歳ぐらいの頃、「あんたは可愛くない」とか、「あの子は可愛いけれど、お前は可愛くない」とかは日常茶飯事に言われます。

介護してくれないこともありました。ベッドに上げてくれないので、冷たい廊下の上で寝たこともあります。そんな嫌がらせを、看護師や職員から受けていました。

ーーその人たちは、どうしてそんな心境になったのだと思いますか?

過重労働もあるでしょうし、その人個人の性格もあるでしょう。子どもの頃に残っている記憶は、トイレに連れていってもらえなくて、お漏らしして、折檻を受けたことです。叩かれましたね。

限られた人たちが、ずっと介護し続けるというのは普通の環境ではないと思います。心身が病んでいく環境だと思いますよ。

ーー心身が病んでいって、介助する相手を軽く見るようになるのでしょうか。

憎くなるのでしょう。自分が苦しくなるからです。障害者は自分を苦しめる相手になります。その憎しみが、自分にその過重労働を強いる経営者や制度に向かうのではなくて、やはり弱い人に向かうのです。

そして、弱い人に対して嫌がらせをしたり腹いせをしたりすることでストレスを解消していくことがあるのではないでしょうか。

身につけたのは施設職員を怒らせないような処世術

ーー本来、そこは敵ではないのに。

そうですね。でも、弱い者になら実際に手を下せます。強い者にはなかなか皆さん、歯向かってはいけない。でも目の前の弱い人だったら、手を挙げることは簡単です。そこで腹いせするのでしょう。

それは障害者施設に限らないです。学校にもあると思います。ターゲットになるのはいつも弱い子どもです。

ーー相模原事件が起きた「津久井やまゆり園」の運営を請け負っていた社会福祉法人「かながわ共同会」の実態を検証する作業を神奈川県でやっています。新しいやまゆり園でも別の施設でも虐待や拘束があったという話が出てきています。

そこに限らず、施設全般にあると思います。特に宿泊を伴う施設ではあるでしょう。

ーーなぜそうなるのでしょう。

ずっとその環境に居続けるからではないでしょうか? デイケアのような昼間だけの滞在施設だったら、関わるのは一定の時間と決められ、仕事も9時5時で終わります。24時間ずっと関わり続けることで、負担も増え、閉鎖的になりがちなのでしょう。

ーー当事者として、看護師や職員からそういう仕打ちを受けていた時はどう思っていましたか?

嫌ですね。やっぱり悔しいですよね。いじめを受けるわけですから。悔しいけれど、弱いから抵抗ができない。なるべく相手を怒らせないように振る舞うということが、子どもの時の処世術です。それを身につけざるを得ません。

施設内の環境が変える人間関係 「牢獄にいる感じ」

その頃、子供の頃に受けた記憶や心の傷というものは、大人になってからもずっと残っています。閉鎖された環境の中で、人が生きていくのに、安心したり楽しみを過ごしたりするような環境では全くない。

好きなものも食べられませんし、会いたい人にも会えませんし。そういう生活の中でやっぱりだんだん希望を失っていく。そういう生活を強いられていますから。だから、わたしは早く施設を出たいと思っていました。

ーー施設職員にとっても、暮らしている障害のある方にとっても劣悪な環境であると感じているのですね。

職員の方はどう思っているかは私にはわからないです。

ただ、好意的な方もいればそうでない方もいたと思います。それと職員と居住者、健常者と障害者と、立場が全然違います。同じ人間として対等に接し合えるという環境は少ないと思います。

ーー施設内の環境は人間関係をどのように変えてしまうと言えますか?

例えば、そうですね。トイレもカーテン1枚で隔てられているだけですし、閉鎖されているから虐待が行われていても外にはわかりませんし、そういう意味では牢屋のような感じです。

これはわたしの感覚ですけれども、牢獄にずっといる感じがします。あまり普通の環境ではないので、普通の関係を作れないと思います。

ーー施設職員だった植松被告が、「障害者が生きていても意味がない」という思想を持つようになったのも、そういう施設の状況が背景にあった可能性があるでしょうか?

そういう人は多いと思います。自分で体が動かなくて、誰かに介護してもらう関係というのは、過重になれば、健常者の人の負担が増えます。それが、虐待につながる可能性はあります。

最初は好意を持って、本当に助けたくて職員になるのでしょうけれども、そういう誠意や愛情がいつの間にか虐待に変わったり、「障害者はいない方がいい」という思想を生み出しやすかったりする環境が、施設だと思います。

(続く)

【木村英子(きむら・えいこ)】参議院議員(れいわ新選組)

1965年、横浜市生まれ。生後8か月の頃、歩行器ごと玄関から落ちて、障害を持つ。幼少期のほとんどを施設で過ごし、1984年、神奈川県立平塚養護学校高等部卒業後、東京都国立市で自立生活を始める。障害者運動や、地域で生活したいと望む仲間の自立支援にも長年携わり、1994年には「自立ステーションつばさ」(東京都多摩市)を設立。2019年7月の参議院議員選挙にれいわ新選組から出馬し、当選。障害者が生きやすい社会のための政治活動を精力的に続けている。

全国公的介護保障要求者組合書記長、全都在宅障害者の保障を考える会・代表、自立ステーションつばさ・事務局長を歴任。共著に『生きている!殺すな』(山吹書店)『今日ですべてが終わる 今日ですべてが始まるさ』 (自立ステーションつばさ 自分史集)がある。