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「公衆衛生ファシズム」が吹き荒れる 「行き過ぎた予防啓発は差別や偏見の温床」

精神科医の立場から、感染予防だけに力を入れる社会のあり方を批判する松本俊彦さん。メディアや専門家のあり方にも疑問を投げかけます。

新型コロナウイルスの流行で自粛生活を余儀なくされ、私たちの社会もなんだか窮屈になっている。

特定の業種が「不要不急」と切り捨てられ、ルールに従わない人を監視し糾弾する「自粛警察」が跋扈する。

感染対策が何よりも優先される。そんな社会は健康的なのか。

精神科医で、国立精神・神経医療研究センター薬物依存研究部長の松本俊彦さんにお話を伺った。

Naoko Iwanaga / BuzzFeed

「公衆衛生ファシズムが強まっている」と懸念する松本俊彦さん

※インタビューは6月10日午後Zoomで行い、その時点の情報に基づいている。

「寄り道は不要不急じゃない」「公衆衛生ファシズム」が吹き荒れている

ーー感染防止が何よりも優先されて、集団感染がたくさん出ているライブハウスや接待を伴う飲食店、居酒屋などが「不要不急」として切り捨てられています。私も含めて、こういう場所が大事な人もいると思うのですが、この切り分けについてはどうお感じになりますか?

まず、自分の私的な感想から言わせてもらうと、僕は仕事が終わった後に、夜、居酒屋で飲んだりするのが、自分の中で生活の句読点だったのです。

自粛生活になって、もちろんそういう飲食店のことは避けるようになって、車で職場と自宅の往復になりました。

それで時間が増えたのだから、さぞかしこれまで色々な出版社に対して「書く書く詐欺」のようになっている原稿がはかどるだろうと思っていました。ところが、それがなぜか全然進まないのです。全然書けない。

原稿を書く時はカフェなど色々なところでノマドしながら書くのですが、そこもやっていません。僕はあちこちふらふらしたり、寄り道したりしながら、仕事をこなした人間なのだなと思いました。

自分にとっては寄り道は不要不急ではなかったのです。

そして、同じような人たちは世の中にいっぱいいると思うのですよ。

自分がいまや社会の敵となったニコチン依存症の当事者だから余計に過敏になるのかもしれませんが、今回のコロナ禍では、これまで以上に「公衆衛生ファシズム」が吹き荒れている気がするんですよ。

公衆衛生の専門家の言うことなんて聞きたくない――個人的には、ついやけくそになってそうわめき散らしたくなる瞬間さえあります。

それは本当に行き過ぎてしまっていて、公衆衛生的な予防啓発が進み過ぎると何が懸念されるかと言うと、偏見や差別が強まってくるのです。

行き過ぎた予防啓発は差別や偏見の温床になってくる。これは薬物問題でも感染症でも同じだと思います。

その嫌な気配が漂っています。

日本は今回のコロナ対策で現時点では死亡者が少ない。2009年の新型インフルエンザの時も諸外国と比べて死亡率は低かった。日本の奇跡だと言われていますね。

さらに言えば、違法薬物の乱用者も少ない。これって、日本の対策がいいのではなくて、日本人のともすれば「公衆衛生ファシズム」になったり、村八分にしたりする心性で実現できてしまっている。

日本人の嫌な部分が、数値的にはいい形で表れているのかなと思います。

ーー感染症専門医の岩田健太郎先生も同調圧力によって感染防止が達成できているのではないかと推測されていました。精神科医のお立場でも感じるのですね。

すごく感じますね。

不安や恐怖から生まれた「自粛警察」

ーーそれこそ日本社会精神医学会の専門家コラムで、自治医科大学の須田史朗先生が、恐怖や不安といった「心理的感染症」から、過剰な秩序化による嫌悪・差別・偏見の感情といった「社会的感染症」に移っていくと指摘されていました。「自粛警察」とつながっているのかなと思ったのですが、先生もそのようにお考えですか?

全くその通りだと思います。

もちろん自粛警察の人たちを責めたい気持ちがある一方で、たぶんその人たちも不安だったりするのでしょうね。

時事通信

千葉県八千代市の駄菓子屋「まぼろし堂」で4月下旬に見つかった貼り紙[同店提供]。過剰な攻撃も問題になっている

不安があって、適切な情報がないと、ああいう「穢れ思想」のような形でコミュニティの中で危険とみなした異物を排除する動きになっていくのだろうと思います。

ウィリアム・マクニールという歴史研究者は、『疫病と世界史』という著書のなかで興味深い指摘をしています。それは、ヒンドゥー教のカースト制は、もともとは感染症の拡大を回避するための方策だったのではないか、というものです。

実際、カースト制度には、階級を超えて身体的接触を持つことに対するタブーや、そのタブーをうっかり犯してしまった場合の身体の清め方に関して、実に念入りな規定があるそうです。

つまり、人々の疫病に対するおそれは、単に相互に安全な距離を保とうという意識を生み出すだけとどまらず、人々を分断する差別意識まで生み出してしまう危険性をはらんでいると思います。

その意味では、どうしたら正しい情報を得て、恐れ過ぎない、適度な対応ができるようになるのか、我々も真剣に考えなくてはいけないなと思っています。

ーーそれに関連して、今、玉石混交の情報が大量に出回っていて混乱を招くという意味の「インフォデミック」という言葉が流行っています。新型コロナの情報の流れ方について、どのように見ていますか?

今は情報が本当にあふれていて、誰が出している情報が正しいのかがよくわからない状況です。

普段、働いている人も日中家にいて暇だったので、ワイドショーなどを見る機会があったでしょう。そこでワイドショーがいかに馬鹿馬鹿しいかということを改めて思い知った人たちもいると思います。

テレビによく出ている人が正しいわけではないことを学んだかと思うのです。

信頼できる情報がどこで手に入るかと考えると、実はネットだったりSNSだったりします。ただし、ネットやSNSは相当ヤバい情報も流れています。

だから取捨選択がとても難しくなってしまったなと思うのです。どこのソース(情報源)にアクセスすればまともな情報が得られるのかわからなくなってしまいました。

メディアの問題 インパクトありきの番組作り

ーーそれは何が原因だと思いますか? SNSが正しい情報をもたらすことも考えると、SNSで誰もが発信しやすくなったことだけが原因ではないですね。むしろテレビなどのオールドメディアがいい加減な情報を流しています。

そうですね。メディア批判になってしまうのですが、僕自身は民放中心に視聴率ありきの番組作りの問題があるのではないかなと思うのです。

専門家の先生たちも視聴率の高い、影響力の高い民放の番組に出てしまうと、出たことによって明らかに専門家として傷がつく状況になっています。勝手に編集されてしまったり、言いたいことも言わせてもらえなかったりする。

「あのいい加減なことを話す自称専門家を出している番組に出ちゃったんだよね」と言われたら、専門家としてアウトで信用してもらえなくなる。

だから、まともな専門家がそうしたメディアに登場しなくなるという悪循環が生じると思うのです。怪しい人ばかりが出てくるようになる。

むしろ、SNSでたくさん流される情報の中で、正しいものを選択してオールドメディアが提携する形で発信することをやってほしいのですが、そうはなっていません。SNSの情報から全く遊離した形で、視聴率ありきインパクトありきで番組を作っている。

これが情報の混乱をもたらしているのではないかと思います。

ーー先生がテレビはNHKしか出ないのもそういう懸念があるからなのですか?

そういうことなんですよね。以前、民放に出た時に、やはり編集されたり、リハーサルの段階で僕が言おうとすることが番組の方針と違うということがわかって、本番で話を振られなくなったりということがあったのですよね。

十分に製作側と打ち合わせをする時間がないということもありました。

さらに言えば、番組の制作に時間をかけていないです。慌ただしく作っている。「この人の意見が聞きたい」じゃなくて、「誰でもいいから専門家」「もっともらしい肩書きのやつはいないか」ということで探している。

民放もスポンサーが減ってきて、視聴率も落ちているから、一つの番組を作るのにお金をかけられない状況がおそらくあるのだろうと思います。でもそこはジャーナリストの一人としてプライドを持って番組作りをしてほしいです。

専門家の自律はどうか?

ーー専門家にしても、なぜこういうことを言うのだろうという”専門家”が、新型コロナではたくさん出てきています。過去に真っ当な発信をしていた人も、コロナではおかしな主張を繰り返して、メディアも余計混乱しているような気がします。専門家の自律という意味で、こういう発信はコントロールできないのでしょうか?

これは難しいですね。専門家の中における様々な派閥があるのです。「〜派」とか意見の食い違う派閥が。残念ながら、それがメディアにあふれ出てしまった気がしますね。

国立感染症研究所

”専門家”がテレビの情報番組などで話した「感染研がデータを独占するため、北海道における新型コロナウイルスのPCR検査拡大を拒んでいる」という報道が誤りだと指摘するために国立感染症研究所長名で出された声明文

あいつのことは前々からいけ好かないと思っていたとか、国立の研究所機関は情報を独占して小憎らしいと思っていたとか、そういうことも影響している気がします。

これはおそらく大きな事件があって、我々精神科医がコメントする時も、ともすればそういうことになりやすい気がします。

そういう意味では代表的な学会が責任を持って、かつジャーナリストの要請に応じて素早くレスポンスできるような専門家の中の仕組みづくりもやっていかないとまずいなと思います。

専門家内のけんかを国民にさらして混乱を引き起こすというのは良くない気がしますね。

ーー派閥と言えば、感染症の話をしているのに、なぜか「安倍派」「反安倍派」などと、なぜかイデオロギーの枠組みに巻き込まれてしまう問題があります。実際そういう意識で発信している人もいるとは思います。医学がイデオロギー対立に巻き込まれるのは、こういう国を挙げた対策が必要な医療問題では避けられないものなのでしょうか?

専門家会議のように政府の諮問機関として決定には関与しないけれども、重大な情報提供をする組織ができてしまうと、アカデミアの意見のはずなのに、なぜか政策と近い距離になってしまうことは確かにあるだろうと思います。

相模原事件の時もそういう批判がなきにしもあらずでした。でも今回ほど顕著ではなかった。やはり感染症が国民の多くを巻き込んでいる公衆衛生的に大きな事態だからこそ、政治的な話に結び付けられてしまいやすい。

それに、いくら学術的なエビデンスがどうだと言っても、最終的に判断しなくてはいけないのは政治になります。

こういう時は、あえて意見の異なる人たち、それから専門分野の異なる人たちを混ぜた諮問機関を作らないと、「あいつらは政権に近い」と批判する専門家も出てくると思います。仲良しグループにしないのは大事です。

ーー先生も国の会議に入ってきたと思うのですが、政府と専門家の距離感を保つのは難しいのですかね。

難しいですね。たぶん、政治家や行政は、うまく行きそうなことに関しては、「政治主導だ」と言い、国民の支持が得られなそうなことに関しては決定権のない諮問委委員会の専門家を矢面に立たせたりする。政府の委員に選ばれることによる大変さはあると思います。

「ウィズコロナ」の時代に、心を病まないように 

ーー「ウィズコロナ(コロナと共に)」という言葉が言われるようになり、今後もしばらくはコロナがあることを前提に日常生活を送っていかなければなりません。その中で心を病まないようにするために、どうやって過ごしたらいいと思いますか?

精神科医から言えることは限られています。僕らは時代が動いた後を遅れて付いていく。予想することは苦手なんですね。

いささか乱暴ないい方にはなりますが、時代の変化に付いていけなかった人に寄り添って、「つらいね」「世の中しんどいね」と言う……それが精神科医なんだと思います。

ただ、掃除のおばちゃんがびっくりしていたのですが、男子トイレの石けんの減りがこの数ヶ月、異様に早いと言われています。男たちはそんなにも石けんを使って手を洗っていなかったのかと。それまで握手していたことも考えると空恐ろしい(笑)。

これはいい教訓で、ウィズコロナというほどではなくても、もともと日本人は清潔に一生懸命ですし、今後は日本人男性たちもきちんと手洗いはするようになるでしょう。

それからある業種の人たちをダメだと非難していると、その人たちはどんどん地下に潜っていって話し合えなくなってしまいます。我々はどの仕事がリスクがあるかではなくて、どういうやり取りをしないほうがいいのかを具体的に話し合ったらいいと思うのです。

よく「夜の街クラスター」なんて言われていますが、夜の街が必要な人も世の中にはいると思います。そうでなくて、「マドラーは共有しない」とか、ポテチを一つの皿からみんなで食べるのではなくて取り分けようとか、具体的な話し合いをして声を掛け合っていくことが必要です。

そうすれば、一見「不要不急」だけど人生には欠かせない寄り道をみんなで受け入れながら、心の健康を維持することができるんじゃないかなと思うのですけれどもね。

同じ場所を共有することの意味

ーー今日の取材もZoomでやっていますが、同じ場にいること、同じ場で体験を共有することは結構重要だと思うのですけれども、ITがあるからいいじゃないかという流れになっていますね。対面で会ったり、同じ場所を共有したりすることは大事ですよね?

僕はすごく大事だと思っています。

医療の立場から言うと、遠隔診療が推進されています。これまでは再診以降と言われていたのに、今回のコロナで、初診もOKになりました。

D76 Masahiro Ikeda / Getty Images

対面だからこそわかることもある(写真はイメージです)

でも遠隔での診察と対面は全然違います。特に精神科の場合は、空気感とか診察室に入ってくる時の雰囲気とか全部観察の対象になっているし、同じ場である緊張感や安堵感を共有することはすごく大事なのです。

さらに外来の密を防ぐために、電話再診が推進されています。病状が安定している人なら無理に病院に来るのではなくて、担当の先生と簡単にお話をして、それで診察したことにしてお薬を出しましょうということになっています。

多くの患者さんが利用し、それでも病状は崩れなかった。もしかすると、コロナが明けた後も電話再診でいいじゃんという流れが定着するかもしれないのですが、それはとても怖いと思っています。

電話再診の乱用患者がいるのです。ベンゾジアゼピン系の睡眠薬や抗不安薬を乱用している患者さんで、時々過量服薬している患者です。医者から嫌なことを言われずに済みますから。

だから対面で会うこと、空間を共有すること。それは芸術などで感動の共有とか、強烈な体験の共有でも大事だと思うのですが、医療の現場で患者と医者との信頼関係を作る上でもとても大事だと思っています。

ーー情報技術を使った遠隔での活動がもてはやされているわけですが、長い目で見て人間にどういう影響を与えるのだろうと心配しています。

中国・武漢界隈ではコロナ禍に対応して、AIやドローンをフルに使ったようですね。今後人の心にどういう影響を与えるのかいい意味でも悪い意味でも興味深く思っています。

でもそういう新しい技術に懸念を示すと、「古い」と言ってバカにされます。言われてみれば確かに、Apple Musicが出てきた時に僕も文句を言ったし、もっと言えば、アナログレコードがCDになった時だって文句を言いました。でも世の中は変わっていった。

時代が動いたら必ず負ける発言ですよね(笑)。ただ僕は人間が直に出会う場が失われるのはとても心配だし、本当にそんな世の中でいいのかとは思います。

感染症対策と自由や人権との兼ね合いは? 監視社会とならないために

ーー感染症をどこでもらったか知るためにスマホのGPS機能やBluetoothを使って、人の行動を監視するシステムが日本でも検討され始めています。感染症の専門家は歓迎する人が多いです。精神科医としてはいかがですか?

公衆衛生の専門家の中には色々な人がいると思いますが、心配しているのは大学を卒業してからずっと大学の研究室や研究機関で公衆衛生の研究だけをしてきた専門家です。人間を診ていない。そんな人が公衆衛生ファシズムを押し付けてくるのはたまらない。

自由や人権ということに関して配慮がなくて、人間をマスで見ている気がします。

そうなると、寄り道もできない社会になります。公民館が閉まっていて自助グループが開けなかったのですが、再開するにあたって公民館側から出されている条件があるんですよ。

ーーどういう条件ですか?

自助グループに参加した依存症の方たちの名前と住所と連絡先を教えてくれと、もしもそこから感染者が出たら保健所にその情報を提供して、感染経路や行動パターンを追えるようにしたいからというのです。

でも、薬物の依存症の方たちがなかなか薬をやめられないで匿名で参加している自助グループでそういうことをして、保健所だけの情報提供に止まるのか、捜査情報として使われることが絶対にないのか懸念します。回復のチャンスさえ奪われてしまいかねません。

ーー参加すらしなくなるでしょうね。

普通しなくなりますよね。僕が当事者だったら危ないから参加しません。

だから、マスとして感染症を防げば、それで世の中がみんなが幸せになるわけじゃないということも考えてほしい。

考えてみれば100年前のいわゆるスペイン風邪のパンデミックは相当ひどかったはずです。

それでもその後、100年経って、人間はライブハウスに行ったり、ハグしたりして生きているわけです。公衆衛生の人たちがどれだけ呼びかけても、人々は疲れて、心理的にこのパンデミックを終わったことにしてしまうと思います。

それは目に見えています。歴史が証明しています。だからこそ、みんなが飽きた後も実現できる提案をしなければいけないと思います。

日常生活に戻れ 身体的に近づくために工夫はできる

ーー今、それでも不安な毎日を過ごしている読者の方に、精神科医のお立場からメッセージをお願いします。

僕は、もちろん手洗いや密を防ぐことは注意した方がいいと思います。でもやはり、なるべく早く前の生活に戻りましょうと言っていきたい。

Naoko Iwanaga / BuzzFeed

気をつけるべきところを抑えながらも、「早く前の生活に戻ろう」と呼びかける松本さん

ーー前の生活とは?

つまり仕事を通常のように行ったり、人と会ったり、一緒に食事をしたり、お酒を飲みに行ったりすることをやるべきだと思っています。

その時に、いくつか注意しなければならない問題はありますが、向かい合った恋人同士の間にシールドがあるような居酒屋なんかはやり過ぎではないか。

そういうものは作らなくていいから、手洗いと共有するものに関する使い方の注意点をみんなで頑張って心がけていきましょう。お店も利用する我々側も。

ーーシールドを作らなくていいと言うと、反発する感染症対策の専門家もいそうです。「飛沫が飛ぶのを防ぐのはいいことだろう?」と。どう反論されますか?

しょうがないから、距離を取って話そうとかね。あれをみんなやりますかね?

ーーそれを良しとする空気が強まると、どこも導入しかねないと思います。だって今、マスクをしないで外を歩いただけで見知らぬ人からすごく睨まれますよ。

そうですね。医者の中でも診察室の中に大きなシールドを立てている先生がいて、Facebookなどで自慢げに紹介しているのです。患者さんたちも安心するそうです。

ーーえええー?

マスクはするし、距離は前より空けるし、患者さんたちが使えるようにアルコールの消毒液も置いてあります。そこまでは理解できます。でも、それ以上はやりすぎなんじゃないかなと思うのですよね。

ーー1枚の膜であっても心理的な距離を作りますかね。

やっている人は「患者さんも安心して話したいことを話せるようになるんだ」というのですが、どうなのでしょう。あとで手を洗えばいいと思うのです。居酒屋で大声で「いらっしゃいませ!」と叫ぶのもやめたらいい。声が聞こえないなら店内で音楽をかけるのをやめたらいい。

我々が身体的にも安全に近づけるように、他のことを調整すればいい。それが心の健康にもつながると思います。

【松本俊彦(まつもと・としひこ)】国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所 薬物依存研究部長、薬物依存症センター センター長

1993年、佐賀医科大学卒業。2004年に国立精神・神経センター(現国立精神・神経医療研究センター)精神保健研究所司法精神医学研究部室長に就任。以後、自殺予防総合対策センター副センター長などを経て、2015年より現職。日本アルコール・アディクション医学会理事、日本精神救急学会理事、日本社会精神医学会理事。

『薬物依存とアディクション精神医学』(金剛出版)、『自傷・自殺する子どもたち』(合同出版)『アルコールとうつ・自殺』(岩波書店)、『自分を傷つけずにはいられない』(講談社)、『よくわかるSMARPP——あなたにもできる薬物依存者支援』(金剛出版)、『薬物依存症』(ちくま新書)など著書多数。

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