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コロナにうんざりしているはずなのに、なぜ「コロナロス」を抱いてしまうのか? 精神科医に聞きました

新型コロナウイルスの流行が長引き、もううんざりと思っている人が多いはずです。ところが、その思いとうらはらにこの騒ぎが終わってほしくないという「コロナロス」があるという指摘も。精神科医の斎藤環さんにどういう意味なのか聞きました。

新型コロナウイルスの流行も1年以上続き、さすがに「もううんざりだ」と思っている人ばかりではないかーー。

と思いきや、早く収束してほしいという思いと同時に、終わってしまったら困るという思いが存在していると指摘する精神科医のツイートが話題になっている。

「コロナロス」や「コロナ・アンビバレンス(相反する感情を同時に持つこと)」という言葉を使いながらその矛盾する心理を語る筑波大学大学院社会精神保健学分野教授の斎藤環さんにお話を聞いた。

なぜ「コロナロス」「コロナアンビバレンス」?

ーー最近、先生が「コロナロス」「コロナアンビバレンス」という言葉を使って、「コロナが終わってほしくない」という思いが人々の中にあることを指摘されたのに興味を持ちました。特にメディアに対する指摘ですが、1月半ばのツイートが最初ですね。どういう意味なのでしょうか?

コロナは早く終わってほしいのだけれども、明日突然終わったらみんながっかりするだろうと予測しています。

特にマスコミの人たちはすごくがっかりするでしょう。今やっていることはある種の「負のお祭り騒ぎ」ですから。それが1年間続いていて、メディアの人にとっては、これだけ報道で人心に影響を与えられた経験は前代未聞なんですよね。

マスコミにとってコロナ禍は、その報道に読者や視聴者が一喜一憂してくれる幸せな状況なのです。メディア人は大衆の心に強い影響を及ぼしたいという欲望を持っていますから、これだけ容易に影響を与えられるこの「蜜月時代」を終わらせたくないという欲望は必ずあると思います。

この何というか、「コロナ退散!」というタテマエと、これを裏打ちする「コロナもうちょっと続いて」という無意識の願望の両立をコロナ・アンビバレンスといいます(嘘)。

Twitter: @pentaxxx

なんでmRNAワクチンという画期的すぎる技術革新をメディアはもっと喧伝しないのかと疑問だったけど、まあいちばんコロナロスが不安なのはメディアですもんねえ。なるほどです。

Twitter: @pentaxxx

ーーその一方で、影響力が高まっているからこそかもしれませんが、メディア不信も高まっている印象があります。「マスゴミ」とか「メディアは真実を伝えない」という批判の声もよく聞こえます。東日本大震災の時も感じたことですが、メディアにとってはそれは痛手ではないでしょうか?

そうですね。でもメディアはそれこそ「炎上上等」と考えるところがあるので、話題になればOKという根性があります。

ーー痛烈な批判ですね......。

信頼できる専門家ではなく、敢えて胡散臭い「自称専門家」をワイドショーでは繰り返し呼んで、批判を煽る。かなり意図的にやっているところがあると思います。

「大手メディアが伝えない真実」を歓迎する人たち

ーーただ、民放のワイドショーと、新聞報道やNHKの報道は私から見ると違いました。ワイドショーは専門家が眉をひそめる主張やコメンテーターの選択をしていましたが、新聞やNHKはそうは言ってもこれまでそれほど酷い報道はしていなかったと思います。

確かにそこは大きく違うと思います。コロナから話はずれますが、私がそれを一番顕著に感じるのは著名人の自殺報道です。自殺報道ガイドラインを新聞は割と守っていますが、ワイドショーやスポーツ紙は全然守らない。

センセーショナルな報道をして、自殺の手段を詳しく報じて、動機を詮索する。メディアがやってはいけないことを全部やっています。

これらは低劣なジャーナリズムの典型的な身振りです。彼らは真実を伝えることより人の心を動揺させるのが目的になっている。そうやって社会を動かしているという万能感を手放したくないのです。

ただ、日本ではワイドショーが視聴者に意外なほど信頼されている面があります。それが非常に残念なところではあります。

ーーコロナ禍でよく感じますが、ワイドショーの政府批判に絡めた報道に対して、一般の聴衆も「大手メディアが言えないことを言ってくれた」とヒーロー視している感があります。

それはトランプ政権のフェイクニュースとか、ああいうものと構図は似ている気がします。「大手メディアが伝えない真実を我々は伝える」という感じで、偽物の信憑性を確保し、誤った情報を広めてしまう。

本道ではない情報に信憑性を高める手法はワイドショーのやってきたことだなと思います。

ーー聴衆もなぜそういう情報を求めるのだと思いますか?

これはいろんな考え方があると思いますが、ホメオパシーなどの偽医療がもてはやされている構図とかなり似ていると思います。

つまり、「私だけが知っている真実」とか「私だけに有効な医療」という個人的な実存を支えてくれるような特別な情報という位置付けで取り入れられている。

だから裏ニュース的なものがもてはやされているのだと思います。

なぜ新聞も逆張り報道を始めるのか  HPVワクチンも「成功体験」と勘違い?

ーーただ、ここに来て、コロナ禍を終わらせるかもしれないと期待がかけられているワクチンに対して、大手メディアも不安を煽る報道を始めてきました。HPVワクチンと同じ過ちは食い止めなければならないと思いますが、なぜ大手メディアまでもがこういう報道を始めたのだと思いますか?

HPVワクチン問題は大きな失敗体験として記憶するべきだと思うのですが、あれを失敗だったと後悔しているのは医療者だけで、メディアにとっては「マスコミが国の政策を変えた成功体験」になっているのかもしれません。そういう疑念が大いにあります。

ここにもコロナロスを恐れるメディアが。まあコロナ終わったらオリンピック開催されちゃいますもんねえ…あとアンケート調査はワクチン無効のエビデンスにならないですよ。お疲れさま。https://t.co/AjBT82knEq

Twitter: @pentaxxx

HPVワクチンも朝日新聞の報道をきっかけに、各社でセンセーショナルな報道が始まり、積極的な勧奨が差し控えられたという経緯があります。その結果、接種率は激減しました。

内容の正当性は関係なく、「政府の方針に大きく干渉し得た」という点では、「メディアの勝利だった」と考えているメディア関係者はまだ多いのかもしれません。それが一つあると思いますね。

もう一つ、ワクチンというのは公衆衛生の専門家から見れば歴史上、人の命を最も救った医療技術の一つなのですが、そもそも予防医学はほとんど感謝されません。

下手すると、「政府による人々の生権力(※)の行使」と受け止められます。

※人を生かすために身体や生活に積極的に介入し、管理しようとする権力。

ファシズム的な捉えられ方がなされやすい。ワクチンもあたかも全ての人が強制的にうたれるように誤解している人がいますが、そういう意味で体制順応を強いられるという風な印象操作が可能なんですね。ワクチンは特に。

反体制の志向を持った人の一部には、ほとんど脊髄反射的に「ワクチンけしからんと言っとけ」という傾向があると思います。反ワクチンは反体制のポーズに親和性が高いのです。

私たち医療関係者は、反HPVワクチンキャンペーンを阻止できなかったという強い後悔があります。それだけに今回は、根拠薄弱な反ワクチン報道はすべて潰す、というくらいの怒りと覚悟を持って報道を注視しています。

ーー確かに公衆衛生は「みんなの利益のために、個人が我慢する」という側面がなきにしもあらずです。

それは避けられませんし、個人主義的な主張を持った人には反発したい理由の一つでしょう。でもそれを言い出したら、マスク装用も三密回避も外出自粛も同じことでしょう。

ワクチンに関しては原則、保守と呼ばれる人々が推奨し、リベラル系の方からの批判が多いのは、そういう構図で考えるとわかりやすくなると思います。

なぜ忌み嫌うものを長引かせたいのか?

ーー「コロナロス」は先生のオリジナルではなく、昨年夏ぐらいに一度流行ったそうですね。その時はどういう文脈で使われていたのですか?

夏頃に若干、感染者数が減り始めて、終息に近づいたかに見えた時期がありました。そこで自粛ムードが一気に緩み、Go To トラベルも7月から始まりましたね。コロナ離れが始まった頃で、その時のツイートに「コロナロスになっちゃう」などの言葉が目立ち始めていました。

「コロナロス」は語呂もいいですね。そういう意味でもキャッチーな言葉として一時、広まっていました。もちろんギャグとしてですね。

コロナ禍は記憶するにも憎悪するにも意志と努力が必要になりつつあるのかも。ただし、この心理はたぶん前代未聞じゃなくて過去の災厄にもありえたはず。

Twitter: @pentaxxx

ーー通常、ドラマの「(愛の)不時着ロス」のように、自分が好きだった、夢中になったものが失われることを寂しく思うという使われ方ですが、コロナのようなマイナスである疫病に対して「ロス」を使うのはどういう心理なのでしょう? コロナ禍を長引かせたいという心理は過去の災厄でもあり得たと指摘されています。

十分あり得る心理なのだと思います。それこそ「ストックホルム症候群(※)」という例えも使いましたが、敵役であっても、馴染んでしまうと、いなくなるのは寂しいというのは人間心理であり得るのです。

※誘拐事件や監禁事件などの被害者が、犯人と長期間一緒にいることで、犯人に好意的な感情を抱く現象。心理的な生存戦略とも言われる。

「コロナと共生」とか言っているうちにストックホルム症候群的になっているのかもしれません。ちなみに、医学的に正しい「共生」こそワクチン接種なので、私自身は少しでも早い接種を希望しています。 https://t.co/4QM0NsUQjO

Twitter: @pentaxxx

精神疾患の例で言うと、統合失調症の人は幻覚や妄想に苦しめられているのですが、薬が効いてそれが消えてしまうと意外に多くの人が「寂しい」と言うのです。自分を苦しめていたはずなのに、急になくなると寂しいと言う方が結構いる。そういう感じに近いのかもしれないと思います。

イスラエルのワクチン有効ニュース、なぜこんなに盛り上がらないのか不思議。 理由を考えてみた。 (1)フェイクニュース。どうせ変異株で無効になるのさ (2)ワクチン嫌い or 副反応怖い (3)どうせ日本に来るのはずっと後さ (4)コロナあっさり終わるのもちょっと困る…  あんがい(4)が多かったりして

Twitter: @pentaxxx

今回、私がこういうことを言い始めた発端は、イスラエルのワクチンの有効性の報道だったのです。

世界で最もワクチン接種率の高いイスラエルでは1回目の接種の時点で、既に感染者が減りつつあるという報道があったんですね。「こんな希望をもたらすニュースはない」と思ったのに、全然バズらない。リツイートしている人も半信半疑です。

なんでこんなに反応が鈍いのか、医者としては不思議でした。素晴らしい希望の星があらわれて、エビデンスも確立されつつある。「経済か生命か」みたいなジレンマだって解決できそうな技術です。でも反応は鈍く、ほとんどが懐疑的な反応でした。

副反応が怖いなど色々と理由はあるかもしれませんが、一番の理由は「結局、コロナ禍が終わってほしくない」ということではないか、と感じました。そうツイートしたところ、意外に反発は少なくて、「コロナロスを心配しているんですね」と反応がありました。

一般の人もコロナロスに共感する感情がある

もう一つの反応として、「実はそうなんです。今、コロナ禍でとても楽なんです」というものがありました。「リモートで仕事をして、通勤しなくて済んでいる。楽だから終わってほしくないのです」という反応もありました。

実はこういう「コロナロス」の感情は、一般の人にとっても共感できないものではないのです。

ーー通勤しなくていいとか、嫌な上司に会わなくて済むというのは実際的なプラスですものね。

そうなんです。それを言うと叩かれるから表立っては言えないわけですが、コロナは誰もが当事者である一方、誰もが当事者ではない。完全に他人事と考えている人は少なくありません。

他人事として考えるなら、自分に起きた変化は全てマイナスかというと、そうではないことに気付きます。

身近に感染者がおらず、自分もコロナ感染を経験していない人の中には、生活がむしろ楽になったという人が意外なほどいる。気が重かった行事や会合やイベントが全部飛んで、それはそれでありがたいと感じている人もいる。ありがたくはなくても、この生活に慣れてしまったという人もいる。

そういう人には心理学でいう「現状維持バイアス」が働きます。今の状況は困った面もあるけれど、急に変わってしまうのも抵抗がある、というところがあると思うのです。

日本は東アジアではコロナ対策の劣等生ですが、欧米に比べたら感染者数はまだ少ない。だから割と切実さが乏しい。ワクチンに強い希望を持つような切実さが弱い気はします。そういう点からも漠然と現状維持したい人は多いと思います。

ーーリモートワークできる人はデスクワークで、ある程度、社会経済的に余裕のある人では? コロナで大変な人と、楽になっている人と格差が生まれているのでしょうか?

富裕層ではなくても、IT系の仕事の人はだいたいリモートワークをしています。あきらかに通勤や人間関係のストレスは減っている。給料は変わらないし、なんなら手当ても少しついてくる。実家に今戻って暮らす人もいますが、1人でワンルームで暮らすより楽なんですね。

コロナに他人事感がある人にとっては、現状は必ずしも地獄ではないということですね。

ただ、私の専門ですが、引きこもりの人が元気になるかなと思ったら案外そうはなっていません。自責の念が強い人たちなので、世間が引きこもってもそれはあまり変わらなかったという印象です。

むしろどの家庭も3密に近い状況で、昼間家にいないはずの父親がいたりして困っている。家族が密になり過ぎて、引きこもっている人が居づらい状況もあってかえってマイナスかもしれません。逃げ場なしです。

ーー先生は「コロナロス」を感じたり、「コロナ・アンビバレンス」を持ったりすることは、不健全なことだと考えますか? それとも当たり前の反応なのでしょうか?

ごくまともな反応だと思います。病理と考える人もいるかもしれませんが、災害に対する受け止め方はそういうところが多分にあると思っています。誰もが災厄を自分ごととしてとらえられるわけではない。安全圏から「対岸の火事」を眺めつつ、わが身の幸運を噛みしめるのは自然な感情でしょう。

災厄に対するアンビバレントな心情は昔からあったのだろうと思います。それを僕は、日本人の「適応力」と考えられるかもしれないと思います。

(続く)

【斎藤環(さいとう・たまき)】筑波大学大学院社会精神保健学分野教授

1961年、岩手県生まれ。精神科医。筑波大学医学研究科博士課程修了。爽風会佐々木病院等を経て、2013年4月から現職。

専門は思春期・青年期の精神病理学、「ひきこもり」の治療・支援ならびに啓蒙活動。著書は『世界が土曜の夜の夢なら』(角川財団学芸賞)、『心を病んだらいけないの?―うつ病社会の処方箋』(新潮選書)など多数。