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新型コロナ時代のお盆や旅行どうする? 私たちは責任を伴う「自由」に耐えられるのか

全国的に新型コロナウイルスの感染拡大が止まらない中、お盆に入ります。人の移動と共に流行の加速が懸念され、さらなる規制を求める声も上がっていますが、私たちはこの自由を乗りこなすことができるのでしょうか?

新型コロナの感染拡大が止まらない中、連休が続き、お盆休みの時期になりました。

人の移動と共に、感染拡大の加速が心配され、再びの緊急事態宣言や、法的拘束力を伴う規制を求める声さえ上がっています。

3〜5月の経験を踏まえて、私たちは自由を守りながら賢く乗り切ることはできないのでしょうか?

川崎市健康安全研究所所長の岡部信彦さんに再びお話を伺いました。

※インタビューは8月8日午後にZoomで行われ、その時点の情報に基づいています。

一律「全てだめ」は良くない 考える余地を残せ

ーー東京、大阪、名古屋、福岡などの都市圏だけでなく、沖縄など全国で新規感染者が増えています。お盆はどのように過ごしたらいいと思われますか?

住んでいる所によって考え方は違うと思います。東京・大阪・沖縄などと、感染者がほとんどいないような自治体とは条件が違います。

また、受け入れる側の気持ちも違うと思うのですよね。「私のところはいいですよ」と歓迎してくれるところもあれば、「うちは逼迫するとまずいから待ってください」というところもあるでしょう。

また、人によっても事情は違う。例えば、最近、親戚が亡くなったので今年はどうしても墓参りに行きたいとかなら、本当のお盆の意味ですね。

あるいは、うちのおじいちゃんは来年会えないかもしれないから今年は行く。そういうことは当然あって然るべきでしょう。

ただ、「せっかく故郷に集まったんだから同窓会でもやろうや」という調子で飲み会をやるのはリスクが高いので冷静に判断してもらわないといけません。

でも国のレベルで「これは一律自粛を求めましょう」と言ったり、「行ってはいけません」と言ったりすれば、全国誰もが行けなくなります。

東京に住んでいる人も動けなくなるけれども、例えば山の中の一軒家に住む人が久しぶりに町に降りて友達に会うことも全てだめになります。それは良くない。

だからそこは「全部だめ」とはせずに、個々で考える余地を残さなければいけない。その中できめ細かく要請するとすれば、自治体単位で考えるしかないでしょう。もっとも細かくしすぎると、細かい各論に入り込み過ぎてしまいます。

自由を認めれば、不自由を引き受けなければならない

ーーテレビの論調などを見ていると、「一律禁止すべきだ」とか、「緊急事態宣言をもう一度一斉に出すべきだ」という意見まで聞かれて、驚いてしまいます。

自らの首を閉めてしまうことになります。

もし、国が緊急事態宣言を出すとすると大変なことになってしまうわけです。そこがあまり理解されていない。

ーー「劇薬」を自ら求める声が出ていることに、怖さも感じます。

本当に怖いですね。でも劇薬を使う側は、劇薬は劇薬なんだという認識を持って使わないといけません。安易に使えるものではありません。

ーー先生は住んでいる地域や行き先の流行状況や、自身の緊急度などを考えた上で、それぞれの判断でということですね。

ただ、「自分で決めてください」というと、良識のある人たちはそれができるわけですが、できない人は「そんな事関係ない。自分たちは大丈夫」と外れたことをやって、集団感染(クラスター)を起こしてしまいます。

そこを抑えるために、全部に制限をかける必要があるかと言えば、それでも自由度はある程度許容すべきだと思います。

でも自由を認める場合は、ある程度外れた人に目をつぶらなければならないところがある。自由であるが故に、不自由なところも引き受けなくてはなりません。

ーー自分で行動に責任を持って自律する必要が出てくるということですね。

そうです。自律とは「自らを律することができる」ということで、勝手にやってもいいということではない。自らに制限を課すことができる、という意味です。

自由とは、実は自分で作った不自由を守れる、ということではないでしょうか。人が制限を課するか、自分でまさしく律するか、ということですが、僕は後者でありたいと思います。

「Go Toトラベル」どう使いこなす?

ーーGo Toトラベルは自由を認めるだけでなく、移動を後押しする政策です。これについても、ずっと「今行うべきではない」という批判が続いています。感染症のプロとしてはどのように捉えていますか?

「Go Toトラベル」自体はいい政策だと思うのです。旅行に行くときに国が少しでも行きやすいようにするというのは良いことだと思います。お金の使い勝手もあるでしょうし、それで苦境に立たされた旅行業界が潤うところもある。

ただ、僕らは感染症の専門家としてそのアイデアを相談されたわけではありません。「いつやりましょうか?」とあらかじめ聞かれたわけでもありません。政府が判断して、政策として決めたことです。

感染症を広げないためには人が動かないほうがいいということはわかっている話なので、感染の広がりとの折り合いで決めるべきことです。

そうすると、流行状況を見ながら、臨機応変に動かしていってもよいのではないと思います。残念ながら東京は外されたわけですが、東京を制限することはあの時点では仕方ないことだと思います。

またこれは、1ヶ月で終わってしまうような制度ではないですね。ある程度、使える期間には幅があります。

ーー来年1月までですね。

今使わなければチャンスがなくなる、というわけではない。そして、みんなが一時に、慌てて混んでいる同じ場所に行かないで、空いている時に空いている時間を使って、家族単位ぐらいでうまく利用すればいいのにと思います。

ーー今、沖縄のような観光地でも増えてますね。東京以外の大都市圏でも増えています。みんながバラバラなところに行っても、他の地域に感染を広げる後押しにならないですか?

それは制度の問題なのか、使い方の問題なのかということです。制度そのものは悪くはない。使い方という各論のところでもう少し工夫の余地があるし、利用する側も賢く使えばいいのではないかと思うのですね。

怖かったら行かなければいいのです。「政府がいいって言っているんだから自由にしていいんでしょ?」とするのもおかしい。結局、パターナリズム(父権主義)の思考停止にみんな陥っていますね。

そうではなくて、我々はもっと賢くならなければなりません。

でも、そんなことを言っても始まらないから、「今は○○から○○へ行くのはあまり適当な時期ではないですね。もう少し落ち着いてから使いましょう」とアドバイスすることが実際的、というところでしょうか。

川崎市のメッセージ

ーー我々市民が自分の頭で賢く考えて場所や時期をずらせないなら、行政や専門家は一律の規制メッセージを送らざるを得ないわけですね。

僕は川崎の「新型コロナウイルス感染症モニタリング状況」というページに、1週間の感染状況の評価のメッセージをいつも書いているんです。

「夏休みを利用してどちらかにお出かけになるような時は、混雑する場所や時間帯はできるだけ避けて、家族単位などの少人数で、ゆっくりと過ごされることをお勧めします」と書いています。

ーー夏休みの旅行に出かけることも否定しているわけではないのですね。

もう一つ書いたのは、「三密が避けられているような所、特に戸外や風通しの良い所で、人と人の間隔が十分あいているような所では、マスクを外し、良い空気を吸うことも健康のために大切です」ということです。

ーー踏み込んでいますね。今はとにかくマスクを、というメッセージが出されがちですが、飛沫感染のリスクが低い条件ではむしろ外しなさいと伝えている。先生は夏休みはどうされるんですか?

僕は先週、空いている時に妻の故郷に墓参りに行こうと思ったのですが、自粛どころか仕事が入って忙しくなってしまい断念しました。かみさんは怒ってますよ(笑)。「もうちょっと落ち着いてから行こうか、もしかしたら東京もGo Toできるようになるかもしれないし」と話しています。

経済対策と感染対策のバランスは?

ーーGoToキャンペーンや特定の業界への自粛要請にもかかわりますが、感染対策と経済とのバランスが叫ばれ続けています。分科会には経済学者も入りましたが、こうした感染対策を続けるとこれぐらい経済にダメージがある、逆にこうした対策を打てばこれぐらい回復するという推計は分科会で出されないのでしょう?

それを求めているのです。経済の人たちは「感染対策をやると経済がダメになる」だけじゃなくて、現状どのぐらいのダメージがあって、今後どれぐらい膨らむことが考えられるというデータを出してくださいとお願いしているところです。

それをみて初めて判断できると思うのですよね。

ーー逆に言えば、西浦博先生が医学の観点から出された死者数推計値や、人との接触8割削減という目標値にはものすごい批判が巻き起こりました。医学だけで生活は回らないというのはその通りだと思うので、建設的なデータを出して議論してほしいですね。

経済界からもデータ、または推論を出してくださいというお願いはしています。ほぼ毎週、私たちは勉強会をやって医学界からは数字を出してきました。色々批判があっても、専門家会議では西浦さんのデータがいいだろうということで使うことになったわけです。

経済界からもデータを出してもらって、それを元に議論すればいい。そちらが妥当ならば、そのデータに基づいて判断したらいいと思います。

「イソジン推奨」 知事にリーダーシップを求められるか?

ーー分科会では各地域での感染状況を見極める新たな6つの指標を提示し、知事のリーダーシップを求めています。ただ、その直前に大阪府知事が、小規模な介入研究に基づき、府民にポビドンヨード液によるうがいを推奨して批判されることがありました。

うがい薬はもともとインフルエンザの時から議論があります。「うがいなんかやっても意味はない」という人もいれば、カテキンを使う、イソジンを使う、など色々な方法が効果があると主張する人もいました。

高齢者の口の中をきれいにするという意味ではいいのだという人も、使いすぎるとヨードが蓄積する副作用があるという人も前からいたのです。

薬ですからうまく使わないといけないし、うがいは目覚ましい効果があるわけではないが口の中をきれいにするし、やめなさいというほど悪いものではないので、注意をしながら使ったら、というのが僕の姿勢でした。

ただ、「この薬はコロナに効くんだ」というならば、それはしっかりした科学的なエビデンスを出さないといけません。

科学的な論文にするには時間が間に合わないという気持ちもあったかもしれませんが、第三者が評価し、批判された時に「大丈夫です」と言えるだけの科学的根拠を持っていないと、推奨することはできないと思います。

メディア、情報の受け手もよく考えて

ーーそれをメディアもそのまま報じ、イソジンが薬局から売り切れました。

本当に情報の出し方、受け止め方が幼稚ですよね。あの知事の会見一発が大々的報じられ、イソジンが全国の薬局からなくなる。この行動は問題です。トイレットペーパーと同じです。

ーー影響が全国に波及しましたね。

それは吉村知事だけの責任ではなくて、我々一般の人々の責任でもあります。そういう情報を大きく出して、わーっと飛びつく。

そのような効果で怖いのが、今後ワクチンができた時の国民の反応です。

国は、ワクチン1億2000万回分の供給の合意を取り付けたとされています。確保することはいいことですが、ワクチンがいっぺんに国民分が用意されて「さあどうぞ」というわけではないと思います。少しずつ供給される時に、我先に押し寄せる可能性があります。パニックに近い状況が起きることも考えられる。

多くの人がまだ不安を持っているからなのでしょう。不安がすごく強いからちょっとしたものにも頼りたいし、得体のしれないものに手を出してしまう。

もしかするとこういう時に、おかしな宗教が流行ればそれにすがる可能性もある。だからこういうことに関しては正確な情報を流さなければいけないし、センセーショナルに取り上げることはやめなければいけません。

ーーメディアが情報を見極めずに流す罪は重いです。

イソジンのことなんて、誰も取り上げなければこんな騒ぎにはならずにおしまいになっていたはずです。しかも、そこから先の議論は医学論争ではなく、政治論争になっています。

ーー今回も維新批判と維新擁護が参入してきていますね。新型コロナの医学論争は特に政党間の論争に巻き込まれがちです。

そういうものとは距離を置きたいですね。もともと、このコロナについては病気なので、皆で考え皆のために対策すべきで、政争の具にしてはならない、そう言ってきたのですが......。

不安に煽られないために何ができる?

ーーそういう不安を餌に育ってしまう分断や差別、偏見の問題も一向に解決できていません。どうしたらこの不安を減らせるでしょう。

根底にあるのは未知の重大な病気が国民の健康に重大な被害を与える、という初期の頃の印象です。

半年たって、病態やわかっていることが増えてきました。もちろん新たな課題も出てきている。それをもう一度、まとめて見直しして、一般の人にも伝えていかなければ、と思います。

リスクや致死率はこう変わってきているけれども、後遺症の問題も出てきている。そんな風に今まで積み重ねてきた情報をもう一度まとめる必要があると思います。国として動いてまとめた方がいいと思います。

ーーしかし、これまで専門家会議も分科会もメディアを通じて国民に丁寧に現状を伝えてきたと思います。それでも、PCR検査問題も、一つの切り札で全て解決するという単純化された情報を信じ込む問題も繰り返されています。

だから今回のイソジン問題は寂しい思いになりましたね。知事の発言だけでなく、周りのハレーションも、ああやっぱりまだこうなるのかと思うと寂しくなります。

それが我々の社会なのでしょう。でも諦めてはいけないので、こういう社会の中でも繰り返し正確な情報を発していかないと、退歩になってしまいます。

ーーこれまで日本は自由を尊重しながら、要請ベースでそれなりにうまく抑え込んできました。ただ、このやり方は一人一人に高度な判断力を求めることになりますし、そこを信頼せずにもっと法的規制を強めるべきだという議論も出てきています。

自由は同時に、自分で不自由な部分を忍ばないといけない。そして自律というのは、自らに制限をかけなければいけません。それができる成熟した社会であることを理想として求めたいです。

ただ、現実に言うことを聞いてくれない一部の人が大多数に影響を及ぼすことが大きくなれば、その一部に限定した制限が必要になるかもしれない。残念ながら。それが私権の制限という大きな問題につながらないように、広がらないように常に監視しないといけません。

我々は、責任を伴う自由に耐えられるのか?

感染症法ができた時も、あまりにも人権に配慮し過ぎるので、感染症というマスの対策が遅れると随分批判されました。

ーーハンセン病やHIVに対する差別の反省が前文に書き込まれています。

我が国においては、過去にハンセン病、後天性免疫不全症候群等の感染症の患者等に対するいわれのない差別や偏見が存在したという事実を重く受け止め、これを教訓として今後に生かすことが必要である。

このような感染症をめぐる状況の変化や感染症の患者等が置かれてきた状況を踏まえ、感染症の患者等の人権を尊重しつつ、これらの者に対する良質かつ適切な医療の提供を確保し、感染症に迅速かつ適確に対応することが求められている。(感染症法前文より)


そういう歴史的な経緯を分科会で発言すると、「未だに分科会の一委員と厚労省はレトロな時代を引きずっている」とある人からテレビで言われたこともあります。

ーー感染症に関係する差別や偏見はなくすことはできないものでしょうか。

少数の人がそういう考えを持つことを潰すことはできないでしょう。でもその少数が少数に留まるようにしないといけない。

その差別や偏見が社会の中で感染を起こして大きな力にならないように気をつけないといけないし、いわゆる「コモンセンス(良識)」のある人たちがしっかり発言をしていかなければいけないと思います。

自分とは異なる考えも自由に発言ができる社会は本当は良い社会のはずです。特定の発言を封じ込めることは避けたい。

でも、それが悪意に満ちていたり、根拠もなく害を与えたりするならば、みんなで抑制しないといけません。そこをいかにみんなで律することができるか。我々がいかに「自由」に耐えられるのかが問われるのだと思います。

【岡部信彦(おかべ・のぶひこ)】川崎市健康安全研究所所長

1971年、東京慈恵会医科大学卒業。同大小児科助手などを経て、1978〜80年、米国テネシー州バンダービルト大学小児科感染症研究室研究員。帰国後、国立小児病院感染科、神奈川県衛生看護専門学校付属病院小児科部長として勤務後、1991〜95年にWHO(世界保健機関)西太平洋地域事務局伝染性疾患予防対策課長を務める。1995年、慈恵医大小児科助教授、97年に国立感染症研究所感染症情報センター室長、2000年、同研究所感染症情報センター長を経て、2012年、現職(当時は川崎市衛生研究所長)。

WHOでは、予防接種の安全性に関する国際諮問委員会(GACVS)委員、西太平洋地域事務局ポリオ根絶認定委員会議長などを務める。日本ワクチン学会名誉会員、日本ウイルス学会理事、アジア小児感染症学会会長など。