緊急事態宣言が全面解除されてから約1ヶ月。
「東京アラート」も6月11日には解除され、概ね落ち着いた状況となっています。
とはいえ、各地でポツポツと新規感染者はみられ、海外からの感染者も見られています。
再開した学校も試行錯誤を繰り返している中、感染症対策のスペシャリストで小児科医でもある、川崎市健康安全研究所所長の岡部信彦さんに、ウィズコロナの時代についてお話を伺いました。
※インタビューは6月10日夕方にZoomで行われ、その時点の情報に基づいています。
感染者ゼロを目指しているわけではない時期
ーー緊急事態宣言が解除されてしばらく経ち、少しずつ感染者も増えています。これは第2波を警戒すべきなのでしょうか?
宣言が終了した後にも、「東京アラート」が一時出るなどしましたが、診断、調査などはかなり行われています。だから、知らないところで感染者が爆発的に増加しているというようなことは今のところないと思うのです。
確かに一部の業種などで感染者は発生しています。ただ、そこから街の中への広がりは目下なく、これをもってすぐ第2波ということにはならないと思います。
もともとが感染者ゼロを目指しての緊急非常事態宣言解除ではないので、ある程度の感染者発生は許容しなければなりません。
ただし、その中から感染者の拡大、重症者の発生がないように注意しなければいけません。一般の方には、感染のリスクとなることはやはり避けるようにしていただきたいし、行政と医療機関は依然として一定の緊張感を持たなければいけません。
宣言を解除した時の一つの強調すべき条件として、とにかく医療機関が冷静に患者さんを、特に重症の人をちゃんと引き受けることができる状況にある、ということを掲げていました。
そういう意味では今の東京都も、関東近県も、北九州市もベッドがパンパンに埋まっているという状況ではなくて、むしろ空いてきています。さらに、空床をどうしようかと考えるぐらい空いているところもあり、その点では余裕があります。
少なくとも今の段階で「オーバーシュート(感染爆発)」を思い出すような状況ではありませんし、医療崩壊を心配しなくてはいけない状況でもありません。つまり、仮にもう少し患者さんが増えたとしても、冷静に対処すればちゃんと診ることができると思います。
患者さんが増えると、どうしても一定の割合で重症の方が出てきてしまうのですが、その方もきちんと診られるよう、これまでの2~3ヶ月の間にかなりの経験をしてきていると思います。救える人が救えない、という状況は減らすことができるはずです。
そういう意味で、今の段階で新規感染者の数の変動に、日々一喜一憂する必要はないと思います。
感染者はゼロではないので、もちろんそれなりの注意は必要ですが、この病気を冷静に見ていく、という次のステージに入っていると思います。
気になる東京、北九州の集団感染は? 学校で感染者
ーー気になるのは、東京と北九州で見られる小規模な集団感染です。東京では、接待を伴う飲食店など感染者が出ているところはある程度特定されています。北九州は学校や高齢者で出ています。地域一帯を休校すべきという声まで出ていますね。
僕が受け取っている情報の範囲では、北九州の小学校で冬季のインフルエンザのように爆発的に増えているわけではないようです。しかも、感染が判明した子どものほとんどが軽症です。パニックにならないように、落ち着いて見た方がいいと思います。
文部科学省は学校は順次開けて、こういうところに気をつけてくださいというマニュアルも出しています(2020.6.16 改訂第2版発行)。地域での発生数が多くなっているような場合を除けば、一斉に休校することは考えていないはずです。
心配して「北九州の全部の学校を休ませないのか」という保護者の問い合わせに困っているのが実情でしょう。
確かに学校が始まると感染者が出てくる可能性はありますが、少なくとも小中学校はこれまでクラスター(集団感染)の中心にはなっていません。重症者もいません。
数人の感染者が出たレベルでもう、全市、全地域でストップ、学校教育は念のためストップというのは、怖がり過ぎではないかなと思います。
バランスの問題で、全市の子どもが学校に行けなくなるということことのデメリットも考えないといけません。教育をストップすることのマイナスは大きいです。日本小児科学会も同じようなことを表明しています。
再開した学校 感染予防策は適切か?
ーー再開した学校が増えてきています。感染予防のためにマスクの上にフェイスシールドをつけさせたり、机ごとにシールドで囲いを作っておしゃべり禁止にしたりしています。子どもの心身の成長に影響が出ないか心配なのですが、小児科医でもいらした先生はどう評価されていますか?
子どもたちは所詮、ぐちゃぐちゃになってしゃべり、おしくらまんじゅうのようになって遊び、みんなで育っていくものです。
給食の時も離れてじーっと黙って食べて、昼休みは一人でゲームをやって、というのは、子どもの成長を考えると正常ではないと思います。
むしろ、「〜をやってはいけない」よりも、「こういうことはできる」という方に対策を持っていかないといけないと思います。
ただ、仮に今そこまでやったのだったら、その対策をずっと未来永劫続けるというのではなく、流行が落ち着いてきたならば対策も変化していけばいいと思います。
周辺の流行状況や校内の発生とか色々な状況を見ながら、場合によってはやったり止めたりでも仕方ないと思います。
ーー試してみることはありだ、ということですか?
例えば、フェイスシールドは、飛沫をかぶることは防げるので、スーパーのレジなど誰がくるかわからないようなところで自分を守るという意味ではいいと思います。医療機関で患者に口を開けてもらうような処置で咳き込まれて飛沫を浴びるのも防ぐ。
でもフェイスシールドの周りはすかすかなので、長時間の予防には向きません。
それから距離も、確固たるエビデンスがあるわけではないですが、2mの距離が取れない場合は、衝立てのようなものはいいと思います。
ただ、距離も離して衝立てもして、フェイスシールドを付けてマスクをつけて、というのは考え直した方がいいのではないでしょうか。
ーー感染予防のために、「念のため」と対策を重ねることは意味がないという意味ですか?
これをやって、これもやって、さらにこれも、と心配が心配を呼んで何乗にも増幅されています。
基本的には「距離を開ける」、距離が開かないところならマスクをするということでいいと思います。リスクの低いところで、距離を開けて、さらにマスクをつけて、念のためにフェイスシールドをするというのはやり過ぎだと思います。
「やらない工夫」も大切です。
学校などで何のためにやらないかと言えば、子どもたちが憂うつにならないため、というのも重要な考えだと思います。気分が落ち込まないようにどこまでやるか、考えないといけません。
子ども同士で顔さえもわからない学校 心の発達への影響は?
ーーSNSで見かけたのですが、入学したばかりのお子さんが、友達がマスクを取ったのをみて、初めて友達はこんな顔だったのかと知ったというエピソードが書かれていました。入学して数ヶ月経つのに友達の顔さえわからない状況は問題なのではないかと思えます。
それは問題ですよね。だって、それは動物の本能ですからね。犬でも猫でもそばによって、お互いの匂いをくんくんかぎながら、相手は仲良くなれそうか嗅ぎ分けます。
今のままではそういう能力がなくなってしまいますし、逆に人を見たら危ないものだと思え、という感覚が身に付いてしまう可能性があります。
ーー心の発達にも影響はありそうでしょうか?
本当にその影響があるかどうかはわからないですが、子どもの発達のプロセスを考えた時に、やはり今のこのままでの環境は異常です。感染防止の工夫というプラスの作用も大きいでしょうけれども、マイナスの作用も大きいと思います。
ーー専門家会議ではそのあたりは提言されないのですか? せっかく小児科医の先生がいらっしゃるのに。
専門家会議でも言っていたのですが、今はどうしても大人を中心とした病気なので、大人に注意が向いているのです。小児科の関与はそのような意味でははほとんど少ないところです。
専門家会議で小児科出身は僕だけなので、「子どもはそうではない」と言えるのは一人しかいません。提言でも、子どものことで困ったら小児科学会に相談するように書いています。
小児は小児として別に考えないと、大人の考え方は通じません。
小児科学会は、子供の診療、新型コロナという病気だけではなくそれによって生じるその他の小児の問題など、学会のホームページで、資料の紹介や意見などを述べています。
そこにも学校はリスクはゼロではないけれども、リスクは低く、低いところにあまりプレッシャーをかけて、長い目で見た成長を犠牲にしてはいけない、といった意味のことを書いてあります。
そのような考えで学校をオープンしないといけないし、学校の授業をしないといけないと思いますし、その点を学校関係者も保護者もぜひご理解いただきたいところです。
学校での感染症の考え方 「感染症から守るだけが子どもを守ることではない」
ーー学校での感染対策は、職場など大人の環境とは別の考えで考えないといけないのですね。
例えば結核が学校で発生した場合、子どもたちが最初のきっかけというより、大人である教職員が持ち込むことが多いのです。最近の麻疹(はしか)の流行なんかもそうですね。
先生たちもヒヤヒヤしながらやっているのだと思いますが、ご自身の健康を守ること、つまり大人に必要なワクチンを受けておくこと、健康診断をきちんと受けておくこと、などが基本になります。その結果は、子供たち感染症をうつすリスクは確実に下がります。
子どもたちも守らないといけないという気持ちを強く持っているのはよく理解できます。
しかし、子どもを守るというのは感染症から守ることだけではありません。一方そのほかのリスクも十分考えないといけません。
ーーそれに、学校は授業だけではないですね。授業の合間での遊びや休み時間の子どもたち同士の交流も重要で、それをシャットダウンするなら何のための通学なのだろうとも感じます。
そうなんですね。専門家会議が提言した「新しい生活様式」は、我々にも責任があるのですが、意図とは少し異なり、強いメッセージ性を持ってしまった問題はあります
専門家が箸の上げ下ろしまで指示するという批判もありましたが、あくまでも一つの例であるというつもりでした。「こういうことをやってみたらいかがですか?」「こういうこともやれますよ」という例示であり、「must(〜すべき)」として示したものではないのです。
でもあれが文章になると、「こういうことを徹底してください」と受けとられた。そこは応用問題を自分たちで解いていくようになってほしいですし、来週前半には出てくると思われます。
東京の夜の街は?
ーー東京の夜の街ですが、やはりスティグマ化(負のレッテルを貼られる)されている気がします。一方では営業するためのガイドラインを自主的に作って工夫しているところもあります。
一つの文化でもあるし、大人にとってははけ口でもあると思います。
善良な人が大多数で、感染予防をすることで自分たちもお客さんも守りながらいいサービスを提供しようとしている人は多いのでしょう。
ただ、いい加減になってしまう、規則のほころびを探っていこう、というところが一部にあるのでしょうね。
そこをどの程度許容するかということも考えなくてはいけません。あまりそこを潰しすぎると、本当のアンダーグラウンドに潜ってしまい、感染対策上も逆に危ないことになります。
適度にそういう場所もなければいけないのが、現実社会です。
ーー東京都はホストクラブやガールズバーを名指しで公表します。
名指しで言わないと、普通に接待をする飲食店までもが一緒にみられてしまうと思っているのかもしれないですね。しかし、特定の業種を名指しするのはこういう場合は良くないと思います。業種というひとくくりではなく、やはり個々に問題があるのではないでしょうか。
海外との行き来はどうする?
ーーもう一つ気になるのは、海外からの感染者も出てきていることです。そして、今航空便も増やそうとしています。どうしていくべきでしょうか?
これも覚悟の問題があると思います。感染を防止することだけ考えれば、鎖国を続けることが一番いいわけです。でも、今の国際社会の感覚からいえば、「自分のところだけきれいに保つ」というわけにはいきません。
既に世の中、交流している中で、200年前に戻すわけにはいきません。そうだとすると、基本的には病気の人は動かない。具合が悪い人が来たらちゃんと診るしかない。
空港で体温をチェックしても実際には全て引っかからない。一方、今のように感染者が少ない段階で、年間に3000万人来る人たちを全てPCR検査して、それが判明するまで待っていてください、というのは現実的ではない。
それならば、効果はまだ検討されていますが、アプリのようなものをスマホに入れてもらって、接触が出たら連絡するとか、もし何か症状が出たら連絡をくださいというアナウンスが必要かもしれません。海外から人を入れながらどうするかを考えなくてはいけない。
来ることを拒むのはできないのではないかと思います。
ーーそれこそ、ウィズコロナの時代だからと腹をくくって対策を考えるということですか?
そうですよね。医療費も問題で、外国から来た人は日本で発症したら日本の感染症法に基づいて、医療費は公費負担になります。それを何百人、何千人となった時のことを考えれば、全て我々の税金で負担するのかということが問題になります。
人道的には診なくてはならない。しかしあまり野放図に、日本での治療を目的にそっと入ってこられてはかなわない。日本に来るためには一定の医療保険には入っておいてもらうなどの対策も考えなければいけません。
逆に言えば日本から海外に行って病気になった人は、すごくお金がかかる、ということも知っていないといけません。
ソフトバンクグループの抗体検査、どう評価する?
ーー6月9日、孫正義さんが自社グループの従業員や医療者など4万人に抗体検査をした結果を発表したのはご存じですか? 国際医療研究センターの大曲貴夫先生と杉浦亙臨床研究センター長との対談という形でした。
映像は見ていないですが、話は聞いています。
ーー全体で陽性率が0.43%、医療機関は1.79%、自社グループと取引先は0.23%という結果でした。その発表をした上で、全国民に抗体検査をすべきだと訴えていました。大曲先生も杉浦先生も検査環境が整い、検査の精度が保てるなどすればあり得ると、条件付きではありますが否定はされませんでした。
そうですか......。
ーー第二波に備えるため、自社の従業員などについては毎日検査をしたいということもおっしゃっていました。性能検査も同時にやったので、日々の企業活動に十分使える検査なのだと強調もされていました。
毎日やらないとだめでしょうかねえ...。わずかな抗体陽性者を見出すために、会社にいるすべての人が毎日血液検査をやるというのは、ちょっと信じがたい光景です。
抗体検査は物差しとしての検査の精度がまだ確かめられていません。仮に0.43%という結果が出たならば、「みんながまだ感染の危険性がある」と考えた方がいいわけです。
ーー確かにそうですね。今、累積の感染者も少なく、流行も収まっている日本でやる意味はあまりない気がします。
0.43%の陽性になった人たちが本当に新型コロナの抗体かもわからないと思います。日赤の行った抗体検査も新型コロナがない時期の血液からも陽性が出ています。
そうなるとわずかな人たちの抗体陽性が、本当に新型コロナ陽性だったかもわからないので、本当にかかったことが確認された人以外は気をつけてください、としか現段階ではなりません。
ーーただ、社員の人で症状があってお医者さんに何度も訴えたのにPCR検査をしてもらえなかったという説明がありました。しかし、その後、今回の抗体検査をしたら陽性と出たということです。医療機関の検査体制への不信感がベースにある気がしました。
その医師がどういう理由で検査しなかったのかはわかりませんが、症状があるのに検査をできなかったのであるとすれば、それは良くないことだと思います。
ただ、その話と全社員、全国民を検査するということは結びつきません。
問題点は、症状のある人たちをちゃんと医療機関で検査できていなかったということであって、そこに検査のリソース(資源)は振り向けるべきです。
ーー今回の抗体検査で陽性となった人は、PCR検査も行ったそうです。もしこれを全国民に広げたら、検査リソースをかなり使うことになります。
そんなことをやっているうちに、やるべき検査が手薄になり、手が回らなくなった病気が流行ったりしては困ります。そこは通常の医療での検査とは別に考えていくべきとも思います
たくさんの集団を検査することは公衆衛生学的、疫学的に意味があり、重要なことです。ちゃんとした方法で、どれぐらいの人が免疫を持っているか、年齢層はどうなのかを調べる。流行の背景を知る上で重要です。
しかし、それは一人一人の患者さんの診断のためではなくなるのです。
また、このウイルスの抗体を持っていることが、病気を防御できることを意味するのかどうかは、科学的にはまだ解明されていません。おそらくそうだろうとは思いますが、きちんとした結論を得るには、まだ待つ必要があります。
現状では、健康な人全員にやるということには至らないと私は思います。
治療薬はどうなる?
ーー治療薬の開発も気になるところです。国策のようになっているアビガンは、中間評価で効果はわからず研究続行となりました。ただ、藤田医科大の先生に取材したら、中間解析が出る前に目標の対象者数は達成したということでした。見込みはどうなのでしょう。
データを見ないうちに良い悪いは言えないです。
仮に可能性があるなら、副作用などの欠点を知った上で、使うこと自体は構わないのではないかと思います。
それに、アビガンに限らず、日本でデータは出ないとしても、仮に海外で評価が出ているのであれば、緊急の場合はそれを参考にして使えるようにするのもよいのではないかと思います。
安全性がまず大丈夫なのを確認しているのは前提として、その後、使っていて効果が思ったほどではないなら、使われなくなるだけです。
抗ウイルス剤は早いうちに使わないと意味がない。つまり、軽症のうちに使わなければいけない。しかもこの病気は自然に治る人が8割なので、自然に治ったのか、薬のおかげなのかわかりにくいです。
そうなると、プラシーボコントロール(偽薬を投与したグループと効果を比較すること)が必要となるので、これは実際には難しい。またその結果が出るまでずっと待つのは時間がかかり過ぎます。
一番の問題は副作用なので、そこはきちんと使い方、効果・安全性をモニターしながら使わなければいけません。
ーー承認されているレムデシビルは国際医療研究センターが中間解析の結果を記者勉強会で報告し、回復までの期間を4日ほど短くしたという結果を出していました。
細かいデータは見ていませんが、レムデシビルも本来なら軽症のうちに使わなければいけないのですが、あの試験は重症者に使っていますね。それでも回復までの時間を短くすることが証明できているなら良い情報だと思いますね。
ある薬が出てくると脚光を浴びやすいのですが、きちんとした目で見ることができる人が評価をしないと、ミスリードになる可能性があります。
薬はどうしてもそういうところがあって、新しい薬を使って治ると良かったと思うのですが、自然に治る場合もありますし、たまたま自分の使った患者がそうだっただけかもしれない。
そういうバイアスを減らしながら使うために行うのが臨床治験です。それをやらないと正しい評価はできません。
2大医学誌の論文取り下げスキャンダル 研究をどう支えるか?
ーーきちんとした研究が必要だという意味では、先日、新型コロナに関して、権威ある医学誌であるNew England Journal of MedicineとLancetで、元のデータがでっち上げだったのではないかということで論文が取り下げられる事件がありました。こんなことがあるのかと驚きました。
ああいうこともあるのですね。緊急時にみんなで慌ててやっている時に、冷静にすべての研究デザインを完璧にしてやるのは非常に難しいと思います。
第一線の臨床現場の例をとってみれば、自分で患者さんを診て、指示を出して、経過を追って、患者さんや家族に説明をして、さらにあちこちの会議に出て、医療機関の経営も考えなくてはいけない。
さらに新しい薬のための研究デザインを作って、倫理委員会にかけて、そして英文の論文をどんどん出す、なんてことはできないです。
本当に気の毒なぐらい働いている。そのような中で臨床研究をサポートするシステムが日本では非常に少ないです。臨床にとっては必要な事なのですが。
中国は、武漢の発生から2か月後には、一流の医学雑誌にものすごい速さと分量の研究論文、臨床観察論文を出しています。我々はそれを見て勉強する。
彼らはたぶん自分だけで研究デザインを作っているわけではなく、デザインを作る人と話し合いながらやって、結果を評価する人とも話しながら研究をやるのではないでしょうか。
上記に述べたように、忙しくまた緊張を強いられている日本の臨床医が、論文を書いている暇がないのと同様、中国の医師もないはずです。英文の論文については、誰か語学に優れた人が共同で書いているかもしれません。それは一つの戦略としてやっているのではないでしょうか。
ーー研究を後押しするというのはどういう方法がありますか?
例えば、臨床研究で、データを分析する人に臨床データを渡せばいい、という仕組みにする。最終的な責任は当然著者が引き受けますが、ある程度の部分までデータの処理をやってもらったり、文章は専門の人が整えてくれたりする。
医療秘書がカルテを書くのと同じような形です。
僕が国立感染症研究所にいて新型インフルエンザが起きた時も、なぜ論文が出ないのかとさんざん言われましたが、並行して論文を書いている暇などありませんでした。少しおさまってからは、感染研の情報センターからかなりの研究論文を出しました
「ウィズコロナ」は「病気を受け入れて生きる」こと
ーーウィズコロナの時代、どうやって新しい生活様式を創るのかみんな悩んでいます。「コロナに絶対感染しない」という時期は過ぎたと考えていいのですね。
今はみんな、かかること自体とても怖がっていますね。
でも、わからないことも多いけれど、だんだん様子がわかってきたところも多い。
もし具合が悪くなった時に、医療がちゃんと引き受けますよということさえ確実ならば、治ることがわかっているなら不安はかなり小さくなるはずです。
例えば、インフルエンザにかかって死ぬ人もいるのに、多くの皆さんは「インフルエンザにかかったら死ぬ」とは思っていないと思います。
もちろん薬を飲んだりするでしょうけれども、ワクチンをうけない人はいっぱいいます。それで自分は大丈夫だと思っています。
インフルエンザにかかったら、学校や会社を休まなくてはいけないと思っています。でもインフルエンザにかかった人が出たからといって、Jリーグやプロ野球・大相撲を止めようかとは誰も言い出しません。
そこは「病気を受け入れるかどうか」にかかっているのです。それが「ウィズコロナ」の状態だと思います。病気を受け入れて生きる。
ただ、新型コロナは生まれたばかりの病気で様子がわからないから縮こまったところがあります。
ーーウィズコロナと叫びながらも、受け入れる気持ちはできていないということでしょうか。
この病気が世の中に出てきてから半年しか経っていません。日本で病気がわかり始めて4ヶ月です。
もう大丈夫ですよ、と言ったらみんな開放的な気分になって、温泉にも行きたいし、外国にも行きたいし、夜も騒ぎたいでしょう。
でも、これは生まれたばかりの病気なので、小動物が敵に襲われて穴に逃げ込み、再び底から出てくる時は周りを見ながら少しずつそ~っと出ていくような段階です。
ところが今は、うんと遠くの危険まで心配して穴から全く出ない人と、一目見ただけで大丈夫だと思ってピョーンと出てしまう人がいて、両極端です。
火を焚きつける、火を抑えるを繰り返して、日常に戻っていく
ーーその一方で、政府は「Go To キャンペーン」を打ち出し、旅行しよう、飲食も行きましょうと呼びかけようとしています。第二波が来るのを警戒しようという声も上がる中、矛盾したメッセージを前にメディアは何を伝えていくべきですか?
そこは難しいですね。大丈夫ですよ、大したことのない病気ですよというと誰も見向きもしなくなります。一方で、危ないから気をつけて気をつけて、と言ったら、篭ったきり、身動きが取れなくなる。
動き方は難しいですが、固まったなら溶かす工夫をしなければいけないし、何も警戒がなくなっていたら火を焚き付けて警戒を呼び掛けなくてはいけない。行き過ぎれば弱火にする。一方向では行かないと思います。でも、その中で徐々に日常に戻って行かないといけない。
学校でもシールド着用を2学期、3学期も続けるとはならないかもしれない。夏になったら、熱中症も心配しないといけないから、これとこれを取り除こうかと工夫する。意味ない、と最初から全否定するのではなく、それぞれの工夫は大切です。
害になるものは取り除かないといけないですが、そうではないものはやってみて、徐々に省いていくことを考えていけばいいと思います。
ーー試行錯誤を医学の観点で一刀両断しないことも大事なのでしょうか。
マスク一つとっても、つけるかつけないかではなくて、近付いた時にマスクをつけましょう、なんです。2m離れたら飛沫感染は防げるのだからマスクをしなくてもいい。
でも今は、犬の散歩も一人と一匹でマスクをつけている人がいます。マスクをつけて一人でジョギングしている人もいます。
ーー必要ないわけですよね。
はい。でもなんとなく電車でマスクをつけていないと、居心地が悪いような目で見られてしまう。
ーー自粛警察的なそういう目線も、溶かしていく時なのですかね。
日本が自粛でうまくいったことの本当の理由ですよね。みんなが我慢しているのだからお前も我慢しろという日本の社会が感染対策ではうまくいった。
ーー同調圧力ですか。
同調圧力ですよね。日本の場合はそれでうまく行きましたが、海外ではそうは行かないからルールで縛る。
ーー窮屈で居心地の悪いその同調圧力を溶かしていきたいのですが、何をすればいいと思いますか?
だから、このウイルス、そして病気の特徴でわかってくることを僕らは伝え続けるしかない。これからは、「この病気は危ないですよ」と脅すのではなく、「ここまでなら大丈夫なんですよ」という伝え方もしなければいけないと思います。
【岡部信彦(おかべ・のぶひこ)】川崎市健康安全研究所所長
1971年、東京慈恵会医科大学卒業。同大小児科助手などを経て、1978〜80年、米国テネシー州バンダービルト大学小児科感染症研究室研究員。帰国後、国立小児病院感染科、神奈川県衛生看護専門学校付属病院小児科部長として勤務後、1991〜95年にWHO(世界保健機関)西太平洋地域事務局伝染性疾患予防対策課長を務める。1995年、慈恵医大小児科助教授、97年に国立感染症研究所感染症情報センター室長、2000年、同研究所感染症情報センター長を経て、2012年、現職(当時は川崎市衛生研究所長)。
WHOでは、予防接種の安全性に関する国際諮問委員会(GACVS)委員、西太平洋地域事務局ポリオ根絶認定委員会議長などを務める。日本ワクチン学会名誉会員、日本ウイルス学会理事、アジア小児感染症学会会長など。