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アビガン推し、自称専門家のコメント..... コロナ診療の最前線にいた医師がなぜカミソリを送りつけられた?

忽那賢志先生のインタビュー第2弾は新型コロナ対策の初期の混乱について聞きました。医療現場の逼迫だけでなく、最前線にいた医師が困らされたこととは?

新型コロナウイルス感染症診療の最前線に立ちながら、一般の人にもわかりやすく最新情報や感染対策を伝えてきた「くつ王」こと国立国際医療研究センター国際感染症対策室医長の忽那賢志さん。

7月から大阪大学医学部感染制御学講座の教授に就任するタイミングで、大きな足跡を残したこの1年半のコロナ対策を振り返ってもらった。

武漢チャーター便、初期の手探りの治療 

ーー忽那先生がコロナ対策をスタートしたのは、中国・武漢からの患者受け入れが最初ですか?

そうですね。最初の方は1月下旬ぐらいで、武漢からの旅行者でした。春節のお休みで旅行していた人です。

ーーその後が武漢からのチャーター便ですか?

そうですね。その後、武漢がロックダウンした影響により、政府のチャーター便で日本人が帰国することになりました。国際医療研究センターで受け入れ、帰ってきた人皆にPCR検査をしました。

そこからずっとコロナの話ばかりですね(遠い目をする)。そこから人生が、生活がコロナ一色になりましたね......。

ーー初期はこの感染症の正体もわからないし、対応が大変だったと思います。最前線の医師としての課題は何でしたか?

確かに未知の感染症ですから、どういう風に一般の方に情報を伝えるかは初めての経験でした。過剰に怖がらせてもいけないし、「大丈夫大丈夫。風邪みたいなものだから」というのも間違っています。

それまでにわかっていることを客観的に伝えることをしていたのですが、それがどれぐらいうまくいったのかと思います。

診療の上ではわからないことはもちろんたくさんありましたが、ただ、コロナウイルスの一種であることはわかっていました。

うちの病院は、これまでも新興感染症対策の拠点としてSARS(重症急性呼吸器症候群)やMERS(中東呼吸器症候群)という重症化するコロナウイルスの疑似症に対応してきた医療機関です。元々、そういう訓練をしてきたスタッフが診療に当たり、多少慣れていたところがあります。

その意味で、最初からすごく混乱があったわけではありません。

第1波の前半ぐらいまでは感染症指定医療機関だけが患者を診ていました。専門的に訓練している施設だけが診ていたので、感染対策的に大きな破綻もなく、感染者が多くないうちはある程度うまくいっていたと思います。

またその頃は治療法がなかった。初期は抗HIV薬のカレトラなどを使っていましたね。または抗マラリア薬のクロロキンもです。ひょっとしたら実験室のデータで効果があるかもしれない薬を、患者の同意を得た上で手探りで使っていました。

これも初めての経験です。新しい感染症に対して、どう適切な治療をしていくか判断するのは難しかった。

カレトラもクロロキンも後から効果がないとわかってきて、すぐ使わなくなりましたが、その時に飲んでいた人たちにはむしろ有害だったかもしれません。それは情報がない段階でのできる限りの治療でした。

当時、診ていたのは指定医療機関だけ どんどん増える患者に「これは保たない」

ーーその後、2月のダイヤモンド・プリンセス号に移るのですね。

ダイヤモンド・プリンセス号はうちが中心になって診ていたわけではありません。ただ、うちは外国語対応が得意な施設なので、日本語が話せない外国人や、親子で感染して離れ離れになれない外国人、重症例を担当していました。

チャーター便の時は、コロナに感染した人も何人か診ましたけれど、全員軽症でした。

でもダイヤモンド・プリンセス号の時はコロナで重症化する人たちが次々と現れて、「これは本当に恐ろしい病気だな」と初めて実感しました。インフルエンザとは全く違うなという認識です。

年齢でここまで状態が違うのかと思いました。若い人と高齢者では全然重症度が違う。

ーーそういう感触も得てきて、医療が逼迫し、「これはやばいぞ」と思われたのはいつ頃ですか?

3月下旬ぐらいですね。ダイヤモンド・プリンセス号の時は、実際に日本でどれぐらい広がるかはまだわからなかったのです。

あのクルーズ船の感染者から日本には広がっていません。その時は「このまま日本で広がらなければいいな」と淡い期待を持っていたぐらいです。

第1波は欧米からの持ち込みであることがわかっていますが、渡航制限が遅かったこともあり、3月下旬に明らかに都内で感染した人が増え始めました。3月上旬ぐらいはまださっぽろ雪まつりなどが話題になっていて、そこに観光に行っていた人を診ていました。

そうこうしているうちに都内でどんどん感染者が出てきました。当時、東京都は感染症指定医療機関だけが診ていたので、他の病院では診られず、毎日5人、6人以上どんどん入院してくる。

当時は重症化した人や重症化リスクの高い人が優先的に検査・診断されていましたので、重症度の高い方ばかりが搬送され「これは保たない。ヤバい」とその頃、初めて感じましたね。

ーー医療体制が柔軟ではなかったことが響いたということですか?

最初は行政も指定医療機関だけで診られる感染症だと想定していたと思います。しかしそこを超えて広がった。

ただ、指定医療機関以外の病院が、いきなり「コロナの患者を診てください」と言われても、元々そういうことを想定していない施設がほとんどなので、対応は難しかったでしょう。

最初の緊急事態宣言後に指定医療機関以外でも対応できる病院が大学病院を中心に増えてきて、そこから少し負担が軽減して、第1波がしのげたかなという感じですね。

専門家会議、政府の議論、どう響いてた?

ーー当初は専門家会議と呼ばれていた専門家たちの議論や、政府の対策はどのように最前線には響いていたのでしょう? 学校の全面休校やアベノマスクなどもありました。

結果的には学校閉鎖はしなくても良かったのでしょう。子どもはあまり感染者にならず、広めているのは大人の方だと後からわかってきました。

ただ、当時はわかっていないことが多かったので、感染対策の一つとしてああいう措置をしたのでしょう。

どういう風に広がるかがはっきりわかっていない段階では、多少ああいう判断があっても仕方ないとは思います。

ーー専門家会議のメンバーや議論についてはどう見ていましたか?

安心感はありました。私は会長の尾身茂先生はもともと存じ上げていて、コロナの前から時々ご相談もしていました。尾身先生がトップになられて良かった。今となっては尾身先生がいなかったら日本はどうなっていたんだと思います。

最初に座長を務めた国立感染症研究所の脇田隆字所長も含めて、あの政府の人選は安心感がありました。日本の感染症の専門家の多くはそう思っていると思います。

少なくとも専門家の議論自体は科学的根拠に基づいていて、間違った方向に行ったことはほとんどないように思います。

ーー政府が独自に打ち出した対策では「アベノマスク」もありました。

アベノマスク、ありましたね(笑)。あれもしている人を見ることはなくなりましたね。強いて言えば「マスクは大事だよ」というメッセージは伝わった......のかもしれません......。

ーーマスクも含めたPPE(個人用防護具)が不足したことも初期に問題になりました。先生のところでは完全に不足はしなかったのでしょうけれど、どうでしたか?

うちもN95マスクは一時、取り替えは週1回というルールになりました。1日1回の交換にしている施設が多いと思いますが、N95は一時なくなりかけたのです。表面が汚染しないようにして、週に1回使い回してくださいと指示されました。

あの頃はどういう感染経路かも完全にはわかっていない中で、個人用防護具がなくなっていきました。医療従事者にとっては大きなストレスでしたね。

これも今回学んだ教訓の一つで、個人用防護具を十分備蓄しておくことの大事さを知りました。その後、病院でも備蓄を増やしました。その後、寄付もいただいて大変助かりましたね。

「アビガン推し」の報道 「危険を感じた」

ーー今も続いているとは思いますが、第1波の頃は、メディアの報道も酷いものがたくさんあったと思います。どのように感じてらっしゃいましたか?

第1波の時にすごく困ったのは、結構、みなさん「アビガン」を使えと言っていたことです。「なんでアビガンを承認しないんだ」と相当言われてました。患者さんも「アビガンを処方してほしい」という方が多かったですね。

ーー政府も前のめりでしたね。首相も官房長官も推してました。

日本の開発した薬ですからね。政府も承認に前向きだったと思いますが、メディアもかなり盛り上がっていました。

あの時期は危険を感じていました。科学的根拠もないままに承認されるのではないかと心配した時期もありますが、さすがにそうならなくて良かったです。

でも科学的根拠のないままに、「アビガン使ってクドカン回復!」みたいな記事が連日載っていました。「みんなアビガンを使ったら良くなった」ぐらいの勢いで記事が出ていましたね。

亡くなった芸能人の方の記事で、「この人もアビガンをもっと早く投与していたら助かったのに」と書かれたり、当時テレビのワイドショーでよく出ていた専門家を名乗る方も本気でアビガンの効果を語ったりしたこともありました。

そういうリテラシー(情報を読み解く力)が不足しているのだなとすごく感じました。

怖いなと思ったのは、一部、宗教化した言説が広がっていたことです。

私がYahooの記事で、「アビガンは現時点では科学的根拠をもって有効性が認められているわけではない」と書いたら、某大学の名誉教授という経済学者が、「忽那は何も分かっていない。こいつは非国民だ」というような暴言をSNS上で言ってきたりしました。

感染症の専門家ではありませんが、名誉教授という肩書を持つ方がそんな過激な発言をするのかと恐ろしくなりましたね。これも國松淳和先生の提唱する「シャムズ(※)」の一つの表現型なのかと思っています。そしてそれは今のイベルメクチンでも同じような状況が見られますね。

※内科医の國松淳和さんが作った新型コロナウイルスの影響で、精神状態が不安定になること。CIAMS:COVID-19 / Coronavirus-induced altered mental status

現時点では強い科学的根拠もないのにデマゴーグを中心に狂信的に推す集団がいて、危険だなと思っています。

おそらくみんな不安なのだと思います。不安だから薬にすがりたいのでしょうけれども、その言動がすごく攻撃的になって、私のような特定の人にその攻撃が向くことがあった。病院にカミソリを送りつけられたこともあります。

そういう言葉や脅迫には結構参ってしまって、それ以降、Twitterでもコメントを見なくなりました。Twitterは一方的にコメントを書いて逃げるツールだと思うようにしました。対話をする道具ではないと思うことにしています。

「専門家」の罠、メディアへの注文

ーーそういう意味では、「専門家」という呼称にみんな惑わされたと思います。自称専門家がワイドショーでコメントし、専門家分科会などの方針に反対の声を上げています。どう見てらっしゃいましたか?

何の専門家なのでしょうね(苦笑)。もちろん、感染症の専門家でない人でも正しいことを言っている人はいます。

逆に「自称・感染症専門家」で全く見当違いのことを言っている人もいる。

例えば第1波の後に、「もう第2波は来ない。日本人は免疫を持っているんだ」とか「コロナは弱毒化した」とか語る自称専門家もいて、あの頃はカオスでしたねえ......。

感染症を専門としていない人が何か発言をすること自体は止めることはできないのです。やはり選ぶ側のメディアの見識だと思います。

ーーメディアに対する注文として、選ぶ目や見識をどうやって身につけてほしいと思いますか?

誰が正しいことを言っているのか、判断できていないのだと思います。メディアもある程度、どの人が正しいことを言っていて、どの人が正しくないことを言っているのか、見る目を持っていただきたい。

科学的な見識を持った人を育成する動きがメディアにもあってほしいです。「専門家だから言っていることは正しいに違いない」という感じで、言っていることを鵜呑みにして書くのではなく、言っている内容を吟味して判断できる人を育成してほしい。

特に大きい新聞社やテレビ局はそういう人が必要だと思います。

(続く)

【忽那賢志(くつな・さとし)】国立国際医療研究センター 国際感染症センター 国際感染症対策室医長

2004年3月、山口大学医学部卒業。同大学医学部附属病院先進救急医療センター、市立奈良病院感染症科医長などを経て、2012年4月から 国立国際医療研究センター 国際感染症センターで勤務。2018年1月から現職。

厚生労働省「新型コロナウイルス感染症診療の手引き」編集委員。IDATEN 日本感染症教育研究会 世話人 Kansen Journal 編集長。著書に『症例から学ぶ 輸入感染症 A to Z ver2』(中外医学社)、『みるトレ感染症』(共著、医学書院)など。

Yahoo!ニュースでの連載でも新型コロナウイルス感染症について数多くの記事を書いている。