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ダイヤモンド・プリンセス号からの陽性者受け入れミッションをどう果たしたか? 前線に立った医師たちの奮闘

新型コロナウイルスの集団感染が起きたダイヤモンド・プリンセス号から客を降ろす時、無症状の陽性者を全面的に受け入れた、開院前の藤田医科大学岡崎医療センター。どのようにこのミッションは遂行されたのか。現場で奔走した同大学救急総合内科教授の岩田充永さんにお話を伺った。

新型コロナウイルスの集団感染が起きたクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」から客を降ろす時、無症状の陽性者を全面的に受け入れた当時開院前の藤田医科大学岡崎医療センター

突然決まったミッションに、現場の医師はどのように対応したのか。

藤田医科大学救急総合内科教授の岩田充永さんにお話を伺った。

※インタビューは6月4日午後にZoomで行い、その時点の情報に基づいている。

日曜日に連絡があり、月曜に受け入れ決定

ーー岡崎医療センターの受け入れが突然決まった時は、驚きました。内部ではどんな感じで決まったのですか?

もちろん、驚きました。実はクルーズ船の陽性者がどんどん増えている問題は、うちの救急のスタッフたちもずっと気にしていました。

ちょうど4月に岡崎医療センターの開院も控えていたので、「こういうところに避難することもあるかもしれないよねえ」という話をしていたこともあったんです。

まさか実現するとは思いませんでした。本当にこんなことがあるんだという感じです。

ーーいつ頃連絡があった感じなのですか?

2月16日、日曜日の午前中に、厚生労働省から藤田学園の理事長に連絡があって、月曜日に受け入れを正式に決定する会議を開くとその日の午後に聞きました。

断るならすぐ断るはずなので、受けるのだろうなと想像しました。その時から頭で段取りを始めたのです。こういう場合はどうするか、という想定問答を、知らせを聞いた時から頭の中で始めていました。

ーー例えば、どういうことが問題になりそうだなと想定されていたのですか?

まず、どこに陽性者を入れて、院内のゾーニング(ウイルスがいるところといないところを分けること)をどうするかということです。

これについては、日曜日から感染症科の土井洋平教授とメールでやりとりしながら、「院内のゾーニングは土井先生が担当ですね」と相談していました。

クルーズ船で活動していた医療チームとも連絡を取り始めました。

岡崎医療センターは開院前で治療はできなかったので、体調が悪化した患者を他に転院させなければならないこともありますから、救急車を使わなければいけません。消防や保健所、現場の大黒ふ頭との連絡を取るのは、災害医療でやることと似ています。

僕は救急で、DMAT(災害派遣医療チーム Disaster Medical Assistance Team)の資格もあるので、DMAT的な対応を担当する。土井先生は院内の感染管理の担当ということで、協力して対応しなければならないのだろうと、頭の中でシミュレーションを始めていました。

ーー実際に決まったのは月曜日ですか。

そうです。17日月曜日の午後に土井先生と岡崎医療センターに初めて入りました。どこに本部を置き、どこを受け入れる方の居住スペースにするのか、見て回りました。

クルーズ船から来た人たちがどこから入って、どのように居住スペースに入ってもらうか導線の確認もしたのです。

当日の準備 クルーズ船で活動した医師からのアドバイス

ーーそして翌日には入ってきた。

夕方には来るという話が当日、火曜日の朝にありました。火曜日は朝から感染症科のチームが、「ここからは清潔エリア、ここからは不潔エリア」と目で見てわかるようにテープを床に貼ったり、貼り紙をしたりし始めていました。


院長に就任する守瀬善一先生は、連携する行政への挨拶回りをしていました。

患者さんが来て、突然調子が悪くなったらどこが受け入れてくれるかという病院は、指定感染症の2類感染症の場合、保健所が探します。

本当に保健所がしてくれるのか、愛知県内の病院がいっぱいになったらどうするのか、岡崎市消防だけで搬送の救急車は足りるのだろうかなど、考えることがいっぱいあります。

例えば、5人いっぺんに患者さんの調子が悪くなったら、他の消防とも連携を取らなくてはいけません。岡崎市で起こったことに対して、他の消防本部が助けてくれるのかも不安でした。

このような、消防や保健所との連携や関係を築くことをしていたのが当日の火曜日です。

それと同時に、クルーズ船で実際に活動していた済生会横浜市東部病院救命救急センター長の山崎元靖先生からアドバイスをもらいました。

まだこの頃は新型コロナウイルスの病態がわかっていなかったのですが、「とても怖い症状がある」というのです。

「自覚症状がなく、無症状だった人が1日の間にみるみるうちに悪くなって、人工呼吸器を繋げなくてはいけないような症例があるから要注意だぞ」と言われました。「俺たちが今まであまり診たことがないような病態だ」と。

岡崎医療センターに滞在する人と、病院に送る人を、どういう基準で決めるのかを考えていて、僕は当初、熱と自覚症状で判断しようと考えていたんです。

でも山崎先生から、「絶対にパルスオキシメーター(※)は使ったほうがいいぞ」と言われました。

※血液中にどれほど酸素が含まれているかを示すSPO2(酸素飽和度)を測定する機器。動脈の赤血球中のヘモグロビンが酸素と結合している割合を測る。

「無症状でも酸素飽和度を測ると、低い人がいるんだ。こういう人たちはCTを撮ると、結構酷い肺炎があったりするから要注意だ」と言われたんです。

岡崎医療センターは開院前ですからX線を撮ったり、CTを撮ったりすることはできません。そうならば来た人全員に、入り口で酸素飽和度と体温と自覚症状の問診をすると決めました。

僕たちは酸素飽和度が94%を切ったら、あるいは37.5度以上の発熱があったら、短期間で悪くなる可能性があるので、岡崎ではなく、医療機関に行ってもらう基準を作りました。

ーー酸素飽和度が低いという病態はかなり後で広まりましたが、2月半ばでそんな情報が共有されていたのですね。

当時は大黒ふ頭でクルーズ船の乗客に対応した医師の間でしか知られていませんでした。この病気の病態が本当にわからない時期だったので、あのアドバイスはすごく役立ちましたね。

受け入れ始まる 思わぬ助っ人も

ーー実際に受け入れを始めてから、そういう病態の患者さんはいらしたのですか?

初日に4人いました。みなさん、熱は37度ちょっとぐらいなのですが、SPO2が92%とか低く、それで4人病院に送りましたね。

初日の人たちが着いたのは午前2時でした。そこからの搬送なので、近隣の病院には本当に迷惑をかけたと思います。

二人は岡崎市民病院が受け入れてくださったのですが、陽性者をたくさん受けられる体制なんてとても当時は揃っていなかったのに、よく受けてくださいました。3人目は少し離れた病院で受け入れていただきました。

4人目の搬送先を探すにも保健所の方も手一杯だったので、自分たちの藤田医科大学病院に送りました。

初日は岡崎市の消防本部が救急車を2台、新型コロナウイルス感染症の患者用に準備してくださったのです。その2台で4人を離れたところに送るので搬送だけでもすごく時間がかかりました。

陽性者を運ぶので車内の消毒はなしでいいと依頼するなどして乗り切りました。車内の消毒だけでも2時間ぐらいかかるからです。自分でもよく機転がきいたなと思います。

ーー初日は何人を受け入れたのですか?

32人です。

ーーそれにしても病態がわからないのに、よくそれだけ一気に受け入れる判断をしましたね。

正直、最初は、「ただの風邪だろ。騒ぎ過ぎだよ」と思っていた節はあるんです。8割は軽症という情報がたくさん流れていましたからね。

亡くなる人たちは元々、持病があって、だんだん診ている間に悪くなるのだったら、毎日体温のチェックをしたりして、悪くなったら病院に運べばいいという想定だったわけです。

しかし、受け入れを決めた後に「みるみる悪くなる。短時間で悪くなるから怖いぞ」と教えてもらいました。それでこちらの身構え方も変わりました。

もう一つラッキーだったのは、BuzzFeedさんが岡崎医療センターで受け入れという記事を早めに書かれていましたね。

そうしたら、クルーズ船で活動して京都府立医大に帰る途中だった救急医療部副部長の山畑佳篤先生がその記事を見てくださって、僕にメッセージをくださったんです。

「ブラボー! なんだったら手伝いに行くよ」って。

僕はクルーズ船の様子を知っている人がいるなら嬉しいなと思いました。当時は、DMATの派遣要請まで頭が回らない状態でした。それで「交通費ぐらいは出すから来てくれ」とお願いしたら、僕のブレーンを引き受けてくれた。気持ちよく当日から来てくれたんです。

ーーおお〜すごいですね。

彼からも色々な情報を得ながら初日を迎えられた。元々救急医仲間で、同世代なので知り合いだったんです。この友情には心から感謝しています。彼がいなかったら、このミッションは初日で頓挫していた可能性もあります。

8割は外国人 外国語対応、精神的なケア、役割分担

ーー山畑先生からはどんなアドバイスを受けていたのですか?

もちろん病態もよく知っていましたし、クルーズ船内でどういう生活を送っていたかや、乗客がかなり精神的に参っていることも教えてくれました。

ウイルスへの対応だけでなく、精神的なことなども含めてこれまでの生活のことをよく知らせてくれました。精神的なケアも必要だということがわかりました。

僕たちは最初、日本人が多いのかと思っていたら、8割が外国人でした。そういう情報も彼が先に教えてくれていました。

ーーとなると、外国語対応や異文化対応も必要ですね。

病棟の看護師さんたちも最初は言葉の壁をすごく心配していました。ポケトーク(自動翻訳機)を準備していました。それでも最後は気心が知れて、言葉の壁を見事に超えていたのは凄いなと思いましたね。

ーー何カ国ぐらいの患者さんがいらしたのですか?

基本は英語、中国語なのですが、ロシア語の方は結構大変でした。自動翻訳機の相性が悪かったので。

ーースタッフを揃えるのは間に合ったのですか?

院長からは、感染症科と呼吸器内科と救急で、医師側はミッションをやってほしいと言われていました。ここでは治療をするわけではないので、マネジメント業務の方が大変だと考えました。

マネジメントについては、感染症科は院内の感染対策についてはプロですし、僕たち救急医は災害医療の体制づくりは得意です。呼吸器内科の先生たちは病態管理のプロです。タッグを組んでの役割分担が最初からできていました。

最初、クルーズ船にDMATが出動したのをテレビなどで見て、「これは災害医療か?」と疑問を持っていたのです。

でも、その後に、クルーズ船に入られた岩田健太郎先生のご指摘などを見ると、今回の感染症の流行やクルーズ船対応は、感染のプロと災害のプロがタッグを組んで取り組むべき病気なのだとわかった。

それは岡崎で受け入れる最初の頃から考えていました。

ーー短期間なのに心の準備も体制の準備もできていたのですね。

それは頭の中の想定だけで、実際には、クルーズ船で活動した山崎先生や山畑先生から「こういう時にどういう準備をしているのか。準備はできているのか?」という質問をたくさん投げてもらって、それに答えを見つけていくという形で準備を進めました。

あとは土井先生が院内のゾーニングで、「こういう人が欲しい。こういうものが足りない」と指摘するのを調達するのはまさしくDMATのロジスティクス業務(※)です。「そういうのは全部僕に言ってくだされば、どこかで話をつけてきます」と伝えていました。そんな役割分担でした。

※補給、調整などの後方支援業務。医薬品など必要な物品を調達し、関係各所との調整を行う。DMATでは医師や看護師などの医療者とロジスティクス担当がチームを組んで支援に当たる。

2日目から体制強化 地獄を共有して生まれた連帯感

ーーDMATは派遣要請をしたのですか?

たまたま僕も山畑先生もDMATなのですが、初日のバタバタを見て、保健所も消防もこれは大変なことだと実体験として理解したのですね。

それで、保健所の方は24時間岡崎医療センターに常駐することになりました。最初は「調子が悪い人が出たら、夜中でも保健所に連絡ください」という感じだったのですが、そんなものじゃない、ということがわかったんですね。

初日に「頼むから受け入れの初日だけは岡崎にいてくださいよ」と拝み倒していてもらったら、その大変さをよくわかってくれて常駐に切り替えてくれました。

消防も初日で「これはえらいこっちゃ」となって、「救急隊を1隊、岡崎医療センターに常駐させますから」と言ってくれました。

そこで体制が整備できた感じです。1回大変なことを共有すると、「これはなんとか一緒に乗り切らねば」という気持ちがみんなに芽生えた感じでしたね。

ーー他の組織との連帯感が最初からできたのは良かったですね。

初日の地獄を見た時から生まれましたね。そこからDMATを要請した方がいいだろうとなりまして、DMATのロジスティクスチームに入っていただきました。

愛知県庁内と岡崎医療センターの中に本部を作って、愛知県内の病院がどれぐらい空いているかなどのやり取りをしました。初期に受け入れ調整の窓口ができたことはすごくありがたかったです。

ーー結局、何回に分けて受け入れたのですか?

5回ですね。128人が岡崎医療センターに来ました。そのうち16人を搬送することになりました。

ーー先生方は直接治療はしないわけで、陽性者を診ることはなかったわけですか?

入り口でPPE(個人用防護具)を着た完全防護のメンバーがチェックインの時に、酸素飽和度や熱や症状の有無などの問診をしました。問診票は毎日作り、体温計は各自に渡して毎日測ってもらいました。

ちょっと調子が悪い人にはパルスオキシメーターで酸素飽和度を測定する。チェックインの時に危ない人は医療機関にお願いしていたので、岡崎医療センターに入ってから具合が悪くなった人は二人ぐらいでした。

ーー岡崎医療センターの中で急変して救急対応という人は?

それは一人もいなかったです。

ーー先生は常駐していたのですか?

最初の1週間は岡崎にいましたが、流れができてしまうとスタッフがその通りにしてくれるので、後半は、受け入れの日を中心にいるようにしました。また入所者が帰る日が大変でしたね。

近隣住民への配慮、地元からの応援

ーーどんなことが大変だったのですか?

住民説明会でも、絶対に公共交通機関を使わないでくださいという要望がありました。しかし、最初は岡崎市内のタクシー会社はみんな捕まらない(後に改善されるのですが)。どこまでこの方達を送り届けるのか悩みました。

またいろんな国の大使館が「陰性の証明書を出せ」とも言ってきました。

こういう一つ一つの交渉が結構大変でした。

ーー結局はどのように帰したのでしょう?

大使館が迎えに来てくれた国もあれば、大使館が車を手配したところもあれば、様々です。近隣の住民が不安にならないように色々な作戦を考えました。

ーー近隣住民の反応ですが、受け入れの時はやはり反発もあったのでしょうか?

僕は受け入れ準備があったので参加していないのですが、初日の住民説明会は午後8時頃にあり、参加したスタッフに聞くと、相当、大変だったようです。不安になるのは仕方ないですよね。

ただ、2日目ぐらいから、支援の差し入れをくださる方がいました。あれは本当に涙が出ますね...。今、思い出しても泣けるぐらいです。

向かいの小学校の子どもたちが入所している方に寄せ書きをくださったのは、本当にもう...(声を詰まらせる)。

心配があるのは当然なんですけれども、本当のところはわかってくださっていると伝わりました。不安ながらも理解しようとしてくださっていることが感じられて、すごくありがたかったです。

心からの感謝の気持ちを込めて、卒業式の際に卒業生の皆さんに花言葉が「思いやり」であるチューリップを贈らせていただきました。

ーー不安に思いながらも応援してくれる。近隣住民の不安にはどのように対処したのですか?

とにかく二次感染者を出さないことが第一のミッションになりました。2つ目に、利用者の急な体調悪化を捉えること。3つ目に滞在者の快適さに配慮すること、ということを最初のスタッフのミーティングで宣言したのをよく覚えています。

とにかく二次感染者は出してはいけない。そうしたら一気に不安が強まると思ったのです。

ーー急なことでしたが、PPEを安全に脱ぎ着することには慣れたスタッフばかりだったのですか?

そういうことは感染対策のリンクナース(専門性を持って専門科と他の病棟看護師をつなぐ役割を持つ看護師)などを中心に選抜されていました。元々、開院予定の病院に行く予定だった方達を中心に選びました。

ミッション終了直前に介護施設で集団感染発生

ーー結局、何日にミッションは終了したのですっけ?

3月8日に全員退所しました。

ーー128人受け入れて、最終的に二次感染者は出なかったということでよろしいのですよね?

ゼロです。

ーーこれは誇るべきことですか? 当たり前ですか?

これは本当に感染症科のチームが素晴らしかったと思います。土井先生たちが完璧にやってくださいました。

当時は、「ウイルスがエアロゾル化(一定期間細かい粒子が空中を漂うこと)するんじゃないか」「飛沫・接触感染予防だけでいいのか?」「宇宙服様の防護服じゃないとダメなんじゃないか」という議論もありました。

まだどんな感染経路なのかもよくわからなかったのです。ということは、自分の施設の感染症医をどれだけ信じられるかにかかっています。その中で土井先生たちのことは本気で信頼できたし、みんながそれを信じて対策できた。現場の看護師さんも徹底してやってくれたのはすごいなと思います。

逆に感染症科の先生たちはすごいプレッシャーだったと思います。当時、正解がわからない中で「こうしましょう」と決断しなくてはいけない。その重い決断をしてくれたので、決断する方も、信じる方もすごかったと思います。

ーーこの経験で学んだことはありましたか?

岡崎の経験で勉強になったことは「どこのスイッチを押したら、ものごとが円滑に進むか?」を考えることです。

医師は「目の前の人にとって役に立つのなら、ルールなんて関係ないだろ」という思考で動いてしまいます。

一方、自治体、保健所、消防はルールの中で動いています。

ですから、彼らのルールを理解することなく医者の理屈で「非常事態なのだから、滞在者のためにやってくださいよ!」という一方的な押しつけでは、物事が円滑に進まないのは冷静に考えれば当然のことです。

どこのスイッチを押したら、物事が円滑に進んでゆくのかを常に考えていました。岡崎医療センターに滞在してくださった岡崎市保健所、厚生労働省、愛知県庁の方とお話しすることができたのは、今後の災害時の対応のためにもとても勉強になりました。

のちに大学病院という大所帯で新型コロナウイルス対応を行うことになった時にも役に立っています。

滞在してくださった中のある厚労省の方は、僕らが「なぜうまく調整が進まないのか?」と困っているときに、方々に電話をかけて交渉してくださり、現場に近い感覚の方も多いのだと嬉しくなりました。

ーーそれで無事、二次感染もなくミッションを終了したのですね。

その岡崎のミッションを終える直前に、今度は藤田医科大学の近くの地域で、老人保健施設からのクラスターが発生しました。

「あぁ、終わらない...」と思いました。またそこから、長く続く対応が始まったのです。

(続く)

【後編】「アビガンは特効薬ではなさそう」 現場で患者を診てきた救急医が語るウィズコロナの時代

【岩田充永(いわた・みつなが)】藤田医科大学救急総合内科教授

1998年、名古屋市立大医学部卒業。同大学病院、名古屋大学病院、協立総合病院で内科・老年科・麻酔科を研修後に名古屋掖済会病院救命救急センターで勤務、名古屋大学大学院老年科学にて博士号取得。2008年より名古屋掖済会病院救命救急センター副救命救急センター長、12年10月藤田保健衛生大学救急総合内科准教授、14年4月同教授。2016年から救命救急センター長併任。日本救急医学会救急科専門医、指導医、日本内科学会総合内科専門医、日本老年医学会老年病専門医。