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「重度の障害があっても、人生を謳歌できる」 父母の人生を映画化した息子が伝えたいこと

重度障害者は皆、病院で一生を過ごしていた時代、人工呼吸器をつけて病院を飛び出し、家族や友人と人生を堪能した男性の実話を、息子が『ブレス しあわせの呼吸』として映画化。息子のジョナサン・カヴェンディッシュ氏にインタビューしました。

重度の障害者は皆、病院のベッドで一生を送るのが当たり前だった1960年代、病院を飛び出し、妻や息子と人生を謳歌した男がいたーー。

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9月7日から公開される『ブレス しあわせの呼吸』の予告編。9/7(金)角川シネマ有楽町他全国ロードショー

28歳でポリオにかかって首から下が麻痺し、余命数ヶ月と告げられて36年。喜びと共に生きたそんな父、ロビン・カヴェンディッシュさんと母、ダイアナさんの実話を、映画プロデューサーである息子のジョナサン・カヴェンディッシュさんが映画化した。

ブレス しあわせの呼吸』がその映画だ。

イギリスの、そして世界中の障害者の生き方を変えるきっかけを作り出した両親の人生を通じて、ジョナサンさんは観客に何を伝えたかったのか。お話を伺った。

愛と決意が可能にした生き方

ーー人工呼吸器をつけての在宅療養があり得なかった時代に、リスクをおかしてまであなたの両親を決断させた原動力はなんだったのでしょう。

「周りの入院患者を見ていると、みんな自分の意思がどんどん奪われていくし、その人たちのあり方が『施設化』していくのを見て、父はこれは耐えられないと思ったようです」

「幸い、母といういいパートナーがいて、母と一緒なら、自分の思い描いた人生を生きることができるはずだと確信できました。友達も多かったですしね。ですから、原動力は、愛と決意です。愛する人との強固な関係がそういうことを可能にするのだと思います」

「それとある意味、無知も後押ししてくれました。今までに誰もやったことがないので、どれほど大変なことか知らなかったわけだからできちゃうわけです。父はそれを果敢にやってのけた。そして数千人もの人生を変えていきました。勇気が必要な時は、あまり事前に知り過ぎるのも良くないかもしれませんね」

スペイン旅行でのトラブルもすべて実話

ーースペイン旅行に家族で出かけた時に、人工呼吸器が壊れてしまった場面は驚いてしまいました。命の危機なのにその状況が楽しいエピソードとして描かれています。

「映画で描かれているすべてのことは本当に起きたことです。映画では美しい自然の中で撮られていますが、実際はバルセロナの街の交差点で起きたことでした。それ以外は美女がやってきたり、ダンサーやミュージシャンがやってきたりして、情景は映画で描かれている通りです。教授がイギリスで新しい機械を組み立て、飛行機に乗ってスペインまで駆けつけてくれたのも事実です」

「結局そこで48時間過ごしましたが、手動で空気を送り続けて、僕たちは居眠りもできなかったんです。僕は当時10歳だったんですけれども、母は『このポンプを押し続けるのよ。もし眠ったらお父さんを殺すことになっちゃうわよ』と言うんです。すごく大変で疲れましたけれど、楽しかったですね」

「そのトラブルをくぐり抜けて、最終的には父が『地中海を見たことがないので行きたい』と言ったので、ビーチですごしました。僕が初めてアルコールを口にしたのがあの時です。シャンパンで乾杯しました(笑)」

イギリス的なユーモアで不条理を笑い飛ばした

ーー客観的に見たら大変な状況が続くのですが、ユーモアたっぷりの会話が印象的でした。ご両親はユーモアで乗り切っていたのでしょうか。

「父も母も周りにいる友達もみんな持っていたのですが、こういうユーモアの感覚はイギリス的なセンスなのですよね。お互い笑いあったり、冗談を言い合ったりして楽しんで、不条理を笑い飛ばすというセンスもあったのです」

「ドイツのホテルで車椅子が入らなくて、ドアの枠をこっそり外してしまうシーンがありましたが、そんなところを見られたらホテルに怒られちゃいますから、本当にヒソヒソ相談しながらこっそりやったんですよ」

「両親にはそういういたずら好きなところがありました。イギリス的なウィットもありつつ、プラクティカルジョーク(悪ふざけ)をやってしまうところがあったのです。父が障害をおっていなくてももともとそういう二人だったと思うのですが、ああいう病気になって余計に笑い飛ばすしかない状況が続く生活ですから、余計そうなったのだと思います」

「僕はそういう人生の姿勢を両親から学びました。非常にイギリス的で、かつ大げさではない冗談の言い方。表情一つ変えずに面白いことを言ってしまう。そんな感じでしたね」

患者の気持ちに配慮しない医療への怒りがあった

ーー友人の力を借りて、人工呼吸器付きの車椅子や、車椅子ごと助手席に乗ることのできる車を開発し、行動範囲を広げていきます。一方、介護側の都合で荷物のように並べられて管理される患者が並ぶ光景が「最新の療養施設」として紹介された様子を見せています。お父様の生き方は、当時の医療や福祉がそのように患者に向き合う姿勢に、異議申し立てをしたように見えます。

「医療に対しては相当強い思いを持っていたようです。たまに、体調を崩したり、検査が必要になったりして病院に戻ることがしばしばあったのですが、見過ごせない状況にいつも腹をたてていました」

「ですから、例えば、ホリデーホームと言って、海沿いに障害者が避暑地のように使える施設を設立したりしていました。医療施設なのですが、そうは見えない施設です。医療ケアの質についてはすごくこだわりを持っていた人でした」

「父はしばしば、『良い医療を提供できるのは看護師のみなさんで医師ではない』と言っていました。『医師は尊大で人の気持ちがわからないところがある。医師は過大評価され、看護師は過小評価されている』ともよく言っていました」

「『医師は専門家として技術的に素晴らしいところはもちろんあるが、実際に患者と向き合う時に、病気を患っている人が何を感じて、どんな不満をためているかをわかっていない』とも。父は『ベッドサイドマナー』という言葉を使っていましたが、それが欠けていることを感じると、専門医が相手でも怒っていましたし、そうじゃないよと指摘していました」

「今のイギリスの医療を見たら、相当父は怒っていたと思います。十分に財源を得ていないから、国民保健サービスの質が落ちています。科学という意味での医療も大事ですがそれは半分の要素であって、生身の人間に向けられる医療行為こそが残りの半分です。そういうことにもう少し意識を向けなければならないと思っていたようです」

「イギリスには、障害者が休暇で遠出をする『ディスエイブルドホリデー(障害者の休暇)』という慣習がありますが、これも父が生み出したものなんです。体を動かせない人がそういう喜びを得るための提案を積極的に打ち出した人でした」

議論を呼ぶ父の死の選択

ーーお父様の死のシーンは日本でも議論を呼びそうです。

「父の最後のシーンは、相当意識的に前面に押し出して入れました。見せたかったのは、父はあくまでも自分の意思で、自分が選んだ豊かな人生を生きてきたということです。最後は血を吐き出すような状況になり、生活の質として父も母も許容できる範囲以下の生活になりつつあったので決めたということなのです」

「もちろん母や僕の許しを得てから一つ一つ決めていったのですが、そういう死に方を自ら選ぶことができ、友達にさよならを言うことができたし、平和に幸せにこの世を去ることができたと思うのです。この映画ではそれを見せたかった」

「今は寿命が長くなって、どうやって人生の幕引きをしていくのかということは往々にして議論になり、皆が考える問題です。もちろん父のような死に方に対して反対意見が多くあるのは私も理解していますが、『こういうのもありなんだよ』というのを見せたかった」

「日本社会の価値観についてもわからなくはないですが、私は父の最後の迎え方についてはポジティブに描きたかった。痛みが伴わず、手法としてもうまくいったように」

「このシーンをきっかけとして、世界中のいろんな人が議論しているようです。長いこと身体的に痛みを抱えたりする人が身近にいる場合は特にです。今まで行われてきた議論にさらに新しい視点を加えることができたのではないかと思いますし、それはいいことに違いないと思います」

障害者のストーリーではなく、あくまでもラブストーリー

ーーお父様の闘いや生活を楽しむ工夫が後に続く障害者に与えた影響をどう感じていらっしゃいますか? そして日本の観客にメッセージを。

「重度の障害があっても、人生を堪能して謳歌できるのだという意識改革につなげていったのだと思います。映画を見た人からも、『希望をもたらしてくれた』『喜びをもたらしてくれた』と自分の体験に重ねてみなさん色々語ってくださいます。大いに周りに影響を与えたのだなとわかります」

「ただ、これは障害者のストーリーではなく、あくまでもラブストーリーだという意識で作っています。とある男の実話で、時に面白く、喜びを持ってはつらつとした軽やかさで描いているのだと受け止めてほしい」

「さらに医療の現状について触れれば、世界中で介護問題は深刻な状況になっています。介護者の貢献が適切に評価されていないことは大変問題だと思います。ただ、母は実際に介護をやってきた人で、様々な賞を贈られたりもしているのですが、母自身は『別に私はこんな賞をもらうに値しないわ』なんて謙遜しています」

「母としては、『自分の与えられた人生を淡々と生きたのよ』という感覚なのだと思います。父という男と良いパートナーシップを築けて、そこから生まれた喜び、愛、お互いを思いやる気持ち、周りの人も含めての人間関係をエンジョイできた二人なわけですが、そういう二人の人生は芳醇なものであって、豊かなものであったと思います」

「名を馳せて、世に羽ばたいていくことが豊かとされる現代ですが、そういう人たちに引けを取らないぐらい豊かな人生を歩んだ二人だと思うんです。それを僕は訴えたかった」

「もう一つ、みなさんに感じ取ってほしいのは、そういう風に生きていった夫婦がいるんだなということに加え、『このロビンがそれだけの人生を生きることができたのだから、私は何ができるのだろう』と考える種にしてほしいということです」

「私はこういう生き方をした両親を誇りに思っているし、私の両親はこういうことをしたんだよとみんなに語りたいのです。そういう意識でこの映画を作りました。だから日本のみなさんもきっと泣くことになると思いますが、楽しんで、泣いて、映画をご堪能いただきたいと思います」