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「誰かに助けを求めるのは恥ずかしいことではない」 五輪銅メダリストのフィギュアスケーターがうつから回復した理由

アスリートが抱えるメンタルヘルスの問題について、五輪銅メダリストリストのフィギュアスケーター長洲未来選手と精神科医の内田舞さんが対談する動画シリーズを作りました。「誰かと辛さを共有し自分を大切にすれば、世界は怖い場所ではなくなる」と1人で抱え込まないよう呼びかけます。

大坂なおみ選手の全仏オープン棄権で、注目されているアスリートのメンタルヘルスの問題。

精神科医の内田舞さんとフィギュアスケーター長洲未来さんがスポーツ選手のメンタルヘルスについて語り合う対談動画シリーズ(全5回)を作りました。

内田舞さん提供

アスリートのメンタルヘルスについて対談したフィギュアスケーターの長洲未来選手(左)と内田舞さん

一時はうつ状態となり、「自分はいなくなった方がいいのではないか」とまで思い詰めたことがある長洲さん。

2人がこの動画で伝えたかったことは何か? 内田さんに聞きました。

一流選手がうつ体験まで赤裸々に語る

ーーこの動画は大坂なおみ選手がスポーツ選手のメンタルヘルスについて呼びかける直前に作られたのですね。すごいタイミングですが、なぜ作られたのですか?

アメリカは5月が「Asian American Pacific Islanders Heritage Month(アジア系アメリカ人、太平洋諸島民の遺産月間)」、そして「Mental Health Awareness Month(メンタルヘルスの啓発月間)」でした。

今年はコロナ禍でのアジア人差別が激しかった1年だったので、アジア系の文化を記念した企画や、メンタルヘルスについてもっと知ろうという啓発活動が盛んに行われています。

YouTubeでこの動画を見る

MGH Child Depression Program / Via youtube.com

5回シリーズの1回目の対談動画。日本語字幕もついている

その一環として、ハーバード大学とマサチューセッツ総合病院に私が企画を持ち出し、私と友人である長洲未来さんの対談の動画が実現しました。

長洲さんは14歳という若さで全米チャンピオンになり、2度の五輪出場、1度の五輪代表落ちを経験しています。五輪代表落ち直後にはうつ状態になり、治療を受け、それを経て、平昌五輪でアメリカ人女性として五輪初のトリプルアクセルを成功させました。

そんなご自身のメンタルヘルスに関して赤裸々に語ってくれ、私が小児精神科医としてコメントをしています。

日本ではほとんど語られないうつや治療の実体験を、日本でも人気のアスリートが語ってくれる機会を無駄にしないように、私自身とっても思いを込めたインタビューとなりました。

また私自身、低レベルではありますが、フィギュアスケートの元選手だったので、熱い思いがありました。

スポーツ以外の世界も持つ必要性

ーー実績のあるアスリートがこれほどの苦悩を抱えながら、競技を続けていたのかと驚くインタビューでした。2014年の五輪代表選考で落ちた時、「スケート以外全てを犠牲にし、学校も行かず、滑る以外何もない人生だった」と長洲選手が自分を振り返ったのは、胸が痛くなるような状態です。

これはアスリート全てに共通する課題ですね。他の世界を知らず、視野がとても狭くなるのです。

未来さんとの対談動画を公開する際に行ったオンラインイベントに、全米チャンピオン、ソチ五輪銅メダリストのグレーシー・ゴールドさんも参加してくれました。

グレーシーさんは2016年の世界選手権で優勝候補だったにも関わらず、4位に終わってしまい、その後うつ病と摂食障害に苦しみました。今は治療を続けながら、現役復帰しており、自分の経験を様々なメディアを通して話してくれています。

内田舞さん提供

内田さん(左上)や長洲さん(右下)に加え、ソチ五輪銅メダリストのグレーシー・ゴールドさん(左下)も参加したオンラインイベントの様子。右上はモデレーターを務めた小児精神科医のジュリアナ・チェンさん

彼女にとっては、世界選手権で優勝することができなかったことが世界の終わりのように感じたそうでした。

ーースポーツ以外の世界がないのが選手を追い詰めていくということでしたね。長洲選手も「目標は『到達したら嬉しい』というレベルではなく、『必要不可欠』『到達できなかったら世界の終わり』だと思っていた」と話す姿が印象的でした。

あの対談の中で、私は、周りの大人が成功と失敗の体験に意味を持たせて、他にも幸せを感じる方法があるんだよと教えてあげることが大事だと話しました。それが私の一番のメッセージですね。

トップアスリートだとそれがとても難しくなるのだと思います。時間も限られますしね。

例えば、アスリートの中でも学校に通っている人とそうでない人がいます。ホームスクールで学んでいるトップアスリートは多いですね。

例えば今、男子のフィギュアスケートの世界チャンピオンであるネイサン・チェン選手は、イェール大学の学生です。アメリカのトップ選手はアイビーリーグと言われる良い大学に通っている人が多いのです。

アメリカの大学はきちんと学業を修めないと卒業できないので、アスリートの場合は8年ぐらいかけて卒業する人もいます。

ネイサン・チェン選手はイェール大学の寮に住んで、「スケートは自分にとって大事だけれども、他の目標に向かっている人が周りにいることが自分の支えになっている」と言っています。

全米選手権で2回優勝し、バンクーバー五輪に出たレイチェル・フラットという選手も、同じようにスタンフォード大学に通っていました。今は心理学の博士課程にいます。

レイチェルさんの母親とは私も交流があるのですが、お母様は、「スケートはとても大事だけど、学校も同じぐらい大事」とずっと言っています。「もっとスケートに集中させるべきだ」というアメリカのスケート連盟と対立したこともあるほどです。

でもお母さんは、「スケートの価値観一つに囚われずに生きていってほしい」と願い、引退後に「自分にはスケート以外に価値がない」という気持ちに陥ってほしくなかったと言っています。

レイチェルさんは度重なる怪我と痛みで苦しまれたのち、21歳で引退し、スタンフォードの学生として学生会長もして、先輩と結婚もしました。学業の世界も持っていたから、今はアスリートのメンタルヘルス、特に摂食障害について研究しています。フィギュアでは摂食障害で苦しむ選手が多いからです。

引退した後も、スケートへの愛を違う形で示せる仕事に生きがいを感じ、目標を感じています。

競技から引退した後の生きがいを作るには、そのための準備も必要だとお母さんがよくおっしゃっていました。学業に限らず、スポーツ以外の世界に触れることは重要だと思います。

選手だけでなく、コーチや連盟の人たちも同じです。ほとんどがスポーツ漬けでその世界の中だけで人生を送っています。若い選手を指導する立場の人も世界が限られていることは問題だ、とお母様は仰っていました。

競技のためではなく、自分のためのセラピーを

ーー長洲選手は2018年の平昌五輪で代表として復活し、五輪で初めてアメリカ人女子選手としてトリプルアクセルを成功させ、チームの銅メダル獲得に貢献したわけですね。すごい復活劇だと思うのですが、それでも個人競技ではトリプルアクセルを成功できなかった後悔を引きずり、燃え尽き症候群のようになります。

五輪直後は、テレビの人気番組にもたくさん出て、メディアに引っ張りだこでした。その後、何もない日ができて、「これから何をしたらいいのだろう」となってしまったのですね。

チーム戦では綺麗に決めたトリプルアクセルでしたが、個人戦では失敗してしまったことで、「自分がやりたいことはやれなかった」という思いが強かったそうです。

個人戦で力を発揮できなかったショックの方が大きく、「オリンピック銅メダリスト」と言われても、「チームのメダルだから嘘をついているような気がする」と、自分に対する落胆の方が大きかった。

AFP=時事

平昌五輪後、USAチームノ銅メダルの立役者としてイベントなどに引っ張りだこだった長洲未来選手とアダム・リッポン選手(2018年3月、第90回アカデミー賞授賞式で)

疲れ切って、燃え尽きたのが24歳の時です。

「自分はスケートしかない人生だけど、他に何があるのか」と考え始めた。大学には通っていたけれど、スケートのような情熱は感じられない。空っぽの気持ちになった時に初めて友人に相談し、心理セラピーを受け始めたのですね。

それが良かったようで、現役時代に受けていれば良かったのにと思ったそうです。

ーー2014年に代表落ちをした時も抗うつ剤を飲んだということでしたね。

しばらくうつ状態を経験し、希死念慮も感じていたそうです。この気持ちで居続けるよりは居なくなった方が楽なんじゃないかという気持ちです。医者にかかった方がいいと友人に勧められチームドクターに抗うつ剤を処方されました。

1か月以上の期間、抜け出せないような落ち込みを感じて、何もする気にならなかったのが、抗うつ薬を飲むことによって、朝しっかり起きて、スケートリンクに行けるようになったと話してくれました。

スポーツ心理学の先生にチームUSAの選手は常に会っているのです。スポーツ心理学のセラピーは、「自分がいかに競技で能力を発揮できるか」に目標が置かれています。

未来選手は、引退後にスポーツと関係ないセラピーを受けたら、競技のためのセラピーではなく、「自分の幸せ」や「自分がスケート以外でどんなことをしたいのか」ということを模索するセラピーで、世界を広げてもらったというのですね。こういうセラピーをもっと前から受けるべきだったと話していましたね。

メンタルの問題を恥ずかしく思う文化

ーートップアスリートがこのようにメンタルの問題で医療にかかったことを公表することは少ないことですか?

公表しない方が多いですし、そういう場合にかかれる医療の存在を知らなかったり、また、抗うつ剤を飲んでいるアスリートは弱いイメージで見られてしまうという不安があるようです。

ーー本人も「薬に頼るのは弱さの象徴だと感じていた」とおっしゃっていました。

アスリートの中にも社会の中にもそういう偏見はあります。ただ日本と比べるとアメリカの方がその偏見は少ないと思います。

もう一点、医療に頼りにくいのは、スケート連盟から、「この人はメンタルが弱い」と印象を抱かれ、投資の対象から外されたくないという恐れがあるのだと思います。そういう意味で自分の弱さを見せられなかったり、助けが必要だと言いにくかっりなっています。

ーー日本人は恥や自責の念が強いと指摘されていたのも印象的でした。

彼女は日系アメリカ人で2世です。両親がアメリカに移住し、彼女は生まれも育ちもアメリカなのですが、引き継いできた文化はなかなか変わらない。自責や恥、世間体は強く感じられているという印象を受けましたし、自分もそう思うと言っていましたね。

ーー対談の中で、アメリカ人の中ではアジア系の15〜24歳のアジア系の女性が全ての人種、年代で2番目に自殺率が高いと紹介したのも驚きでした。

文化に影響されて、完璧主義できちんとしなければいけないという意識が強く、家庭の中で求められる女性としての役割が欧米の文化と違います。勉強はしっかりしなければならないのに、リーダーシップをとる機会が少なく、まさにアジア文化のミニ版が女性を苦しめています。

周りの欧米文化とのギャップも目にして、自分の中でうまく折り合いもつかない。また、細くなければいけないとか、特に東アジアの国は女性の美を他の文化圏以上に重視するところがあります。それも影響し摂食障害も起きています。

さらに白人の家庭と比べて、精神科の医療資源にアクセスしにくい。またアジア系は欧米の文化と比べて、メンタルヘルスの問題を隠そうとする傾向が強いと思います。

摂食障害、細さで評価されない得点基準などを

ーー摂食障害についての話が出ましたが、長洲選手との対談の3回目は「ボディイメージについて」でした。長洲選手も体型を維持するために、過剰な糖質制限をして練習ができなくなることもあったと話していましたね。伊藤みどり選手もずっと体型について言われ続けていましたが、摂食障害は女性アスリートに通じる課題でしょうか。

本当にそうだと思います。確かにフィギュアスケートは芸術ということで、印象も評価されます。

アスリートとしてスポーツをやりやすくするために、細くならなければならないということに加えて、ファンや連盟が求める美へのプレッシャーはすごく強いものだと思います。

フィギュアでは現在、ロシアの少女たちが上位を占めている状況です。回転のしやすさは小さい子の方が回転軸が取りやすく、ジャンプで飛ぶ時に軽い方が高く上がります。余計なものがついていない方が回転の邪魔にならないので、胸やお尻がない方が回りやすいのですね。

でもその体型が強要されて、成長できない状況になっているお子さんがたくさんいます。1シーズン活躍しても、次のシーズンは成長してだめになり、また新しい子が出てくるという使い捨てのサイクルのようになってしまってます。

それはすごく問題です。年齢制限をかけるべきではないかという人もいますが、それでは若い時に能力のある人が発揮できないのも問題です。

得点でジャンプの高さなども重視しつつも、他の人生経験を重ねて豊かになっていく表現力などもしっかり評価されるすべきではないかと思います。

選手のメンタルヘルスのためにも得点のあり方も変わらなければいけないし、フェアなジャッジングが必要になっている時だと思います。

トップアスリートである前に1人の人間

ーー対談動画を見ていると、スポーツ選手にとってその競技は人生を賭けた重要なものですが、競技だけが全てではないということもわかりました。選手が実力を発揮し、引退後もその後の人生を健やかに生きていくには、我々も選手を競技マシンとして見るのではなく、1人の人間として見ることが必要ですね。

選手も1人の人間で、大坂なおみ選手もテニスマシンではないし、長洲さんも氷上で飛んで踊るマシンではない。彼女、彼らの人生なんですね。

競技が終わった後も人生は続きますし、競技以外の人生もあって当然です。彼らは私たちと同じような人生を送っていて、視聴者に消費されるテレビのキャラクターや、映画の中で登場して終わったら消えてしまうキャラクターでもない。

芸能人、アスリートなど有名人全体に言えることかもしれません。彼らも普通の人生を歩んでいるということをファンや見ている人も理解することが必要です。

ーー困ったら、メンタルヘルスを整える医療にかかると良い人もいるわけですね。

メンタルヘルスのサポートは診断名がなければ受けられないわけではありません。問題があるから通うというものでもなく、こういうことを話す専門家がいれば自分の人生のために良いから通う人もたくさんいます。

私自身も研修医の時は通っていました。研修医オリエンテーションでローカルなセラピストのリストを与えられ、「大変な数年間になるけど、なるべく幸せに研修を続けられるようにセラピストに通うことを勧める」と言われていたのです。

ーー長洲選手が最後に語った言葉が印象的でした。「人生に迷った時やアドバイスが必要な時に助けを求めるのは恥ずかしいことではない」「誰かと辛いことを共有し、自分を大切にすると、世界はそれほど恐ろしい場所ではなくなると思います」。アスリートに限らず全ての人に大事なメッセージですね。

つらいことはみんなあって当然です。そんな時には人と共有していい。それがセラピストでも、友達でもいいし、親きょうだい、家族でもいい。「私はつらいんだよ」と言葉にできることによって、つらい中でも生き抜くことが少しでも楽になると思います。アスリートに限らず皆さんに感じてほしいことです。

(終わり)

【内田舞(うちだ・まい)】ハーバード大学医学部マサチューセッツ総合病院小児うつ病センター長、小児精神科医

1982年、東京生まれ。北海道大学医学部在学中に米国の医師免許を取得。同大学卒業後に渡米し、ハーバード大学とイェール大学で研修。2013年より、現職。

Contact Naoko Iwanaga at naoko.iwanaga@buzzfeed.com.

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