マニアにも分からない(?)ビートルズの名曲にまつわる15の事実

    映画『イエスタデイ』に登場するビートルズの名曲の数々。その誕生秘話を曲ごとにご紹介します。

    「昨日まで、世界中の誰もが知っていたビートルズ。今日、僕以外の誰もしらない…」

    1. Yesterday:ポール・マッカートニーが夢の中で作った曲。

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    目を覚ますと同時にピアノに走り、頭の中のメロディをメモったとか。

    どこかで聞いた曲が夢にでてきたのかと心配になったポールは、その後数ヶ月間、会う人すべてに「どこかで聞いたことある?」と曲を聴かせてまわりました。

    みんながみんな「聞いたことない」というのを聞いて、やっと自分の曲だと確信がもてました。

    2. Let It Be:夢に影響されてできた曲。

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    バンド内トラブルをあれこれ抱えていたある夜、ポールは14歳の時に乳がんで他界した母親の夢を見ました。母は、大丈夫だからそんなに心配しなくていいとポールを励ましました。

    この夢から生まれたのが『Let It Be』。

    3. I Saw Her Standing There:ジョン・レノンがある一節だけ作詞。

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    ポールが最初にこの曲を書きジョンに聞かせた時、最初のラインは「She was just seventeen/Never been a beauty queen」でした。

    ジョンはこれを「She was just seventeen/you know what I mean」を変更、世界中の若者から支持される曲へ。

    4. Something:ジョージ・ハリスンが作曲した中で、初めてチャート1位を獲得した曲。にもかかわらず、フランク・シナトラが自身のコンサートでカバーした際「僕の好きなレノンとマッカートニーの曲」と紹介されてしまった。

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    メンバーの中では影の薄かったジョージ。シナトラに「ジャック」と呼ばれてしまったことも。

    5. Here Comes The Sun:ジョージがエリック・クラプトンの家の庭で書いた曲。

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    元妻の再婚相手でジョージの友人、エリック・クラプトン。離婚・再婚後もジョージとエリックの友人関係は続きました。

    ジョージいわく「どこぞの馬の骨と一緒になるよりはエリックといてほしい」。

    6. Carry That Weight:4人全員がユニゾンでコーラスするレアな曲

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    7. The Long and Winding Road:ポールはこの曲をひどく嫌っていた。

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    ジョンとマネージャーのアレン・クレインが、この曲を含む数曲(アルバム『Let It Be』収録)で、プロデューサーにリリースGOサインを出した。それにひどく動揺したポール。

    プロデューサーの手で、ポールのオリジナルからテンポが落とされ、コーラスが増え、ジョンの間違いだらけのベースが追加されたものがリリースされました。

    8. She Loves You:もしポールの父が作詞していたら「Yes, yes, yes」になっていた。

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    「She loves you, yeah, yeah, yeah」のくだりをマッカートニー家のリビングで演奏していたジョンとポール。

    ポールの父はこれを聞き、アメリカ色が強すぎるとして「yes, yes, yes」に変えるべきだとアドバイスしました。

    9. A Hard Day's Night:タイトルはリンゴが命名

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    スタジオにこもりっぱなしの1日、外にでてきてリンゴが一言「It's been a hard day's...」ここにふと「night」とつけたのがきっかけ。

    リンゴには、このような言い間違いと思われる「リンゴイズム(リンゴ語)」と呼ばれる名言(迷言)が多くあり、ビートルズの曲にも影響を与えました。

    その他、リンゴイズムが反映された曲は『Eight Days A Week』『Tomorrow Never Knows』など。

    10. In My Life:曲を作ったのは誰?

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    200曲近い曲を一緒に制作してきたジョンとポールですが、この1曲に関しては両者で「誰の曲か?」という見解に相違があります。

    ジョンいわく、ポールが協力してくれたもののかいたのは自分。ポールいわく、ジョンが書いた詩を見て作曲をしたのは自分。

    ある数学者は、ビートルズの全楽曲を解析し、ジョンが書いたと判断。数学的解析結果では、ポールが書いた可能性はたったの0.018%しかないといいます。

    11. I Want To Hold Your Hand:ドイツバージョンがある。

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    ドイツ市場向けバージョンは『Komm, Gib Mir Deine Hand』。まだビートルズ初期の頃で、レコード会社はドイツ語で歌わない限り、ドイツでのヒットはないと考えました。

    ビートルズはドイツ語を話せないので、結果、ドイツ語の音だけ暗記して歌うことに。

    12. Hey Jude:ジョンの息子ジュリアンに向けた「Hey Jules」という出だしだった。

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    ヨーコ・オノと出会いシンシア・レノンの元を去ったジョン。ポールはジョンの息子、ジュリアンに向けてこの曲を書きました。

    ただ、ジョンの耳には自分のことを歌った曲だと聞こえ、特に「You were made to go out and get her」の部分が、自分とヨーコのことを指していると感じたとか。

    13. Back in the U.S.S.R.:リンゴに変わってポールがドラムを担当。

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    アルバム『The White Album』レコーディング中、リンゴは2週間バンドから離脱した。

    14. Ob-La-Di, Ob-La-Da:ピアノを弾いたジョンはこの曲を嫌っていた。

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    レコーディングが停滞していたある日、マリファナでハイ状態のジョンがあわられ、曲をアグレッシブに演奏。

    これが曲のいいアレンジになったとか。

    15. All You Need Is Love:曲が初めて公開されたのは、世界初通信衛星による特別番組。世界24カ国で放送され、4億から7億の人がこれを視聴。

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    1967年、世界初の試みとして行われた通信衛星で24ヵ国で同時放送された宇宙中継特別番組『Our World』。

    イギリス代表として出演したビートルズは、アビーロードスタジオから中継で、ミック・ジャガー、キース・リチャーズ、エリック・クラプトン、グラハム・ナッシュなど大物アーティストが見守るなか『All You Need Is Love』を披露しました。

    この記事は英語から翻訳・編集しました。 翻訳:soko / 編集:BuzzFeed Japan