女性を支援する団体を運営していた男性、アフガニスタンから脱出 家族は間に合わず

    アメリカを目指してアフガニスタンを発ち、両親もアフガニスタンから呼び寄せようとしていた一人の男性。しかしイスラム政治勢力のタリバンが政権を掌握したことで状況は一変した。

    Wajdi, in Afghanistan, greets women surrounded by the food carts they run
    Courtesy Farhad Wajdi

    ワジュディさんとフードワゴンで生計を立てるカブールの女性たち。

    アメリカは アフガニスタンに残存していた最後の部隊を8月31日に撤退 し、同国における20年間にわたる戦争に終止符を打った。

    しかし、米軍の撤退はアフガニスタン国内でさまざまな不条理をもたらすだろう。ワジュディさんの家族も例外でなく、身のすくむような思いをする可能性が高い。

    ちょうど1年前、ワジュディさんはアフガニスタンの首都カブールで、両親、兄弟と暮らしていた。その頃ワジュディさんは、地域の女性たちによるフードワゴンでの販売を支援する非営利団体を運営していた。

    団体は国際的に注目を集め、アメリカを基盤とするNGO(非営利組織)やアフガン政府の支援を受けていた。

    しかし現在、アメリカやアフガン当局の予想よりもはるかに急速に、アフガニスタンで米軍やアフガン政府を敵視するタリバンが復権したことで、 ワジュディさん家族の生活は一変した。両国の板挟みになってしまったのだ。

    ワジュディさんが運営していた団体は、英ガーディアン紙、BBCニュース、そして中東の放送局アルジャジーラが取り上げた。

    また同団体は、アメリカに拠点を持つアジア財団やグローバル・シチズンなどの国際的組織からも経済的支援を受けていた。アフガン政府に至っては、オートバイを寄贈したほどだった。

    しかし注目を浴びた結果、ワジュディさんがアフガニスタンを去らなければいけなくなった。そして現在、アフガニスタンにいる彼の家族は危険にさらされている。

    ワジュディさんは2020年、アフガンで活動するイスラム過激派組織「イスラム国(IS)」の脅迫を受け、米バージニア州に亡命した。いち早くアメリカに到着したワジュディさんは、いずれ彼の両親や兄弟が合流することを計画していた。しかし、アフガン政権の崩壊が近いとは予測できなかった。

    タリバンが政権を掌握して以来、ワジュディさんの家族は身を隠している。ワジュディさんは、できる限り多くの知り合いに連絡し、家族を避難させるよう頼みこんだ。多くの知り合いや団体が試みたが、残念ながら、いまだ避難できていない。

    ワジュディさんと家族が運営していたフードワゴンの団体は、女性たちがパスタやお米などの昼食を、カブールの通行人に販売するものだった。ワゴン販売はカブールで非常に人気だが、大抵の場合、男性が販売していた。

    2010年、ワジュディさんは家族の協力を得て団体を発足させた。

    女性たちは自らワゴンを押していたが、現地ではそのこと自体がタブーだった。ワジュディさんは当時の情勢について、「女性がカートを押すことは、文化的にとても悪いことだとされていました」と語った。

    Courtesy Farhad Wajdi

    アフガニスタンを余儀なく追放される前、ワゴン販売をしていた女性たちに話をするワジュディさん。

    そのため、ワジュディさんは電子工学の知識がある父親と共に、ソーラーパネルで電力を供給するカートを設計した。母親は女性たちにカート販売を勧め、彼女たちをサポートする役割を担っていたという。

    時には暴言や脅迫の被害に遭ったものの、販売員である女性たちにとっては、家族のためにお金を得る手段となった。特に、未亡人となった女性たちに大きな影響をもたらした。

    しかし昨年、アフガニスタンは新型コロナウイルスのため、ロックダウンに突入。販売員たちは営業を続けることができず、ワゴンは感染対策用品を搭載したカートに改装された

    「母が私に活力を与えてくれたように、もっと多くの女性たちが私の母のようになれるよう助けるべきだと、私のビジョンがより鮮明になりました」とワジュディさんは語る。

    しかし誰もがこのプロジェクトを支援していたわけではなかった。昨夏、ワジュディさんに脅迫電話がかかってくるようになった。

    「知名度とともに、身の危険も感じるようになりました」

    「私用の電話番号からかけてきたある男は、私がアフガニスタンで西洋思想を助長していると言いました」

    その後、脅迫電話は次々とかかってくるようになった。当初、ワジュディさんはまともに相手にしなかった。しかしある時、1件のFacebookメッセージを受け取った。

    BuzzFeed Newsに明かしたその内容は、「(ワジュディさんの)職場と自宅を標的にする」「最終的な行き先は地獄である」と脅迫するものだった。

    メッセージを送信したアカウントは、現在もFacebookに存在しているとされ、現在のアフガニスタン、およびパキスタンの一部の歴史的名称を使用したISの地元組織「イスラム国ホラサン州(IS-K)」の一員であると名乗った。

    アフガンの少数民族ハザラ人の女性を販売員として雇用しているという理由から、ワジュディさんが標的にされたのだ。

    ハザラ人の多くは同じイスラム教徒でもタリバンとは異なる宗派、シーア派を信仰している。タリバンはシーア派ハザラ人を「背教徒」とみなし、激しく弾圧してきた経緯があるのだ。

    「我々に降伏すれば、刑罰を軽減する」とも書いてあった。

    「恐ろしくなりました」とワジュディさんは明かした。すぐに事務所を閉鎖し、約40台のカートを自宅近くまで移動させたという。

    戦争のさなかを何年も生きてきた両親もまた、この脅迫を真剣に受け止めた。

    家族は、ワジュディさんがバージニア州へ行き、難民申請することを勧めた。ワジュディさんはすでにアメリカへの観光ビザを所持しており、叔父も住んでいるからだ。

    ビザを所持していなかった両親は、息子に同行できなかった。

    断腸の思いで決断したが、当時はいずれ両親も合流できると当然のように思っていた。しかし、全てが変わってしまった。

    Courtesy Farhad Wajdi

    ワジュディさんの両親。

    「タリバンが政権の座につくと同時に、私たちはすぐに自宅を手放しました」とワジュディさんの両親は、BuzzFeed Newsにメールをくれた。(BuzzFeed Newsは家族の安全を守るため、名前の公表を控えている)

    というのも、ワジュディさん家族の外出中に、武装勢力が留守の家に押し入り、家中を捜索したからだ。さらには、家族の居場所を尋ねてきたことを隣人が知らせてきた。

    タリバンが首都カブールを掌握した当日、ワジュディさんはニュース番組で群衆が空港に押し寄せている報道を見た。

    飛行機に搭乗できたアフガニスタン人は、偶然その場に居合わせただけという噂が飛び交っていた。危険ではあるが、自分たちが受けた脅迫を考慮すると、カブールに居残る方が酷い目に遭う可能性があった。

    ワジュディさんの両親は危険を冒すことにした。隣人に自宅を監視するように依頼し、数袋分の飲食物以外は全てを残し、幼い子供たちを連れて避難した。数日間、空港付近に滞在し、些細な機会も逃さないように路上で寝起きした。

    噂を頼りに、空港内に人を受け入れているゲートを求めて、ゲートからゲートへ移動した。書類を振りながら、必死に外国の軍事当局や通訳に向かって叫び、助けを求めた。しかし、誰も助けてはくれなかった。

    一方、空港では、何度も水が不足する事態に陥った、とワジュディさんは話す。

    「必要書類を持っていて子どもを連れている人しか通過できません。バッグや荷物の所持すら許されませんでした」

    家族は空港付近で野宿しながら数日間を過ごし、避難できることを祈っていた。

    ワジュディさんは、幾夜も母親と電話で連絡を取りながら過ごした。母親はモバイルバッテリーで携帯電話を充電していた。両親は2人とも同じことを繰り返し言った。

    「息子よ、事態はまったく進展していない」

    ワジュディさんは、日中、彼の団体を支えた財団や記者、アメリカやヨーロッパの友人など、助けを求められそうなあらゆる人に電話をかけた。

    8月26日、テロ勢力が首都カブールのハミド・カルザイ国際空港周辺で自爆テロを仕掛け、少なくとも 170人のアフガニスタン人と米軍関係者13人が死亡した。

    この事件では、IS-Kが犯行声明を出した。タリバンとも対立するIS-Kは、テロを起こすことでタリバンの治安能力と米軍の威信の双方を揺さぶろうとしたのだ。

    その際、ワジュディさんの家族は空港の外の別のゲートにいた。爆音は聞こえたが、その衝撃は感じなかったという。

    現在、家族は再び身を隠している。「とても心配しています」と明かすワジュディさんはニュースでテロのことを知ったという。直ちに電話をかけたが、両親にはつながらなかった。

    その後、まもなく携帯電話がつながり、両親と話すことができた。米軍がアフガニスタンから撤退した今なお、ワジュディさんは希望を持ち続けている。

    タリバンは、外国への渡航ビザや外国籍のパスポートを持つアフガニスタン人は出国できると約束している。しかしワジュディさんは、その声明を信用していないという。

    最後に、彼は「とても辛いです」と胸のうちを明かした。

    「テレビのニュースでアフガニスタンの状況を目にし、母国の未来を想像したとき、とても悲観的に思えます。もし、ある日テレビの前で両親が処刑されたとしたら、どうしよう」

    「父母がパスポートを持っていなかったのも、アフガンの旧政権やアメリカ軍をあてにしていたからです」

    「母国を去るという、心の準備ができなかったのです」と話す。

    「私は、タリバンが急速に政権を乗っ取るのではないかと仮定し、恐れていました。アフガン政府に勤める友人は、その心配を解こうとしてきました。友人の話を一切聞き入れなければ、この事態をもっと早く予測できたかもしれない」

    「まだ夢の中にいるようです」とワジュディさんは続けた。

    「こんなにあっという間に物事が変わることがあり得るのか。全てがこんなに簡単に崩壊するとは、思ってもいませんでした」


    この記事は英語から翻訳・編集しました。翻訳:髙島海人