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HPVワクチンを打った後の痛みにどう対応するか? 治療をしてきた痛み専門医の視点から

あの痛みは「気のせい」ではありません。

ワクチン接種後の痛みは「複雑系?」

「HPVワクチン接種後副反応」だと訴えられている一連の騒動は、日本の痛み診療が諸外国に比べて大きく遅れていることの象徴のように私には思われます。

接種後の訴えとしては、痛みだけでなく様々な症状が現れています。

しかし、ほとんどの場合まず強い痛みが起こり、そこから徐々に症状や障害が広がっていくようです。

症状が出始めた頃に患者さんを診療した医療者が慢性の痛みについて十分理解していなかったため、初期段階で適切な対処が行われず、事態が悪化していった可能性が高いのです。

最も重要なのは、慢性痛と急性痛では考え方が大きく異なるということです。

急性痛はほとんどの場合、疾病や傷害の症状として起こります。したがって、治療の目的は痛みの原因を見つけだし、それを治療することになります。

しかし、慢性痛では原因がよく解らない(見つからない、または見つけたと思われる原因に比べて痛みの訴えが強すぎる)か、他の色々な理由から原因を治療できません。

さらに、痛みの影響が長く続いたため、患者の生活の質(Quality of Life: QOL)が様々な面で損なわれています。

つまり、慢性痛は複雑系であり、その一部にしか過ぎなくなっている痛みだけを治療しようとしてもうまくいきません。どうしたら患者のQOLやADL(日常生活動作:Activities of Daily Living)が向上するのか、という視点から取り組んでいく必要があります。

慢性痛と急性痛の診断が持つ意味の違い

この違いから、急性痛と慢性痛では診断の意味が異なります。急性痛では、例えば、胃が急に痛くなったときに、胃炎、胃潰瘍、胃がんと医療者によって診断が異なったら困る(まずい)でしょう。診断によって治療法が異なるからです。

ところが、慢性痛では治療の目的が患者のADL/QOLの向上であるため、治療法は診断によって大きく異なりません。それぞれに合わせた特別な治療法がないため、治療法の選択肢が多くはないのです。

例えば、ひどい慢性の肩こりに対して、筋膜性疼痛、線維筋痛症、身体表現性障害、などと全く異なる(ようにみえる)診断が付けられても、有効とされる治療法は、運動療法、認知行動療法などの心理療法、一部の薬物療法などを中心としたほぼ共通のものとなります。

慢性痛の診断の主目的は、急性痛やがんによる痛みではないことの確認なのです。

さらに、一般の人の多くが抱いている診断についての誤った認識が混乱に拍車をかけています。

まず、診断名がついたという事は「原因がわかった」ということではありません。これは慢性痛だけの話ではなく、例えば「本態性高血圧」という診断名は「原因が解らない高血圧」という意味です。

また、原因がわかったからといって治療法があるとは限りません。遺伝子異常による先天性の病気の多くは、残念ながら今の医学では根本的な治療はできないのです。

さらに、原因がわからなければ対処法がないという訳でもありません。正常眼圧緑内障の原因はまだ解明されていませんが、対処法の発達により失明する危険性は激減しました。

心理的要因は「気のせい」ではない

その上、臨床心理学が日本では欧米先進国よりもはるかに遅れていることが、様々な人々の誤解を招きました。心理学部がはじめて大学に設立されたのが日本では2000年であったことからもわかるように数十年単位で遅れています。

この遅れのため、様々な疾患(特に慢性疾患)に心理社会的要因が大きく影響するという常識的なことが、日本では医療者にさえあまり認識されていません

HPVワクチンについての厚生労働省研究班の中にさえ、心理社会的因子の影響をほとんど理解していない班員がいたほどです。そこから、「心理的=気のせい」とする誤解が生じましたし、医療者の中にもこの意味で使う者もいて、さらに誤解を助長しました。

欧米先進国では、HPVワクチン接種後の体調不良が大きな社会的問題にはなりませんでした。

アメリカ合衆国のいくつかの州、北欧5か国、ドイツ、オーストラリアなどの「学際的痛みセンター」に勤務している友人たちに、私自身が日本での経緯を説明し、それぞれの国の状況を質問したことがあります。彼らから「なぜそのような奇妙な事態が起こっているのか?」と逆に驚かれ、色々と質問をされてしまう有様でした。

社会問題化しなかった一つの要因は、彼らの勤務先である「学際的痛みセンター」が各国では十分に整備され、慢性痛に対する社会の認識が高かったからだと思われます。

学際的痛みセンターとは、痛み診療を専門とする部門で、欧米ではほとんどの大学病院級の医療機関に併設されています。

重症の慢性痛患者を診療するだけでなく、治療法などの研究、総合診療医を含む各種医療職への痛みについての教育、一般市民・マスコミ・行政などへの痛みに関する様々な情報提供、などを行っています。

日本では全国に数か所ありますが、マンパワーの圧倒的不足によって社会に十分な貢献ができるまでには至っていません。

HPVワクチン接種後の患者さんが治る共通のプロセス

私自身がHPVワクチン接種後の体調不良に苦しんだ患者さんを何人か診療しました。その中で、症状が劇的に軽快した方々に共通したプロセスは以下のようでした。

【1】治療可能な原因が隠れていないか、過去の診療結果も含め様々な角度から検討します。特に、専門的な見地からの心理社会的な評価がされていることは少なく、そこを補う必要がしばしばありました。

また、各診療部門ではそれぞれ様々な検査が行われていてもそれを総合して評価・検討されていることもあまりありません。その上で、結果を患者・家族に納得のいくまで説明しました。

【2】慢性痛治療の基本的な考え方「痛みを治療するのではなく、ADL/QOLを上げること」が目標となることを説明し、納得してもらいます。そして、「雑念」を棚上げして治療に専念して取り組むことも納得してもらう必要があります。

ここで、「雑念」というのは、原因をとことん追究したり、あの時こうすべきだった(すべきではなかった)というような後悔を引きずったり、怒りやうらみの念などを持ったりすることです。

悔しさや怒りを忘れろといわれてもなかなか忘れられるものではありません。忘れようとすればするほど、かえって鮮明に思い出してしまったりもします。

しかし、負の感情を抱えたままでいると、痛みの治療に専念できにくくなりますし、治療効果も十分に上がりません。ですから、忘れるのではなく「棚上げ」、つまり治療が一段落するまで、問題を一時保留するのです。

【3】治療を整理します。すなわち、痛みを和らげているように感じても長期的にはADL/QOLを落としている治療法(主に鎮静系の薬剤)を徐々に減らしていくとともに、必要な治療を開始します。この過程で、一時的に痛みがひどくなる可能性が強いことも説明して納得してもらいます。

【4】慢性痛診療に十分な知識と経験を持った医師・理学療法士・作業療法士・臨床心理士・看護師などが密接に連携して、患者の状態を適宜評価し、その状態にあった治療プログラムを組んで実践していきます。

治療のほとんどは、患者の主体的な参加が必要な、薬剤の減量、日常生活(生活時間帯など)の立て直し、運動療法、心理療法からなります。

ADL/QOLが長い間大きく損なわれている場合、なかなか難しく、途中でめげてしまう場合もあります。しかし、やり通すことができれば大きな成果が得られます。

長い期間慢性痛に苛まれていると、その時々の症状に一喜一憂し、将来への展望を持つことが難しくなります。3年後、5年後、さらには10年後に自分がどうありたいか、そのためには、痛みの他にどんなことが妨げになっているのか、を考えて、それらへの対処法を具体的に考えていくことが重要です。

海外留学ができるようになった女の子も

治療に関わった中には、数年間様々な症状で苦しんでいたのが、海外留学までできるようになった方もいます。

中学2年生でワクチン接種を受け、3ヶ月たった頃から意識を失う発作などにより救急車で病院に運ばれるようになりました。

大学病院級の神経内科や精神科で治療を受けたのに状態は悪化し、頻繁な頭痛や腹痛、声が出ない、物が二重に見える、記憶ができない、手足がしびれる、などの様々な症状に悩まされ、日常生活もままならないようになりました。

その後、紹介されて18歳の時に私のペインクリニックを初診されました。

当科の治療方針として、今まで十分すぎるほどの検査を受けてきて異常が見つからなかったためこれ以上の検査は行わず、若い女性であり原因も見つからないことから薬も使わないこととしました。

その代わりに認知行動療法的な診療を行いました。

具体的には、患者さんと家族に対し、病状と治療方針について十分な説明を行い、不明な点などについて徹底的に質問を受けました。そして治療方針に納得していただいたあとで、簡単な運動療法を指導し、毎日自分で続けてもらうようにしました。

慢性痛患者さんは運動量が激減していることが多いため、基礎的な体力をつける必要があるためと、軽い運動には心身をリラックスさせる効果も期待できるからです。

また、患者さんが何をしたいのか、どういう風になりたいのか、などの夢や希望を話してもらいました。そして、家族と患者さんとの会話のほとんどが患者さんの症状についてだった状況を変えてもらい、患者さんの想いや夢などを話題の中心にして、家族の間で色々と話をするように促しました。

すると、診察開始3ヶ月後に、症状のほとんどは消失し、高校も卒業でき、卒業と同時に受診も終え、海外に語学留学に行きました。

この患者さんが最後の診察の時に話されたことがとても印象的でした。

「大事な青春の一時期をあんなふうに過ごしてしまったのは、すごく悔しい。もう取り戻せないし…。でも、それは自分が今のように成長するためには必要なことだったのかもしれない、と思うようにしています。そして、過去は取り戻せないけど、未来は別のことです。思いっきり生きていくつもりです」

【北原雅樹(きたはら・まさき)】横浜市立大学附属市民総合医療センター ペインクリニック 麻酔科准教授

1987年、東京大学医学部卒業。1991年〜96年、University of Washington Multidisciplinary Pain Center留学。帝京大学麻酔科講師、東京慈恵会医科大学ペインクリニック診療部長、麻酔科准教授を経て、2016年4月横浜市立大学附属市民総合医療センター麻酔科特任教授(兼任)、2017年4月から横浜市立大学医学部麻酔科准教授(ペインクリニック担当)。専門は難治性慢性疼痛の治療。