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コロナワクチンの情報発信で気づく日本の女性の生きづらさ

妊娠中に新型コロナワクチンを接種したアメリカ在住の医師、内田舞さん。ワクチンに関する正確な情報発信を続けている中で、日本の根深いミソジニー(女性蔑視)に気づきました。すべての人がありのままで生きられる社会を作るために伝えたいこととは?

2020年、私はハーバード大学医学部アシスタントプロフェッサーの医師として、また三男をお腹に授かった妊婦として、コロナパンデミックを経験しました。

2021年1月に妊娠中にmRNAワクチンを接種し、翌月元気な息子が生まれました。科学情報を吟味した上でのワクチン接種の決断でしたが、その判断がこれほどまで日本から注目を集めることになるとは全く予想もしていませんでした。

予想外の数のメディアからの取材を受け、コメントに対応するにあたり、私は「日本の女性ってこんなにも不等な扱いを受けているの?」という驚きを隠せずにいます。

渡米してからの14年間、日本社会と密に関わったのはこれが初めてでした。

ワクチン接種の報道 日米で大きな差

私は世界でも初めてに近い段階で妊娠中にこのワクチンを接種させてもらった者として、この後に続く妊婦さんのためになる情報を提供したい思いが強くありました。

私の所属するMassachusetts General Hospital(マサチューセッツ総合病院、MGH、ハーバード大学医学部附属病院)では世界に対して医療情報を発信する部署があります。

その部署が、私が大きなお腹を抱えながらワクチンを接種したときの写真と、妊娠中に感染してしまった場合の重症化や早産のリスクを予防する意義、mRNAの性質を考えた上での安全性に関して私が書いた記事を公開したいと声をかけてくれ、私はその後、日米の取材に応じることとなりました。

その経験は反響の大きさも、反応も、日米で全く異なるものでした。

アメリカでの報道では、「接種のベネフィット(利益)がリスクを大きく上回る」と説明する産婦人科医のコメントと共に報じられ、「科学情報の解説と参考になる考察を語ってくれてありがとう」という感想をたくさんいただきました。

それとは対照的に、日本の報道の多くは視聴者の不安に同調することを優先している印象を受けました。

私が妊婦としてワクチンを接種した1月の時点では、日本ではなんとなく怖いワクチンなんじゃないかと漠然とした不安を抱えた方が多い時期でした。

ワクチンを打つと流産する、不妊になるという全くのデマが知識層にまで蔓延しており、報じるメディア記者も、そして医療者までもその誤情報に惑わされ、科学に基づく対応ができていないことがわかりました。

私は、妊婦に限らず、ワクチン接種の意義や、今わかっている情報とわかっていない情報を考慮して、接種するリスクと接種しないリスクを天秤にかける説明をしました。

お腹の中という見えない場所にいる赤ちゃんのことを一番に考えて悩んでいる妊婦さん達の不安は理解できます。「妊婦さんは接種するにしても、しないにしても、一人ひとりが科学情報を吟味した上で、自分の気持ちにしっくりくる判断をしてもらいたい」と語りました。

その結果、社会に対してはポジティブなインパクトの方がずっと大きかったのは明らかでした。

しかし、同時に少なくない量の誹謗中傷の言葉を受け、私自身へのインパクトに関してはこちらのネガティブな影響も無視できませんでした。

誹謗中傷「最悪の母親」「死産報告書」

最悪の母親、ブス、幼児虐待、発達障害を作り出す母親、胎児の虐殺により人口削減に貢献、といった言葉は何千件にもおよび、「死産報告書: 死因は母親のワクチン接種」などと書かれたメッセージも届きました。

もちろん誹謗中傷によって私の妊娠経過が変わるわけでもなく、誹謗中傷の言葉がコロナウイルスの性質やワクチンのメカニズムを変えるわけでもないので、実際の生物学的な影響力は無に等しいです。

しかし、それを論理的にわかっていても、妊娠中に「お前の胎児は必ず死ぬ」という言葉をかけられ続けると、悲しい気持ちにならざるを得ませんでした。

また、妊娠中にワクチンを接種したとメディアで紹介された私が絶対に健康な子を産まない限り、日本の非科学的なワクチン忌避は更に深まってしまうと、要らぬ責任感を感じてしまいました。

日本文化における母親への責任の押し付け、サポートのなさ

母親ってなんて損な立場だろう。そう、考えるようになりました。

母親(あるいは将来母親になりたい人)は、自分自身と家族(あるいは将来の家族)を守るための責任ある判断を迫られることが多々あります。しかし、その判断をするために必要な情報はなかなか与えられません。

そして一緒に手を握って考えてくれるサポートにも出会えないことが多いです。それにも関わらず、どんな判断をしたとしても、母親としての判断は、批判の対象になってしまう。

私が自分の家族のために責任ある判断をして、どんなに理論的にその判断の意義と安全性を説明しても、「最悪の母親」と批判されるターゲットになりました。

またその誹謗中傷を見た妊婦さんや将来妊娠したいと思う若い女性達が不安を抱き、正しい科学情報やサポートにたどり着けない構図が見えました。

デマも母親の責任と不安をターゲットに

ワクチンデマも同じ傾向を感じました。

ワクチンをうつと流産する、不妊になるという事実はありません。実際流産や不妊というのは、非常に頻度が高いことであり、ほとんどの場合、女性が何かしたから、あるいはしなかったから起こることではありません。

それにも関わらず、流産や不妊を経験された方というのは、自分のせいなのではないかと自責の念を抱えてしまう女性が多く、また母親のせいなのではないかと偏見を持って語られることも少なくありません。

頻度が高い悲しい事象と妊婦さんや将来母親になりたいと思う女性の責任感を突いた悪質なデマだと憤りを感じます。

「発達障害を作り出す母親」という言葉に関しても同じ構図を感じます。

自閉症などの発達障害は、遺伝子由来の脳機能の事象であって、親の言動やワクチン接種で起こることではないと科学的に証明されています。

しかし、長い歴史の中で、発達障害は母親の問題で生じるという非科学的な偏見が蔓延しており、以前は自閉症の子どもを作り出す冷たい「冷蔵庫お母さん」などという言葉がありました。

しかし、実際発達障害をもったお子様たちとそのご家族と関わっている私には、ご家族内で愛情に溢れる関係が築かれていることが明瞭に見えます。その親子関係は、それぞれのご家族独特のものがあって、ステレオタイプなものとは違う形に見えるかもしれませんが、親子の愛情は変わりません。

再度言いますが、母親のワクチン接種により発達障害は起こりません。

ワクチンに関する情報発信の中でのミソジニー(女性蔑視)

女性は、日本ではとくに、社会の中で弱い立場に置かれてしまうことが多い。それを理解し、自分自身が同じ立場に立たされる身だからこそ、女性医師でパンデミックを妊婦として、また母親として過ごした私が日本の女性に伝える発信に意味がある。

そう感じ、正しい科学情報をお届けする努力を続けることにしました。

発信の中でも、ミソジニー(女性蔑視)を感じることは多かったです。

ワクチンを接種するためには老若男女問わず肩を出さなければなりませんが、接種部位が見えるように肩を出して撮った接種後の私の写真に対して、性的なコメントを書き込まれることは日常茶飯事でした。

私の写真がセクシーであっても、セクシーでなくても、私の説明する科学事実は変わりません。しかし、他者が私を「セクシーだ」と判断することで、私が恥を感じるべきだという圧力を感じました。

また、科学者、医師、母、学者、ではなく、性的対象として認識された途端に「この人の意見は信頼できない」とカテゴライズされることも理解しました。

この件を問題視するコメントを私がSNSで発信したところ、私が所属する新型コロナワクチンの啓発団体の医師と交流がある男性医師がご自分のTwitterで、私のコメントを卑猥な人形の写真と並べて投稿されました。「凍結覚悟の投稿!」「怒られるぞ」と面白がっている他の読者の姿も目にしました。

医学部時代、下ネタや風俗の経験話で盛り上がる医学部体育会の男子部室の小さな一角を女子部員が申し訳なさそうに恥ずかしそうに使っていたことがありました。医師になってもこの構図は同じなのだなと感じました。

しかし、私を女性として侮辱する言葉や、性的な表現、容姿を笑うもの、母親として批判するタイプなどの、直球的な数多くの誹謗中傷は、衝撃は受けましたが、あまり影響を受けずに前に進むことができました。

心理的な処理に困ったのは、悪意のないこっそり潜んだメッセージでした。

応援メッセージにも潜む女性差別

ワクチンに関して私の発信を耳にした方々からは日々とてもありがたいメッセージをたくさんいただきます。

「内田舞さんの妊婦姿と専門家としての考えを目にするようになり、ワクチン接種を決断しました。......彼女を目にしなかったら今も迷っているかもしれません。強い意思を持たれていたことに感動しました」という、熱い思いを届けて下さったメッセージがあり、読んでいて私も嬉しくなりました。

しかしその中に、全く悪意はないのでしょうが、女性自身の中にある他の女性への疑いの心を見ることがあり、複雑な気持ちになりました。

例えば、上記のお便りの中に、「最初はいわゆる『勝ち組女性』の意見かと疑っていましたが、目にするたびに真剣さが伝わってきました」という文章が挟まっていました。応援の言葉への感謝と共に、「勝ち組女性」とはどういうイメージなのだろう、そして勝ち組とカテゴライズされた女性の意見はどうして疑われるのだろう、と考えさせられました。

私が妊娠中にワクチンを接種した際の誹謗中傷で死産報告書を送られた件について、涙を交えて話した後に、非常に多くの方から共感、そして励ましのメッセージを頂きました。その中で、心配されたサポーターの方から次のようなメッセージが届きました。

「女の涙は演技、泣き脅しと言った悪しき偏見が向けられてしまうのが現実ですし、女性は才色兼備の女性には厳しいという基本的な風潮や、もちろん嫉妬もあると思います。...他者の目をもう少し気にしてわきの甘さをなくしていただくこともお考えいただく時なのではないでしょうか」

「お前の胎児は死ぬ」と脅す死産報告書を送られた妊婦が泣いて何が悪いのでしょうか。酷い虐めを受けた際の自然な感情さえも「女は」と卑下の対象になることに疑問を感じました。

感情というのは、人間が進化の過程で発達した、我々を守る脳機能です。もちろん感情だけでものごとを語ってはいけませんが、全く感情を否定した議論というのは良くない方向にものごとを進めてしまうこともあります。

私の現在の肩書に関しても、「勝ち組」と称するのは簡単ですが、自分が築きたい人生を築けるように、学生時代からの20年間の血と涙の滲む努力が形となっただけで、誰かに勝つために進んだ道ではありません。自分の興味と意思により出来上がった、これも私の自然体です。

「才色兼備の女性には厳しい風潮の中で他者の目を気にしてわきの甘さをなくす」という提案が、具体的にどのようなものをイメージされているかも理解に苦しみました。

「マイクロアグレッション」 何気ない言動に表れる蔑視や差別

近年アメリカでは、「Black Lives Matter」(※1)や「#MeTooムーブメント」(※2)の中で、「マイクロアグレッション」という言葉を頻繁に耳にします。

※1アメリカでは無実の黒人市民が警察に殺害されてしまう事件が頻繁に起きます。それに対して「黒人の命も大事」と啓発する人権運動。

※2 セクシュアルハラスメントや性暴力を経験した女性同士支え合い、性被害や性差別の撲滅を目指した人権運動

マイクロアグレッションとは、「政治的文化的に疎外された集団に対する何気ない日常の中で行われる言動に現れる偏見や差別に基づく見下しや侮辱、否定的な態度のこと」と定義されます。

元々は白人が黒人に対して無自覚に行う貶しが黒人の精神衛生に悪影響を与えることを研究した医師が提唱した言葉でした。

例としては、学術的な功績を賞賛する際に「黒人っぽくないね」と黒人はアカデミアの世界で成功しないだろうという仮説を元にした発言や、アメリカで生まれ育ったアジア系アメリカ人に対してアメリカ人ではないと決めつけ、「どこの国の出身?訛りないね。」と聞くことなどがあります。

また、被差別者側にしか見えない差別を認識せずに「差別は存在しない」と不平等な扱いがないことを主張すること、などがマイクロアグレッションに入ります。

共通していることとしては、同じような言葉を、人種差別においては強者である白人が受けることはないという点です。

マイクロアグレッションは、日常の中のそこら中に潜んでいます。さらに、誉め言葉の中に含まれたり、相手が傷つけようとする意思がなかったりする場合も多いことも、マイクロアグレッションの扱いを難しくさせる要因です。

そのような言葉を受ける立場にならないと、なかなかネガティブな思いはわかりません。嫌な思いをした経験を共有しても、「深く考えすぎ、気にしすぎ」などと、周りからその思いを否定されることが多く、周囲の理解を得られないため、傷ついた本人の心に残すインパクトは大きくなる特徴もあります。

このような小さな傷が重なるごとに大きなダメージが残ってしまうことも多いです。

日本の女性差別に関しては、未だにマクロなレベルでも存在しますが、それと同時にマイクロアグレッションも日々の会話の中に潜んでいます。各自少しずつ気づきが増えてほしいなと願います。

医学部時代、女性の地位に幻滅 渡米を決意

私が渡米を考えるきっかけになったのは、実はドラえもんのしずかちゃんの存在でした。

ドラえもんの物語の中で「しずかちゃん」というキャラクターは、優秀で、美しく、優しい日本の女性の理想像として描かれています。

しかし、そんな能力のある彼女が、グループでリーダーシップを発揮し、仲間から頼られるような場面を目にすることはあまりありません。

彼女の役割は「のび太さん、頑張って」と応援する役、小学生であるにも関わらず性的な対象としてお風呂を覗かれたりスカートをめくられたりする役、怖がってのび太の後ろに隠れる役、最終的に将来のび太の妻になりのび太の子どもを作ることです。

能力がありながら、能力を発揮せずに、男性をサポートし、性的欲求の対象になることが、女性としての理想として賞賛される文化に、私は違和感を持ちました。

実際、私が日本の医学部に在学していたときの学年は100人中、女性医学生は15人のみでした。

もちろん尊敬するいい友人の男性同級生もたくさんいました。

しかし、同級生から実際に言われた言葉として、「医師は力仕事だから女性には向かない」「女性の社会進出により日本の少子化問題が生じたので、日本のためには女性は働くべきではない」「家庭を持つ夢があるなら、キャリアは諦めた方がいい」などがありました。

また、医学部入学時には先輩が男子新入生を風俗店に連れ出し、翌日彼らからその感想を聞かされることもありました。

医師であっても公に下品な性発言が許される文化も受け入れがたいと感じましたし、「医学部男子学生には結婚目当てにいくらでも女が寄ってくる」と、女性を侮辱するような「武勇伝」を公然と語る男子同級生に不快感を持ちました。

医学監修の漫画でさえ、未成年の女性の下着が見えるように斜め下からの角度で描かれることがあり、しずかちゃん同様、少女の性的描写を日常化することで、痴漢などの性暴力も許容される文化を助長してしまうのだろうと考えました

▼日本の医学部におけるセクシュアルハラスメントに関しては、以前、BuzzFeed Japan Medicalでも紹介した。

医師たちの #MeToo  医療の世界にも蔓延するセクハラ

こんな医療界で生きていた私が、ドラえもんのしずかちゃんの役割に気付いた時は、現状を理解し、問題点を言葉にできたことで、無言の社会的呪縛から解き放たれるような気持ちになりました。

私自身は、日本女性として求められる理想像に自分をはめ込まないでもいいんだ、と思うことができ、解放感を感じました。渡米しようと決心したのはその瞬間でした。

史上最年少の日本人米国臨床医に そこには努力と苦労の積み重ねが

その後、私は史上最年少の日本人米国臨床医となり、イエール大学、ハーバード大学での研修医生活を終え、その後ハーバード大学医学部のアシスタントプロフェッサー、Massachusetts General Hospital (ハーバード大学医学部附属病院、MGH)の指導医、センター長として働いています。

私の経歴を見て、華やかだと思われる方もいらっしゃるようですが、実際は一つ一つの経験がもう二度と繰り返したくないと思うような努力と苦労の積み重ねでした。

日本の大学に所属しながらアメリカ医師国家試験に合格したことも、日本の医学生としてアメリカの研修プログラムに採用されたことも、アメリカの研修生活を修了したことも、その過程には言葉にできないような辛い思い出が詰まっています。

しかし、あの頃の苦労に押しつぶされず、夢や興味を失わずに努力を続けたことは自分の中での揺るぎない自信となっています。

また、今、最前線での子どもの心の脳科学研究と臨床の仕事をしていること、愛する夫と3人の息子達との幸せな家族生活を送っていることを考えると、あの頃の努力や苦労の全てに価値があったのだと思えます。

リーダーシップを取る女性医師として

今私が、ハーバード大学の職場で少しずつリーダーシップを取る立場になっています。学生や研修医の指導、また部下との交流を通して、女性のリーダーシップも単なるリーダーシップとして扱ってもらえる日が来ることを願っています

私の元で働く医師や研究者、サポートスタッフが、ジェンダーや人種や性的指向や子どもがいるかどうかに関係なく自己実現できるように指導し、そして彼らの次のステップに繋がる成果を出せるような機会と責任を与えるように心掛けています。

日本での発信を通しても、私が経験した抑圧を今現在感じている女子医学生に、私のような女性医師がいると知ってもらえ、微力でも彼女たちの心のサポートになれるのではないかと願っています

そして、違うタイプの抑圧の対象になっているマイノリティの方にも、希望を届けられるような発信をしなければと思っています。

幸い私の母は医師で、彼女が医学生のときに私は生まれました。分子生物学者の父と、医師の母の支え合う夫婦に私が育てられたことが、私に与えている影響は大きいです。

息子たちに教えるソーシャルジャスティス(社会的正義)

息子達へのソーシャルジャスティス(社会的正義)の教育も意識的に行っています。

ジェンダーにおいては(もし息子たちが生まれたジェンダーのままでいるのであれば)彼らは社会的強者の立場に立ちます。その際、自分が男性があるがゆえに持った特権(privilege)を認識できる人になり、それを同じprivilegeがない人のために使う人になってほしい。

そのためには、自分の社会的弱者としての認識も重要になり、人種差別においてアジア人というマイノリティとして生きていく大変さに関しても幼い年齢から家族で日常的に会話をしています。

内田医師が語る「小さな子どもの人種差別について話す方法」(英語)

昨年5歳だった長男が、女子教育を禁じたタリバン政権の下、女性であっても教育を受ける権利があると訴え、17歳でノーベル平和賞を受賞したマララ・ヨスフザイについて学校で発表しました。

「女の子も教育を受ける権利がある」と訴え、クラスの支持を得たという話を先生から聞いたのですが、この子たちが大人になる頃には何か変化が起きているかもしれないと希望を持ちました。

私が医学生のときに感じた違和感が、ほんの少しでも世界をポジティブな方向に動かすために還元されればと願っています。

日本へのメッセージ

14年間日本を離れていた私にとっては、日本でミソジニーがいかに日常の中に潜んでいるかを忘れていた14年間でした。今年、こういった体験をする中で、学生時代に感じた日本社会の中での女性の地位に関する絶望感を思い出しています。

しかし、絶望感と同時に、絶望する状況を理解した上で「この型に自分ははまらなくていい」と自分に許可を与えたときの解放感をも思い出しています。自分を偽らなくていい、自分のままでいい。今も昔も。

皆さんにお願いしたいことは、皆さんの周りで、このような気持ちで傷ついている人がいることに気付いてほしいということです。マクロな差別、マイクロアグレッションに関して、気付く努力をしてほしいです。

差別というテーマに関しては、「間違ったことを言ってしまったらどうしよう」と、差別されている人にどう声をかけたらいいかわからないと思われる方も多いのが事実です。また過去に差別的は行動を取ってしまったからと、「自分が発言する場ではない」と感じる方もいると思います。

しかし何もしないことで前進はできません。逆に、間違っても、十分でなくても、過去の後悔があっても、それでも何か行動に出ることで何かが進む、と私は信じています。

間違ってもいい。十分でなくてもいい。過去に後悔があっても仕方ない。 でも、どうか傍観者でいないで。

そして、差別を受ける立場にいて、自分は社会が求める型にはまらないと思ってらっしゃる方へ。自分を偽らなくていい、自分のままでいい。今も昔も。

こう意識することで日本の社会は女性のためだけでなく多くの人のためによくなると信じています。

【内田舞(うちだ・まい)】小児精神科医、ハーバード大学医学部アシスタントプロフェッサー、マサチューセッツ総合病院小児うつ病センター長

2007年、北海道大学医学部卒、2011年、Yale大学精神科研修修了、2013年、ハーバード大学・マサチューセッツ総合病院小児精神科研修修了。日本の医学部在学中に、米国医師国家試験に合格・研修医として採用され、日本の医学部卒業者として史上最年少の米国臨床医となった。

3児の母。趣味は絵画、裁縫、料理、フィギュアスケート。子供の心や脳の科学、また一般の科学リテラシー向上に向けて、三男を妊娠中に新型コロナワクチンを接種した体験などを発信している。

Instagram: @maimaiuchida  Twitter: @mai_uchida