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築地市場、82年の歴史に潜むゴジラの影 「原爆マグロ」はどこに消えた?

移転問題で揺れる世界最大級の卸売市場。あの大怪獣との間にある共通項は、「第五福竜丸事件」でした。

築地市場は、今年で82歳になる。

約480種類の水産物が1日あたり1676トン(2014年)取り扱われている、世界最大級の卸売り市場。その一角にかつて、「原爆マグロ」が埋められたという事実は、あまり知られていない。

あの「ゴジラ」にも着想を与えた、「第五福竜丸事件」にまつわる話だ。

各地に水揚げされた原爆マグロ

1954年3月1日。

太平洋・ビキニ環礁でアメリカが実施した水爆実験「ブラボー」に、日本の複数のマグロ漁船が巻き込まれた。うち一隻の「第五福竜丸」の乗組員が被曝し、半年後に無線長の男性が死亡した。

水爆実験で安住の地を奪われた、という設定の「ゴジラ」に着想を与えた「第五福竜丸事件」だ。

漁船の多くは、「死の灰」と呼ばれる放射性降下物を浴びた。その年の暮れまでに、各地の漁港には、計856隻から汚染されたマグロなどが水揚げされることになる。

汚染魚たちのことを、人々は「原子マグロ」や「原爆マグロ」と呼んだ。市場はパニックに陥り、マグロの価格は暴落。競りが不成立になるなど、被害は大きく拡大した。

広島、長崎の被爆から9年あまりしか経っていない時代だ。人々は「原爆」という言葉に強く反応したのだろう。

その年の11月に公開された映画「ゴジラ」には、こんな場面がある。電車内で、とある若い女性が不安げにつぶやくのだ。

嫌ねえ、原子マグロだ、放射能雨だ、そのうえ今度はゴジラと来たわ。東京湾にでも上がり込んできたら、どうなるの。せっかく長崎の原爆から命拾いした大切な体なんだもの。

マグロはどこに消えた

各地の汚染魚たちをそのまま流通させるわけにもいかず、いずれも、地中に埋められたり、沖合で投棄されたりした。

築地市場に第五福竜丸から水揚げされたマグロ2トンが届いたのは、被曝から約2週間後。3月16日午前3時のことだった。

当時の朝日新聞(同日付夕刊)ではその様子をこう報じている。

築地市場からは同船の魚は街灯に流れていない模様。十六日午後一時半から原爆魚の放射能の測定を行った。

放射能測定器で測定したところ、一ミリグラムのラジウムが持つ放射能と同程度の放射能が記録された。この放射能は相当強いもので、三十センチ以内に長くいると放射能の害を受けるし、またもちろん食べれば危険がある。

マグロたちは、やはりすぐに埋められた。翌朝の読売新聞「原子マグロ土葬 魚河岸はもう大丈夫」には、こんな記述がある。

都衛生局で十六日夜六時から緊急会議を開き、マグロ、サメ等大物販売所に隔離してあった原子マグロを場外駐車場に運び出し地下二メートルに埋めるとともに場内を散水車で洗い斎藤科研所員が付近一帯をガイガー・カウンターで再検査したところ全く放射能は認めず……

マグロが市場内のどこに埋められたのか、正確な場所はわかっていない。

築地市場の設備課長を務める吉田順一さんは、BuzzFeed Newsの取材に「正門らへんではないかという話はありますが、明確な記録はありません」と語る。

平成に入ってから、市場の改築工事や都営地下鉄大江戸線の工事にあたり、該当箇所と思われる部分を掘り返した。しかし、マグロたちの痕跡はなかった。

いままで、異常な放射線が検出されたこともないという。

石碑に込められた願い

原爆マグロはどこに行ったのか。いまはただ、事件を知らしめる金属プレートが、大江戸線A1出口のすぐ横に佇んでいるだけだ。

そこには、核の恐ろしさを伝える警句が、こう書き記されている。

1954年3月1日、米国が太平洋のビキニ環礁で行った水爆実験で被曝した第五福竜丸から水揚げされた魚の一部(約2トン)が同月16日築地市場に入荷しました。国と東京都の検査が行われ、放射能汚染が判明した魚(サメ、マグロ)などは消費者の手に渡る前に市場内のこの一角に埋められ廃棄されました。

全国では850隻余りの漁船から460トン近くの汚染した魚が見つかり、日本中がパニックとなって魚の消費が大きく落ち込みました。築地市場でも「せり」が成立しなくなるなど、市場関係者、漁業関係者も大きな打撃を受けました。

このような核の被害がふたたび起きないことを願って、全国から10円募金で参加した大勢の子どもたちと共に、この歴史的事実を記録するため、ここにプレートを作りました。

本来、ここにはプレートではなく、「マグロ塚」という石碑が建てられる予定だった。

第五福竜丸の乗務員、大石又七さん(83)らが中心となり募金を集めた。しかし都は、再整備の行方がはっきりしていないことを理由に、それを許さなかったという。

けっきょく、「マグロ塚」は夢の島の第五福竜丸展示館に「仮設置」され、築地市場には、プレートが掲げられた。1999年のことだ。

翻弄される「マグロ塚」

被曝し、入院した大石さん。退院後は、差別や偏見をおそれてその体験を隠してきた。

しかし、乗組員が相次いでがんなどで亡くなるなか、声を上げようと決意。自らもがんを患ったが、以来、各地で講演などを続けている。

大石さんは、BuzzFeed Newsの取材に言う。

「世界には、多くの原発や核兵器が存在しています。いつ(第五福竜丸と)同じ状況になるかわからないのに、多くの人たちは、事件をまるで忘れてしまっている。いま、伝えなきゃいけない。石を築地に置いてもらうっていうのは、私に残された大きな仕事なんです」

展示館の塚は、今も仮設置のままだ。しかし、築地市場に「本設置」するという話は進まない。豊洲への移転問題のゴタゴタや、相次いだ知事の入れ替わりの影に隠れている。

もともとは2016年11月の予定だった築地市場の豊洲移転に合わせ、4月からは、塚の移設を求める署名活動を始めた。細々としたものだが、2017年3月までに「まず1万筆」を目指しているという。

「粗末な扱いにはしたくない。50年、100年と残せる、事件を伝えられる塚にしたいんですよ。まずは、この石の存在を小池都知事にも知ってもらいたい」

移転問題が落ち着いたら、署名を提出するつもりだ。

核がもたらした歴史的な悲劇。築地市場も、その舞台の一つになっていた。そのことをどれだけの人が記憶し、これからも記憶し続けていくのだろうか。

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