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本当の被害を、新聞は報じなかった。東京大空襲から74年

300機以上のB29によって首都は焼き尽くされ、10万の命が奪われた。大本営発表もメディアも、その被害の実態を伝えることはなかった。

3月10日、東京大空襲から74年。

Galerie Bilderwelt / Getty Images

米側の記録では、東京大空襲に投じられたB29は344機。1700トンの焼夷弾を投下し、都内は文字通り焼け野原となった。

約10万人の命が奪われ、27万棟が焼け、100万人が家を失った大災害。しかし当時の「大本営発表」はたったの、これだけだった。

本三月十日零時過より二時四十分の間B29約百三十機主力を以て帝都に来襲市街地を盲爆せり

右盲爆により都内各所に火災を生じたるも宮内省主馬寮は二時三十五分其の他は八時までに鎮火せり

現在までに判明せる戦果次の如し

撃墜:十五機 損害を与へたるもの:約五十

130機という数字は、米側の発表とかけ離れる。さらに被害については、「各所に火災」としかされていない。さらに100万の罹災者、10万の死者は「その他」の被害とされた、のだ。

当時の新聞もこうした発表にならい、被害の全貌を伝えなかった。空襲翌日、1945年3月11日の朝刊を振り返る(文章は現代仮名遣いに直しています)。

朝日新聞「帝都市街を盲爆 約五十機に損害 十五機を撃墜す」

当時の朝日新聞

朝日新聞は1面トップで空襲を報じているが、大本営発表そのままの報道だ。詳しい被害の状況は伝わってこない。

一方、社説では「官民猛省の時機」として、「われらの愛する首都、そしてまた大東亜の首都」が被害にあったことを憂いている。

「思うにこれを一言にしてつくせば、我方として余りに不用意であり、無防備あったことは否めない」とも指摘。「正にわが官民共通の責任」とまで言い切った。

被害者への救援が必要であるとともに、「これを次に備うる一大教訓たらしめることこそ、終局の勝利への里程をなすものである」とし、「茫然自失は禁物」と訴えた。

当時の朝日新聞

また、2面では「相当な災害を與へた」として、「今度の災害は今までの観念と方法では征服できない相貌を示している」などと、その被害の様子を少し詳しく伝えている。

「不燃家屋といわれる石造の家も中はがらん洞に燃え抜けて火はそこでも決して止まってはいない、電車通りにはいたるところに家財が山積してありーー」

そのうえで、「救済の手も思うようには伸びなかった、無理もないのである」などと指摘。「軍も官も民もこの場に立ち、この事実を直視し、何故こうなったのか?いかにしてこれを克服するか?を深く考え」て、大規模疎開や食料地下備蓄を進める必要があると訴えた。

加えて、「戦いはこれから」といった戦意高揚を促す見出しも。「家は焼くとも・挫けぬ罹災者」として、ある「着の身着のままの工場主」のコメントを載せている。

「これくらいのことは当然やってくるだろうと覚悟していましたからいまさらおどろきはしません、身体さえ丈夫ならこれからです」

毎日新聞「市街地盲爆 火災朝迄に鎮火 五十機に損害 撃墜十五機」

当時の毎日新聞

毎日新聞はトップ記事の隣(2番手)で空襲を報じた。報道内容に朝日とは大きな差はない。

「市街地盲爆はいよいよ本格化した」とする社説では、「都市爆撃まだまだ序の口である」「これが近代戦の現実の姿である」としながら、「わが日本国民たるもの、国内戦場化はかねて予期したことである。さらに激化する事態にも敢然戦い抜かねばならない」と訴えている。

「徹底的な都市疎開」が必要であり、「市民の家財や住居に対する執着」は抜け切らないのだから「政府が強力にやるほかない」「もう個人の勝手な選択は許せない」とまで言い切った。

さらにB29を撃墜した瞬間とみられる写真を大きく展開。こんなキャプションをつけている。「的確な我が防空砲火に夜空を焦して墜落するB29」

当時の毎日新聞

また、毎日新聞の2面では、焼夷弾落下の瞬間をおさえた写真とともに、戦火を受けて支え合う人たちや罹災者を支援する軍隊の様子をルポタッチで描いている。

ただ、たとえば旅館に避難した人数や配られた乾パンの数などはすべて伏せ字だ。やはり具体的な被害の全容は伝えられていない。

空襲で両親と弟、妹を失ったという21歳の女性が取材に応じ、こう話している。

「これが戦争なのです、私一人ではありません、親弟妹の仇を打つのは一億が一つになって戦わなくてはならないのです」

読売報知「深夜、市街地を盲爆 各所の火災も鎮火 十五機を撃墜 五十機に損害」

当時の読売新聞

読売新聞も、1面は2番手。大本営の発表にならい、「戦力の蓄積支障なし」などとして、具体的な被害には触れていない。

一方、社説では「徹底的都市分散を」と呼びかけた。「敵の本土爆撃は益々熾烈さを加えて来た」として、「敵基地における敵機の充実」があると指摘。

敵の本土上陸作戦の前にはその前に「激烈なる爆撃をわれらの頭上に加えて来るであろう」とまで危機感を示している。これに対する方策は「今日となっては最早都市の分散以外に方法はない」とした。

そのうえで工場や会社、公共機関の地方疎開が必要であると指摘。「終局の勝利に対する信念は(…)動揺するものではない」としつつ、「来襲する敵の裏を掻いて先手先手と施策を講ずるのが戦争政治の要訣である」などと訴えた。

当時の読売新聞

一方、2面では撃墜の瞬間を捉えた写真やB29などの残骸を掲載。

記者によるルポ「この目で見た敵の残虐盲爆」はほかの2紙に比べると、その惨状を細かに記したものになっている。

「廃人となった帝都」という言葉を用い、「焦土となった江東の一角に立つ記者の胸は抑えきれぬ熱いいきどおりに煮えたぎった」との書き出し。

「漆黒の闇が焔でまっ赤に染まった」空襲、赤色に染まったB29の「悪魔の翼」を見ながら「ぎりぎりと無念の歯噛みをしながら戦ったわれわれ都民だった」という描写も事細かい。

一夜明けた「焦土」の描写もリアルだ。足に火傷をした婦人、血の滲んだ手ぬぐいを巻き、リアカーを引く老人ーー。

そして、「記者の行くすぐ前に幼児を抱いて路上に打ち伏している父親がいる。すでに空しい姿である」「幼い子の、老いた婦人の、無残な姿をいくたびに記者は見なければなかったことか」と、被災者の遺体にも触れている。

全体として「敵愾心」を煽る内容ではあるものの、その被害を細かく描いた内容になっているとも言えるだろう。

大本営発表ーーそして。

Keystone-france / Getty Images

太平洋戦争末期に全国各地で相次いだ空襲の被害。奪われた多くの命があったにも関わらず、その実態が報じられることはなかった。

戦況が悪化するにつれ、「大本営発表」は数字や言葉をどんどんとごまかすようになった。そして、メディアはそれをチェックせずに伝え続けた。

首都・東京で大空襲があっても、それは変わらなかった。その後の沖縄の地上戦や広島、長崎への原爆投下でも、だ。

「大本営発表」と「メディア」。両者の関係がもたらした最悪の結果を、私たちは知っている。

UPDATE

一部表記を修正いたしました。


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