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黒柳徹子さんの少女時代がキュートすぎる。クマの人形に隠された悲しい思い出とは

重みのある言葉。

黒柳徹子さんが自身のインスタグラムにアップした、少女時代の写真が話題を呼んでいます。

時事通信

これが、「トットちゃん」時代の黒柳さん。当時としては「めずらしいモダンな、ミニのワンピース」はお母さんの手作りだそうです。

Instagram: @tetsukokuroyanagi

抱っこしているのは、クマのぬいぐるみ。お父さんからプレゼントしてもらったものだとか。

黒柳さんは投稿に、こんなエピソードを記しています。

当時、私の父は、ヴァイオリンの最優秀演奏者として、賞を受賞したこともあって、清朝最後の皇帝、「ラスト・エンペラー」と呼ばれた溥儀に招待され、皇帝の前で、演奏することになりました。

父が、満州に行く前に、「トット助、おみやげは、何がいい?」と、聞いてくれたので、私は、「クマのぬいぐるみ!」と、答えました。

何日か経って、父が、帰国した時、ヴァイオリンのケースと、それよりも大きなクマのぬいぐるみを、持って帰ってきました。

お父さんが招待された満州国は、日本が当時中国の東北部に作った傀儡国家です。そんな時代をリアルタイムで経験しているなんて、まさに歴史の生き証人ですね……!

見たこともない大きな、かわいい人形をもらい、「とっても、嬉しかった」という黒柳さん。しかし戦争の流れには抗えず、クマとはお別れをすることになってしまいました。

1945年3月の東京大空襲をきっかけに疎開をしたという黒柳さん。

そのときの年齢は11歳、いまでいう小学5年生です。疎開先では栄養失調に悩まされたといいます(朝日新聞のインタビューより)。

投稿にはこう、エピソードを綴っています。

戦争が始まり、父も出征し、東京が、いよいよ、危なくなってきたので、残された家族は、青森に疎開することになりました。

私は、父からもらった、そのクマのぬいぐるみを、疎開先に絶対に持って行きたかったのだけど、母に「そんなに大きな物を、持っていたら、汽車には乗れないのよ」と言われて、泣く泣く諦めて、父がいつも座っていた、アームチェアーに、座らせて、家をでました。

東京の家が、「焼けた!」と聞いた時、真っ先に思い出したのは、その父の椅子に座った、クマちゃんでした。

「大切なもの」だったクマとの別れは、とっても辛いものだったに違いありません。

一方、中国戦線へと出征したお父さんは戦後、音信が途絶えました。不安な日々が続きましたが、シベリア抑留を経て、1949年末に帰国したといいます。

今年で84歳になった黒柳さんだからこそ、語ることのできる言葉。とっても重みがありますね。

黒柳さんの半生を描いたドラマ「トットちゃん!」はBS朝日で放送中ですよ🙌

Kota Hatachiに連絡する メールアドレス:Kota.Hatachi@buzzfeed.com.

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