「シリア人はもともと、難民じゃなかった」 脱サラし、現地で支援する日本人の苦悩

内戦前の人口の20%を超える、480万人が国外に避難した。

内戦が6年目に突入したシリアで9月13日未明(日本時間)、今年2度目となる停戦が発効された。アメリカとロシアの合意に基づいたものだが、空爆は今も続いているとの情報もある。

これまでの死者は推定47万人。その多くが市民たちで、さらに480万人以上が国外に避難した。内戦前の人口の20%を超える人数だ。

そんな窮状に少しでも手を携えようと、「脱サラ」をしてシリア隣国のヨルダンに移住し、避難してきた人たちの支援を細々と続ける日本人男性がいる。

「彼らはシリアに帰ることを一番願っているんです。シリアの人たちが、自分の国に帰れる日まで支えていきたい」

そう話すのは、シリア支援団体「サダーカ」代表の田村雅文さん(36歳)。妻と、5歳の息子と3歳の娘とともに、ヨルダンの首都・アンマンに暮らして4年になる。

英国の大学院で国際開発学を学び、日本で民間企業に勤務していたが、2012年春、会社を辞めてサダーカを設立。ヨルダンで仕事を見つけ、移住した。現地で農業開発の仕事に就き、週末にシリア難民の家庭訪問を続けている。

可視化されない「都市難民」

シリアからヨルダンに移って避難生活を送る人たちは、約60万人。その約10%が難民キャンプで暮らす。それ以外の大多数は、都市部にアパートを借りて、家賃を払って生活する「都市難民」だ。

キャンプに住む人たちに注目が集まる一方、街中に散らばって暮らす都市難民の全容は把握しづらい。就労許可が下りないことも多く、その場合は貯金を食いつぶすしかない。月100〜150JD(日本円で1万4千〜2万1千円)ほどの家賃の支払いでギリギリだ。

サダーカは、これまで計300世帯の都市難民を調査。母子家庭だったり、父親が負傷したりしている7家族を対象に、日本で集めた毎月数千円の寄付金を渡したり、食料を配ったりしている。

「訪問では、彼らの辛い現状だけではなく、シリアでどんな生活をしてきたのかを聞いています。紛争になる前の話を聞くと、『あんなことあったよね』と笑顔になったり、家族の話に花が咲いたりする。ほっとする瞬間を提供したいんです」

彼らはもともと「難民」ではなかった

田村さんは、いまは「難民」と呼ばれていても、みんな、「普通の生活を送っていた人たち」だったと強調する。

「5年前までシリア人は、難民じゃなかった。中東やシリアはずっと戦争をしているというイメージを持たれることも多い。でも、決してそんなことはなかったんです」

たとえば、田村さんと同い年の男性は、シリアでは弁護士だった。聡明な人物で、もともとは家族5人で暮らしていたという。

内戦のさなか、道を歩いていたときに戦車の砲弾を受け、妻と5歳の息子、4歳の娘を一気に失った。本人も残された末娘も怪我をし、補助具がないと歩けない。

別の大学生の少女はこうだ。シリアでは父親は薬局のオーナーで、裕福な暮らしをしていたし、ヨルダンでも学校に通えている。流暢な英語も話す。

しかし、兄は、イギリスを目指してドーバー海峡を渡るとき、ボートが沈んで亡くなった。遺体はオランダに流れ着いたが、会いに行くことすらできない。難民であるがゆえに、ヨルダンから外に出ることができないからだ。

「みんな、自分たちも気がつかないうちにこんなことになった、と言う。失って始めて、平和の大切さがわかったという言葉もありました」

かつての友人たちのために

2005年から2年間、青年海外協力隊員としてシリアの農村に赴任していた田村さんは、内戦前のシリアをよく知っている。

よそ者を歓迎し、家族の絆を大切に、日々の暮らしに感謝しながら暮らす人たち。のどかな畑や水辺に、家々や別荘地の広がる風景。

内戦で、その全てが壊されてしまった。

「思い入れのたくさんある国と地域がボロボロと崩れていく姿を見ていると、本当に辛い気持ちになりました。どうしたら友人たちへの恩返しができるのか、考えていたんです」

5年前、内戦の勃発と時を同じくして長男が誕生したことも、田村さんの「脱サラ」を後押ししたきっかけだった。始めての経験に「命の重み」を痛感したという。

一方のシリアでは、「親族や家族を失っていない人はいない」と言われているほど、多くの命が奪われている。

彼らは、どんなに辛い「喪失感」を味わっているのだろうか。父になったことで、そんな想像力が、一気に膨らんだ。

外資メーカーに就職後、コンサルタント会社へ転職。忙しい日々を送っていた田村さんは、どうやって支援するべきなのか、悩んだ。日本にいながらできることは限られている。

「誰かがやらなきゃいけないんだ」。それが、自らの出した答えだった。JICAシリア事務所の仕事を偶然見つけられたことが、大きな弾みとなった。

シリアでかつて知り合った、障害者支援に携わる30代の友人が、ヨルダンに避難していて、再会した。母国人を支援しようと動き始めたシリア人たちとともに、地道な家庭訪問をする活動を始めた。

団体の名前は、アラビア語で「友情」という意味がある。

支援はもはや限界に達している

草の根支援を淡々と続ける田村さんは、いまのシリア支援は「限界にきている」と指摘する。サダーカで支援ができる先も480万人分の数十人に過ぎない。

「どれだけ素晴らしい支援をしても、全然キリがない」

だからこそ、「戦争、紛争を止めるという、根本的な解決」が必要だと、力を込める。

「こんなに困っている人がいますと、かわいそうな女の子の写真を見せる。募金はたくさん集まるけれど、本当の解決にはならない。戦争は人が起こしていることです。支援をしなくてよい社会をつくるためには、戦争を止めないといけない」

そのために力を入れようとしているのが、アドボカシー(市民や政府への訴えかけ)活動だ。

昨年12月には、他のNGOと共に「シリア和平ネットワーク」を立ち上げた。伊勢志摩サミットに向け、日本政府に「シリア和平に向け、日本政府がリーダーシップを発揮するよう求める」提言を出した。国会議員や外務省へのアプローチも続けている。

「世論を喚起」するために、帰国時にはできる限り講演会に出る。ネットTVにも出演し、ドキュメンタリー映画の撮影や、難民を取材するフリージャーナリストの手助けもする。

LUNA SEA、そしてX-JAPANのギタリスト・バイオリニストであるSUGIZOさんらの現地訪問をアテンドし、その後、日本でトークセッションを開いたこともある。

8月に開かれたトークセッションは、抽選で人が溢れるほどの盛況ぶりだった。シリアのことを知らないであろう多くの人たちが詰め掛けた会場で、田村さんは、こんな風に呼びかけた。

「少しでも中東、シリアを身近に感じてもらいたい」

変わらぬ「誰かがやらなければ」の気持ち

そうして奔走していても、状況に大きな変化はなく、自分のしていることに孤立感や無力感を覚えることも多い。内戦が「これ以上は悪くはならないだろう」と思ってから、もう4年が過ぎてしまった。

なぜ、活動を続けるのか。田村さんに聞くと、こう答えた。

「誰かが叫び続けなければ、紛争は15年、20年と簡単に続いてしまうから。僕らがやろうがやるまいが、何も変わらないかもしれない。でも、やることで紛争終結のタイミングを、少しでも早められるかもしれない」

「彼らはシリアに帰り、家族と一緒に暮らすことが一番の願いなんです。そのために、僕らに何かできるのか、と常に考えることが大切だと信じています。そういうことを、これからも伝えていきたい」

Kota Hatachiに連絡する メールアドレス:Kota.Hatachi@buzzfeed.com.

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