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戦争中のお盆も「帰省は自粛」だった? 当時の資料が語る人々の暮らし

「信州戦争資料センター」ではTwitterで積極的に、戦前から戦時中の、庶民の暮らしを伝える貴重な資料を発信している。これまで自費で収集してきた資料は5456点。コロナ禍を生きる私たちにとっては、とても過去のものとは思えないような品もある。

「自粛」をうたうビラ、「お盆に帰省しないで」と呼びかける回覧板、そして「愛国」と記された布マスクーー。

まるでつい最近のものにも思えるが、これらはどれも、戦前から戦時中の、庶民の暮らしを伝える貴重な資料だ。

どれも、ある男性が自費で収集したコレクションの一部。これまで集めたという戦争関連の資料は、実に5000点を超える。これまで投じてきた私費は100万円を優に超えるという。

いったい、なぜ収集を続けているのか。戦後75年の節目、その思いを聞いた。

「僕が戦時下の資料を集めている大きな理由は、資料は絶対に否定できない存在であるからなんです。美化も歪曲もされていない、本当の当時の姿を知ることができる」

そうBuzzFeed Newsの取材に答えるのは、「信州戦争資料センター」の代表を務める50代の男性だ。

長野県内に住む数人の有志が集まって運営している。「センター」というが建物があるわけではなく、年に一度の展覧会やブログTwitterでの情報発信が活動の中心だ。

資料の収集は男性がひとりで担う。これまで自費で収集してきた資料は5456点(2020年8月現在)にのぼり、その種類も幅広い。

雑誌や新聞、政府が戦意発揚のために国民向けに発行した「写真週報」などの印刷物にはじまり、子ども向けのおもちゃやプロパガンダに用いられた国策紙芝居、百貨店のカタログやチラシ、日記や手紙、物資不足のために使われた食器やアイロンなどの「戦時代用品」、そして地域の回覧板にまで及ぶ。

「庶民の生活を軸に、それを取り巻いていたものを集めています。戦争は、前線と後方なんていう区別はなく、生活のあらゆる側面を飲み込んでいく。国全体で動かしていくものですから、歴史を復元していくときに、行政による文書やオーラルヒストリーで残されてきた部分のあいだ、隙間を埋めるような品々が必要だと思っているんです」

「こうした資料からは当時の人たちが歯車のなかで一生懸命になって、戦争を遂行しようとしていたことが伝わってきます。そうやって当時の空気がどういうふうに醸成されていったのか、リアリティを感じてもらいたい。過去は今と断絶したものではなく、つながっているのだから」

そんな思いから、男性は資料を淡々と、センターのTwitterで紹介していく。冒頭に記した「布マスク」(戦前の軍隊マスクとみられる)についてはネット上で大きく話題を呼んだ。

いちばん高かった「軍人精神注入棒」

男性がこうした資料を集めるようになったのは、2007年から。近所のガラクタ市に行った際に、子ども向けの「木銃」があり、ふと手に取ったことがきっかけだった。

「木銃とは、大人や青年学校の生徒たちが銃剣術をするためのもの。しかし売っていたものは普通のものより短く、さらにそこに小学校の名前の焼印が押してあったんです」

「地元の方に聞いたら終戦間近に、高学年の子どもがそれを持って教練していたという話を聞いた。当時小学生の子どもがいたので、担がせてみたらぴったりだった。この子どもたちにまたこんなものを持たせる時代にしたくない、と思ったことが、そもそものスタートでした」

以来、ネットオークションや古本屋などをめぐり、さまざまな「生活にまつわる資料」を収集してきた。

これまで投じてきた私費は、何百万円という。多くは単価はさほどの金額ではないというが、なかでも一番高かったものは、「軍人精神注入棒」だ。

「バッター」などとも呼ばれており、日本海軍が体罰として部下の尻を叩くために使った木の棒。これは、およそ8万円だった。

「とても大きい物で、重さも1.9キロあるんです。実際のところ、どれくらい振り回されてたかはわかりませんが、このようなもので殴ることを教育とする時代には、戻してはいけませんよね」

お盆の帰省は「やめて」

そんな男性が一番好きな資料は、冒頭にも紹介したような自治体の「回覧」だという。なぜなのか。

「政府や軍隊によって決められた決定を人々に伝えるために必要だったのが隣組という制度です。回覧板には、そこでどんな指示が出されていたのか残っている。私が、いちばん興味のあることでもあります」

たとえば1943年8月8日の長野県玉川村(現・茅野市)の回覧には、米節約のために「玄米食を励行しよう」などという14項目の指示が並ぶ。

航空機の潤滑油にするためのヒマの種子や、繊維の材料になるアカソの採取、軍刀の買い上げや農作物の供出、防空訓練に関して……。さらにはこんなものも書かれていた。

「村の人が一生懸命お金を出してつくった火の見櫓も供出のため撤去されるなんていう、切ない報告事項もありました。とにかくお上のいうことには従っていって、ひたすら従って、文句をのみこんで耐える。農家の人たちに思いを馳せてしまいました」

お盆に帰省をしないよう呼びかけたのは、この翌日の回覧だ。そこには行事の簡素化を求める指示が記されている。

お供えに食料を使うことをやめること、お中元の贈答を廃止すること、行楽を控えること、そして帰省を止めるよう身内に通知することーー。

鉄道輸送に迷惑をかけないようにする、というのがその理由だが、コロナ禍を生きる私たちにとっては、とても過去のこととは思えないような内容だ。

安易な共感は「矮小化」につながる?

とはいえ、男性は当時の人たちへの安易な「共感」には危惧も覚えているという。なぜなのか。

「たとえば最近は、当時の生き方に『共感する』という主張が多くなされていますよね。戦争中の人たちも、私たちと同じような人だったというものです。全くその通りなんですが、それでかき消されてしまうことがあると危惧しています」

「多くの資料からもわかる通り、政治体制やそれをとりまく社会状況はいまと異なっていた。安易な共感によってそういうところがかき消されてしまうと、戦争そのものが矮小化されてしまうのではないでしょうか」

だからこそ大切なのは、「歴史に真摯に向き合うこと」だ、と男性は強調する。

「私は資料をベースに当時の生活を伝えるなかで、いまと当時の人々が『同じ』であることを伝えようとはしていません。いまと異なった社会状況において、人々がどんな思考や行動をしていたか、ということを少しでも伝えるようにしていきたいんです」

「その時代に自分がいたならば、どういうふうに感じるのか。同時代体験をしてもらいたいなと思っています。そのうえで、これから先の道を選ぶときに、間違いのないような選択をするための、情報の発信ベースでありたいなと思っているのです」

男性は今後も収集、そして情報発信を続けていくつもりだ。いずれは資料のデジタルアーカイブなどもしていきたいという。

そのうえで「何か過去の資料をお持ちの方、センターに託していいという方がいらっしゃれば、ぜひご連絡ください」と呼びかけた。詳細はTwitter(@himakane1)のDMか、「信州戦争資料センター」のブログまで。