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瓦礫の山で見つかった娘。「行方不明」の子を捜し続ける父親たちの思い

東日本大震災から10年が経とうとするなか、いまだに行方不明者となっている人たちは、2528人。写真家・岩波友紀さんは、あの日から家族を捜し続ける父親たちの姿を追ってきた。その展覧会「One last hug」から見える、現実とは。

父親たちはなぜ、津波にさらわれた子どもたちを、いまも捜し続けるのかーー。

2528人。東日本大震災から10年が経とうとするなか、いまだに行方不明者となっている人たちの人数だ。

あの日から、帰らぬままとなった家族を捜し続けている、父親たち。その姿を追った写真展「One last hug」が、東京・新宿御苑前で開かれている。

この写真は、福島県大熊町で津波に流された木村汐凪(ゆうな)さん(小学1年)の遺品だ。

汐凪さんのこうした遺品、そしてマフラーに包まれた遺骨の一部は、瓦礫の山の中から、震災から6年近く経ったころに見つかった。

福島第一原発の立地する大熊町はいまだに、立ち入りが制限されている。震災後からも本格的な捜索はなかなか進まず、父親の紀夫さんは、いまも汐凪ちゃんの残された身体を捜し続けている。

写真展「One last hug」では、こうして今も捜索を続けている3人の父親にフォーカスを当てている。撮影しているのは、写真家の岩波友紀さん(43)。BuzzFeed Newsの取材にこう語る。

「『もう一度、抱きしめたい』。写真展のタイトルにはこうした父親たちの願いを込めています。なぜ、震災から時間が経ったいまでも、子どもたちを捜し続けるのか。なぜ、捜索をやめないのか。そのひとつの答えが、ここにあると思っているんです」

「なんて、悲しい光景なんだ」

岩波さんが捜索現場に足を踏み入れたのは、2011年3月のこと。津波によって多くの子どもたちや教員が流された、宮城県石巻市の大川小学校を、当時勤めていた新聞社の写真記者として訪れたときのことだった。

「子どもたちが見つかっていない親御さんが、自分たちで泥の中を彷徨って、捜し歩いている光景が目に焼き付いているんです。なんて、悲しい光景なんだと……」

夏までに、多くの子どもたちの遺体が見つかった。しかし、中には「行方不明」のままでいるケースもあった。岩波さんが写真を撮り始めた永沼勝さんも、長男の琴くん(小学2年)を捜していたひとりだった。

「恥ずかしながら、最初のころは半年ほどで諦めてしまうのではないか、と思っていたんです。でもそんなことはなく、永沼さんは琴くんを捜し続けていました」

捜索に携わる人は一人、また一人と減り、いつしか永沼さんだけになっていた。岩波さんはそのときの思いをこう振り返る。

「時が経つにつれ、見つかる可能性も減ってしまう。それでも、あんなに広い被災地を捜し続けている。その背景にあるのは、いったい何なのか。子を思う気持ちだけなのか、知りたいと思うようになったんです」

「息子を見つけたら、死ぬつもりだった」

岩波さんは、福島にも足を向けるようになった。そこでも、やはり子どもの行方を捜す2人の父親たちと出会い、取材をはじめた。

福島では原発事故の影響で、自由に立ち入ることができない地域もある。そのため、捜索もほかの地域に比べて進んでいなかった。

「全ての行方不明者が見つかるまで」を掲げ捜索を続けるボランティア団体「福興浜団」を立ち上げた福島県南相馬市の上野敬幸さんは「息子を見つけたら、死ぬつもりだった」と、語った。

「両親、そして長女の永吏可さん(8歳)と長男の倖太郎くん(3歳)を失い、そして行方不明のままでいる倖太郎くんを捜し続ける上野さんの言葉は衝撃でした。生きていないであろう命を捜すのはなぜなのか。そもそもそれは命なのか、命とは何なのか。そして、なぜ人は生きるのか、というところに、より興味を持つようになったのです」

その後、岩波さんは勤めていた新聞社を辞めた。このテーマにずっと、寄り添っていこうと思ったからだ。

瓦礫の中で見つかった娘

震災から6年近くが経とうとしていた2016年12月、木村汐凪さんが見つかった。瓦礫の山にあったマフラーの中に、その遺骨が包まれていたのだ。

「上野さんは『捜索をやめれば見つかる可能性はゼロになるけれど、捜索を続けていればゼロではない』と言っていた。汐凪ちゃんが見つかったときにその言葉の意味がわかりましたし、自分で『見つからないのではないか』と思っていたことを恥じました」

そう当時を振り返る岩波さんは、一方で子どもを捜し続けてきた遺族たちの複雑な心境にも直面することになる。

「瓦礫のなかで、汐凪さんの遺骨に対面するときもその場にいることができたのですが、父親の木村(紀夫)さんも、そしてボランティアのみなさんも、とても静かだったんです。涙を流すこともなかった。なんでなんだろうと思っていたのですが、あとからそこには『怒り』の感情があったことを知ったんです」

原発事故によって、誰も入ることのできなくなった町に取り残されていた汐凪さん。自衛隊の捜索後、1ヶ所に集められた瓦礫のなかで、ひとり6年近く、土埃にまみれていた。

津波で父、妻も失っている木村さんは「こんな形なら、海に流されて、一生見つからなければよかった」と言った。そこにある感情はやはり、怒りだった。

「抱きしめて、謝らないと」

10月10日に開かれたトークセッションでは、上野さんと木村さん、そして岩波さんが「命を捜すということ」というテーマで語り合った。

上野さんは、いまも倖太郎くんを捜し続ける理由について「親の最大のつとめは子どもを守ること。それができなかった親は、最低の親だと思っています。抱きしめて、謝らないといけない」と語った。

「震災後に生まれた次女は、長女や長男の年齢を超えました。たったこれだけの時間で終わってしまったんだと、ふたりの人生の短さを、次女の成長を見てすごく感じています」

「でも、亡くなった子どもたちには、天国に行けば会えると思っているんです。いつか僕の寿命が切れた時に、子どもたちがパパと言ってくれるんじゃないかと。それが、ものすごく楽しみでしょうがないんです」

一生、問い続けること

一方で木村さんは、汐凪さんが見つかったときの感情について、怒りとともに「津波で亡くなったのか、置き去りにしたことによって亡くなったのかが、わからなくなった」ことへの辛さがあった、とも語った。

「汐凪の身体の8割は、まだ見つかっていません。周りには中間貯蔵施設が建設されるようになっていますが、あそこに間違いなく、汐凪がいるはず。遺骨を全部捜し出すという気持ちもありますが、いまとなっては、こうした現実を伝えるために、あえて汐凪が見つからないようにしているんじゃないか、と感じるようにもなりました」

岩波さんは「捜し続けるということは、贖罪なのかもしれません。喪失の穴埋めなのかも、しれません。でも根本にある命とは何なのか、なぜ生きるのか、という問いの答えは一生見つからないと思います」と語る。

写真展では、そうしたテーマを少しでも感じてもらおうと、見つかった遺品、捜索に携わる父親たちや、それぞれが歩んでいる震災後の日々などの様子を展示している。

「One last hug」は、東京・新宿御苑前のギャラリー「シリウス」で10月14日(水)まで。入場無料、日曜休館。午前10時〜午後6時(最終は午後3時まで)。詳細はFacebookイベントページで。また、写真集「One last hug 命を捜す」にも同様の写真がまとめられている。購入は公式サイトより。