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【全文】「娘の勤務状況は異常だった」 NHK記者過労死、母親が初めて語った思い

過労死防止シンポジウムで、大勢の人々を前に訴えたこと。

2013年に過労死していたことが明らかになったNHK首都圏放送センター記者・佐戸未和さん(当時31)の母親・恵美子さんが11月8日、東京都内で開かれた「過労死等防止対策推進シンポジウム」に登壇し、その心中を語った。

恵美子さんが公の場に立ったのは、今回が初めてだ。時折、嗚咽をこぼしながら。娘に死をもたらした「異常な働き方」について、語った。


2013年7月25日、午後2時半。当時駐在していたブラジルのサンパウロで、私たち遺族は長女未和の悲報を受けました。

娘の職場の上司の方から、主人の携帯に「未和さんが亡くなられた」と。

状況も死因も皆目わからず、半狂乱になった私は主人に引きずられるようにしてその日の最終便に乗り、2日後に帰国。死後4日目の、変わり果てた娘に対面しました。

夏場で、遺体の損傷も激しいため、翌々日に葬儀を出し、私は放心状態のまま家に戻り、毎日毎日、娘の遺骨を抱きながら、娘の後を追って死ぬことばかり考えていました。

人生の道半ばに達することもなく、生を絶たれた未和の虚しさ、悔しさを思うと哀れでならず、親として我が子を守ることができなかった深い後悔の念に苛まれ、自分を責め、いまもなお、もがき苦しんでいます。

あまりに突然の死。真夏、夏場の炎天下、2ヶ月にわたる都議選と参議院選挙の選挙取材中の急死。これは、過労死ではないかと思いました。

娘の勤務先から入手した勤務記録を見たとき、主人は泣いていました。

候補者、政党の取材や演説への同行、出口調査、街頭調査、票読み会議など、情勢についてのテレビ報道、出演、当選確実判定業務などに奔走し、土曜も日曜もなく、連日深夜まで働いており、異常な勤務状況でした。まともに睡眠をとっていませんでした。

「一番弱い未和が犠牲になった」

労災申請にあたり、娘の勤務記録のほか、タクシーの乗り降り記録、パソコンに残っている受発信記録、携帯電話での交信記録を調べた結果、亡くなる直前1ヶ月の時間外労働時間は209時間、その前の月は188時間でした。

どうして、こんなに長時間労働が職場で放置されていたんでしょうか。娘は報道記者であり、事業場外みなし労働時間制が適用されていたようで、職場の上司は娘の死後、「記者は裁量労働で、個人事業主のようなもの」と何度かおっしゃいました。

こうした管理者の意識が部下の社員の労働時間のチェックもコントロールもせず、無制限な長時間労働を許すことになり、また、組織としても社員の命と健康を守るために、適切な労働時間管理を行うという責任と厳格なルールが欠けていました。

同じ職場のチームワークのあり方にも、問題があったと私たちは思っています。記者はめいめいが自己管理という縦割りの考え方が強く、選挙取材中、チーム内で互いに協力し、助け合うこともなかったようです。

いちばん若くて、独身で身軽な未和が、土曜も日曜もなく、連日深夜まで働いていることを、チームのベテラン記者のだれかが気遣ったり、配慮することもなく、職場で一番弱い未和が犠牲になりました。失わずに済んだ命でした。

未和は会社の「人柱」になった

未和が亡くなったあと、会社から娘に対して、都議選、参院選での正確、迅速な当確を打ち出したことにより、選挙報道の成果を高めたとして、報道局長特賞が届きました。

災害や事件で、一刻の猶予もならぬ人の生死に関わるような取材活動に奔走した結果ならともかく、選挙の当確を一刻一秒はやく打ち出すために、200時間を超える時間外労働までして娘が命を落としたかと思うと、私はこみ上げる怒りを抑えることができません。

なぜ、職場でこんな長時間労働が放置されたのか。徹底的な自己検証と過労死への深い反省がなければ、どんな改革も取り組みも浸透しません。

私たちは、未和は今後会社が進める一連の働き方改革の人柱になったと思い、過労死の再発防止と改革の推進を見つめていきます。

娘はかけがえのない宝。生きる希望。夢、そして支えでした。未和の匂い、未和の体の温かさを私はこれからも忘れることはありません。

私たちと同じ苦しみを背負う人が今後二度と現れないことを、切に願っております。