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原爆投下後の長崎を記録した貴重な写真たち

プルトニウム型原爆「ファットマン」は、一瞬にして多くの命を奪った。人々はその後、どう生きたのか。

1945年8月9日午前11時2分、長崎に1発の原子爆弾が落とされた。

時事=米国立公文書館提供

これらは、今から72年前。原爆が落とされた後の長崎の様子だ。

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爆心地から1.5kmにある井樋の口停留所近くの被爆者

当時、約24万人が暮らす長崎の上空約500メートルで炸裂したプルトニウム型原爆「ファットマン」は、一瞬にして多くの命を奪った。

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原爆によって路面電車から投げ出された死者

時事=山端さんの遺族提供

長崎原爆の爆心地付近で故山端庸介さんが撮影した「黒焦げとなった少年」

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市内は一面の焼け野原「原子野」と化し、その年の暮れまでに、約7万4千人が亡くなった。

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焦土と化した長崎市内

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1945年9月17日に撮影された街並み

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爆風で壊れた路面電車

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倒壊した三菱重工の工場

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1945年10月に撮影された山王神社一の鳥居

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1945年10月に撮影された市内の様子

爆心地にあった浦上天主堂。のちに取り壊され、「もう1つの原爆ドーム」とも呼ばれるようになった。

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1946年7月に撮影

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1946年7月に撮影された、爆心地から1キロの長崎医科大

時事通信

浦上天主堂南側入り口。爆心側の入り口で、聖ヨハネ像(右)と悲しみのマリア像が立つ

時事通信

長崎病院から城山方向を臨む

時事通信

爆心地付近の城山国民学校南棟。同校には三菱長崎兵器製造所の給与課が疎開していた

この原爆投下から、73年が経った。被爆者の平均年齢は、82.06歳と過去最高になった。