News·公開 2019年8月9日あの日、長崎で奪われたもの。原爆投下直後の貴重な写真1945年8月9日。長崎に投下されたプルトニウム型原爆「ファットマン」は、一瞬にして多くの命を奪った。人々はその後、どう生きたのか。by Kota Hatachi籏智 広太 BuzzFeed News Reporter, JapanLinkFacebookPinterestTwitterMail 1945年8月9日午前11時2分、長崎に1発の原子爆弾が落とされた。 これらは、今から74年前。原爆が落とされた後の長崎の様子だ。 当時、約24万人が暮らす長崎の上空約500メートルで炸裂したプルトニウム型原爆「ファットマン」。 たった一発の爆弾は、一瞬にして多くの命を奪った。 警告 この画像は過激な描写を含みます。 表示する 表示する 大勢の未来を奪った。 警告 この画像は過激な描写を含みます。 表示する 表示する 市内は一面の焼け野原「原子野」と化し、その年の暮れまでに、約7万4千人が亡くなった。 爆風で壊れた路面電車 倒壊した三菱重工の工場 1945年10月に撮影された山王神社一の鳥居 1945年10月に撮影された市内の様子 爆心地にあった浦上天主堂。のちに取り壊され、「もうひとつの原爆ドーム」とも呼ばれるようになった。 浦上天主堂南側入り口。爆心側の入り口で、聖ヨハネ像(右)と悲しみのマリア像が立つ 1946年7月に撮影された、爆心地から1キロの長崎医科大 爆心地付近の城山国民学校南棟。同校には三菱長崎兵器製造所の給与課が疎開していた 長崎病院から城山方向を臨む それでも。人々は少しずつ、復興へと向かっていった。 原爆投下から74回目の夏。被爆者の平均年齢は、82.65歳を超えた。