財務省の福田淳一事務次官からセクハラを受けたと、テレビ朝日の女性社員が告発したことを受け、多くの女性記者たちが声をあげた。
「記者たちの#MeToo」とも言われたうねりは大きな広がりを見せたが、一方で、マスメディアに勤める男性たちは一連の問題をどう捉えたのか。
「なかったこと」にされたセクハラ被害
「セクハラを経験した人が近くにいなければ、今回のことも他人事だったかもしれません」
そうBuzzFeed Newsの取材に語るのは、テレビ局の20代の男性ディレクターだ。
「当事者でなくても、男であったとしても、セクハラは不快です」
そう言葉に力を込める男性は、目の前で、セクハラ被害が「なかったこと」にされる様子を目撃したことがある。
同じ部署にいた新人の女性が、番組を制作する過程で取材先からセクハラを受けた。「一緒にデートできるなら取材に応じる」などと言われて困っていた。
まだ入社して間もない女性は、取材当初から上司の男性プロデューサーに相談していた。しかし、上司は取材先に抗議することはおろか、相談に乗ることもしなかったという。
「その上司は最初に『なんとかしろ』とだけ言って、その子に対応を任せたんです。まだ入って間もなく、右も左もわからない。締め切りも近かったため、その子はハラスメントをかわしながら、取材を続けていました」
しかし取材が始まると、身体を触らせろ、キスをさせろなどとセクハラがエスカレートした。女性はもう一度上司にかけあったが、当の上司はこう言い放ったという。
「俺は取材しろなんて言っていない。相手がセクハラするかしないかは、自分で見極めろ」
セクハラ被害を自己責任に押し込めるこうした対応には、男性も抗議の意思を表した。しかし上司は「お前には関係ない」と言い、女性とともに冷たくあしらうようになった。干されたのだ。
「良い仕事を振られなくなったり、評価を露骨に下げられたりするようになりました。その子に対しても、『早くやめたらいいのに、使えない』と陰口まで言うようになりました」
自分が加害者になることだって…
そもそもそのプロデューサーは、日頃から社内でもセクハラをするような人物だった。気に入った女性部下に「昨日はアツかったね」「好きだよ」などとメッセージを送って、「やめてくださいよ」といった反応を喜ぶようなタイプだったのだ。
「セクハラを笑いながら、受け流すことのできる女子が好きだったんです。そうした対応力は気遣いなんだと思い込んでいた。それが優れていれば、組織として一人前なんだというような……」
「実際、うまく対応できる子は家に呼んだり、おいしい仕事を振ったりしていた。だから、被害を訴えた女性のことが気に入らなかったんでしょう。それくらい我慢しろ、とでも言いたかったのではないでしょうか」
こうした露骨なセクハラは、少なくはなってきているともいう。それでもまだ、そうした行為がそもそも女性を傷つけている、ということに「気づいていない」男性たちは、少なくないとも感じている。
「僕だって、身近でこういうことを経験していなければ、セクハラを意識することなんてなかったかもしれません。他人事だと受け流していたかもしれなしいし、自分が加害側になることだってあったかもしれない」
だからこそ、今回の件を受け、メディア関係者の女性たちが「#metoo」の声を上げ始めたことは、ひとつの変化になるとも信じている。
「どんどん『私も』という声が広がっていったことには驚きました。『こんなに嫌がっている人がいたんだ』と。いままで笑ってセクハラを受け流していたような女性たちも、とても嫌な思いをしてきたんだと、見えるようになったことの意味は大きい」
「ハラスメントをするのは男性だけじゃないし、メディアの業界に限った話でもありません。そうした人たちが、自分たちがしていたことを見直し、気がつくチャンスになるのではないでしょうか。そうすれば世の中は、少しポジティブに変わるはずです」
記者が服従する、という構図がある
一連のセクハラ問題を受け、これまでとこれからの取材について向き合う男性もいる。
「記者とは、情報を持っている人にいかに擦り寄るか、という姿勢が多くの場面で求められる仕事です。話してもらいたい相手に記者が服従する、という構図がある」
「だからこそ、ハラスメントに対して声をあげにくいという現実もあるのだと思います。自分が我慢して、仕事でネタが取れるんだったら、と思ってしまう人は男女かかわらず、少なくないのではないでしょうか」
そう語るのは、全国紙の30代男性記者だ。
女性記者であれば、今回の問題のように取材先との1対1の飲みの席や、関係者の家に直接取材する「夜回り」のさなかに体を触られたり、卑猥な言葉をかけられたりする、というケースは少なくない。今回の問題発覚以降、多くの女性記者たちが声をあげてきた通りだ。
一方、激しい特ダネ合戦がつきまとう警察取材において、ハラスメントを我慢することは男性記者にだってあることだという。
「たとえば、飲み会の席で裸踊りや女装をしたり、坊主にしたり、ということを上の世代は当たり前にやってきた人もいる。そうやって取材先の前で目立つこと、気に入られることが良いこと、と思われてきたんです」
「10回の夜回りよりも1回の飲み会、100回の飲み会よりも1回の風俗だ、と言う武勇伝も聞かされる。人には言えないような場所にいくことを共有する、バカやってネタとるのが記者なんだ、事件担当というのはそれをやらなくちゃいけないんだと……」
そうしたやり方を、いまだに後輩に強いる上司はいる。「ハラスメント」になりうるとわからずに言ってしまう、やってしまうケースだってある。
「嫌でやっていた人も少なくないはず。セクハラ、パワハラと捉えられたら一発アウト。ギリギリのことをやっているのだと思う」
「多くの人が特殊な業界だと思い込んでいる。その中で仕事をするには、世間ズレした特殊な手段も取らざるを得ないんだ、と。セクハラされてネタが取れればいいじゃないか、と言ってしまうような人間関係や組織になっていることは否めない」
時として組織は嘘をつく。だからこそ…
お酒を飲む、美味しいものを食べる、風俗店に行くーー。取材相手との距離を縮めるための手段として、「飲ませ、食わせ、抱かせ」という言葉は残っている。
「特殊な手段」を実践するかは自分次第だとしても、それが唯一のやり方とのごとく言う上司たちは、少なくない。
「そうやって、いろんなことを我慢してネタを追って行く中に、セクハラやパワハラも含まれていたんですよね。それがいままで、見過ごされていた」
「女性記者が、男性記者と同じような飲ませ、食わせの取材手法とると、当然リスクが常に伴います。その点を組織として知らないフリをして、女性記者が我慢して取ってきたネタで新聞やニュース作ってきたという事実もある」
ただ、取材相手と組織の枠を越えて近かなければならない、という至上命題がある難しさも感じている。
「僕自身、すべてを実践しようとは思っていないし、してこなかった。それでもまず、夜討ち朝駆けで接触して、いつかは2人だけで腹を割って飲まないといけないな、と思っています」
「他に手段がないし、そうしなければ得られない情報があるのだから。正面では会えない人や話をしてくれない人と、どうにかして親しくなるしかない。その方法は、自分で考えるしかない」
セクハラ問題が過熱し、こうした取材手法自体を疑問視する声があがっていることには、不安も覚えている。
実際、野田聖子総務大臣は問題発覚後に「夜回り」などの取材手法に批判的に言及。記者たちからのヒアリングを予定している、と明らかにしたばかりだ。
「昼間の正面からの取材だけでは、本当に聞きたいことは聞けない。組織の建前だけになってしまう。その後ろに、隠したいこと、スクープがある。組織を背負わずに、ひとりの人間として付き合うからこそ出てくる情報がある」
「組織は都合の悪いことは隠したがる。時として嘘すらつく。だからこそ不正や隠したいことを、組織の枠を越えて話してくれる情報源が必要です。1対1の関係性をどう結んでいくかについて、メディア側も今回の問題を機に考え直さないといけない」
現場の記者たちに、我慢を強いてはいけない。しかし、権力と対峙するための取材は不可欠だ。正しい道はどこにあるのか。男性はいまも、答えを見つけられてはいないという。