
地震で大きな被害を受けた熊本城を助けようと、小田原城が立ち上がった。城内で集まった募金などを熊本城修復のために、寄付するという。
「熊本城のああいう姿をみて、同じように城を持つ小田原としても、何かしないといけないと思いました」と小田原市観光課の府川一彦さんはBuzzFeed Newsに経緯を話す。
思わぬ支援を受けた大西一史・熊本市長はツイッターで「お城からお城への支援は歴史的です。私も落ち着いたら小田原城にお礼に行きたいと思います」とつぶやいた。
江戸時代の恩返し
小田原と熊本の関係の始まりは、江戸時代にまでさかのぼる。
1633(寛永10)年の「寛永小田原地震」。マグニチュード7級の地震により建物が複数倒壊し、約150人が死亡。小田原城にも被害が出た。
市学芸員の佐々木健策さんによると、当時の小田原藩主・稲葉正勝と熊本藩主・細川忠利はとても仲が良かったという。ともに明智光秀の姻戚で、稲葉が熊本城を訪れたこともあるほどだ。
地震を知った忠利はすぐに手紙を、江戸にいた忠利の父忠興も見舞いの使者を送った。稲葉は礼状を返したという。だからこそ、今回の寄付はまさに、「400年前の恩返し」とも言える。
#くまモンあのね 東京出張中に小田原城に行ったら、熊本城災害復旧支援の募金箱があって、応援してくださってる気持ちに泣きそうだったよ。5月1日の入館料も熊本城に寄附されているし、ありがたいね。がまだすばい熊本城!がまだすばい熊本!
あこがれの城のために
BuzzFeed Newsの取材に、佐々木さんは「細川さんは親子ともども小田原のことを心配していたんです。1600年代から続く、とても深い縁ですよね」と感慨深げに語る。
城に詳しい佐々木さんにとって、熊本城は「まだ行ったことのない、あこがれの城」だ。特に「武者返し」と呼ばれる石垣が良いのだそう。
その石垣も、今回の地震で大きな被害を受けた。「残念です。文化財にかかわる仕事をしている身として、人的支援などで役に立ちたいと思っています。1日でも早く熊本城が復興するために、自分ができることを模索したいですね」

「胸が熱くなる」
城と城をつなぐ歴史の縁。ツイッター上には、「素敵だ」「すばらしい」「泣ける」。心を震わせる人たちの声が溢れる。熊本県人からの感謝の声も相次いだ。
「熊本城の復興、私たち熊本県民も勿論頑張ります!そしていつか小田原城にも行きたいです」
小田原城内での募金は今年度いっぱい続く。「城の外でも寄付をしたい」という市民の声もあり、観光課では設置場所を増やすことも検討している。
400年ぶりの「恩返し」はまだ終わらない。
