自らの意見と合わないフォロワーへのブロックを連発し、さらにメディアを「フェイク」「デタラメ」と批判する河野太郎行政改革相(自民、衆院神奈川15区)。
新型コロナウイルス感染拡大の切り札であるワクチンを担当することにもなったが、そのコミュニケーションは「トランプ氏的」であると識者は指摘する。
分断を産む、大きな危険性を孕んでいる、とも。Twitterの一部では人気を博す、その手法の何が問題なのか。上下連載でお伝えする。

フォロワー数約226万人。日本の現役閣僚としては最多、現役政治家としても安倍晋三前首相に次ぎ2位を誇る河野氏のTwitterは、これまでも注目を集めてきた。
自らの日常に止まることなく、外務、防衛、行政改革と大臣を歴任するなかで、関連情報や国際会議の裏側などの発信も続けている。
「タローを探せ」といった写真クイズなどを交え、「ファン」との交流にも勤しんでいる一方、批判的なユーザーに対しブロックを連発することから「ブロック太郎」などと揶揄されることもある。
河野氏のTwitterには、ブロック以外に、もう一つの特徴がある。メディアへの批判も繰り返している、という点だ。たとえば、自らが新型コロナワクチンの担当相になった直後の1月20日には、NHKが報じていた接種スケジュールを「デタラメ」と一蹴した。
河野氏は防衛省時代にも秋田県における「イージス・アショア」の配備停止をいち早く報じた読売新聞に対し、「フェイクニュース」と批判。続けて報じたNHKにもやはり同じ言葉を使ったこともある(詳細は連載上で)。
政治とメディアの関わりにくわしい法政大学の津田正太郎教授は、こうした河野氏の振る舞いに「政治家が、ネットで満ち溢れているメディア批判に安易に便乗するべきではない」と警鐘を鳴らす。
トランプ氏との「共通点」とは

「ネットには、そもそもマスメディア批判が喝采を浴びやすい土壌があります。日本ではアメリカなどに比べ、メディアへの信頼度は高い水準にありますが、ネット上で政治的発言を積極的に行うユーザーには根深いメディア不信があります。河野さんのフォロワーにもそういった方が多いのではないでしょうか」
批判的なユーザーをブロックされているからか、その振る舞いには喝采だけが大量に集まっているようにすら見える。
前述の「デタラメ」ツイートに対しても批判もあがった一方、23万件の「いいね」が集まり、「NHK潰そう」「河野大臣頑張って!」「素敵すぎる」などの喝采が寄せられていた。
「そこだけを見ていると、メディア不信が広がっているように誤解してしまいますよね。先鋭化した層に取り囲まれて、メディア不信をさらに増幅させていくと、誰にも越えられないような溝をつくってしまうということになりかねません」
自らの気に入らない報道に対し、「フェイクニュース」という言葉を連発した人物として記憶に新しいのは、アメリカのトランプ前大統領だ。
「メディアがトランプ氏の虚言を厳しく批判したことから、氏は『フェイクニュース』という言葉を連発し、メディア不信を煽りました。それも一因となり、考えの違う人々が、政策に関する意見において対立するだけではなく、お互いがまったく違う世界を生きているようになってしまったのです」
「実際、バイデン氏が不正選挙で当選したという世界線を『現実』であると捉えるような人々が生まれました。こうした状況は『リアリティクライシス』(現実危機)とも呼ばれていますが、それがこじれた結果が、連邦議会襲撃事件でした」
「フェイクやデタラメという言葉には、そうやって相互不信、分断をあおるような危険性があります。政治家としてメディアの報道に文句を言いたくなることは多々あるとは思うのですが、それらの言葉を安易に使ってしまう怖さを河野さんも認識なされた方が良いのではないでしょうか」
河野氏と同様に批判的なユーザーを「ブロック」していたトランプ氏は、訴訟に発展。やはり「私的利用」を主張していたが、その目的は「公的」であり、国民が意見を寄せる機会を奪ったブロックは、言論の自由を保障する合衆国憲法に反しているとの違憲判決が高裁で下され、上訴している。
「真理は暴君に憎まれる」

「フェイク」などの言葉を政治家が用い、批判者やメディアを攻撃することは、河野氏やトランプ氏だけに限らず、決して珍しいことではない。津田教授は「そもそも真実と政治は、相性の悪いものでもあるのです」という。
「哲学者ハンナ・アーレントの『真理と政治』という文章があります。真理が専制的性格を持つというわけで、政治と真理は非常に相性が悪いという論考です」
アーレントは著書『過去と未来の間』(みすず書房、引田隆也・齋藤純一訳、1994年)のコラムにこう記している。
政治の観点から見ると、真理は専制的性格をもつ。それゆえに真理は暴君に憎まれるのである。暴君は正しくも、自分が独占できない強制力が競合してくるのを恐れる。
事実の場合には歓迎できないからといっても、そもそも事実は人の憤慨などものともしない堅固さをもつ以上、あからさまな嘘以外に事実を変更する手だてはない。
厄介なことに(…)事実の真理は承認されることを専断的に要求し討論を排除するが、政治的生活の本質そのものを構成するのは討論なのである。真理を扱う思考とコミュニケーションの様式は、政治のパースペクティヴから見るならば必然的に威圧的である。
「アーレントのいう通り、政治は話し合って様々な意見の妥協点を模索しあっていくもの。『ファクト』か『フェイク』の二元論に陥ると、着地点がどこにも見つけられないことになってしまう危険性を孕んでいます」
「政治には既成事実をそのまま受け入れるのではなく、よりよい方向に変えていくことが求められています。他方においてそこには、事実を都合よくねじ曲げてしまう危険もある。政治家はその間にある狭い小道を、歩んでいかないといけないとの指摘なのです」
「にもかかわらず、河野さんのような有力な政治家が率先して後者のような危険性を選んで分断を生み出していくのが、良いことなのか。本来であれば大切な政治における話し合いや調整を、河野さんは信用していないのかもしれませんが……」
河野氏は昨年2月、国会審議について、Twitterで「質問通告が1問もないのだが、4時間黙って座ってろ、と。仕事したい」などと長時間審理に不満を述べ、野党から「国会を侮辱」していると批判を受けたことがある。
この際は与党理事からも「集中審議の張り付きは極めて大事な仕事」という苦言を呈され、河野氏は釈明に追い込まれた。津田教授はいう。
「「まどろっこしい議論は意思決定を遅らせるだけなので、異論は受け付けない。『フェイク』『デタラメ』であると否定するーー。こうして対決を全面に打ち出す政治は極めてポピュリスト的だと言えます」
「この点もトランプ大統領と同じ手法ではありますが、短期的には人気を得られるメリットはあっても、結果として分断を押し進めることにつながってしまう。『リアリティクライシス』を招きかねず、長期的には誰も得をしないと言えます」
求められるコミュニケーション

アーレントは前出のコラムで、権力による「事実」の扱いについて警鐘を鳴らしている。なかでも「イメージづくり」においては、事実がイメージと反する場合に否定されうる、とも述べているのだ。
歴史の書き換え、イメージづくり、および実際の統治政策において明白となった、事実や意見の大衆操作という比較的最近の現象に注意を向けなければならない。
イメージづくりの場合、いかなる周知の既成事実であろうと、それがイメージを傷つけるおそれがあるときにはやはり否定されるか、無視される。イメージは旧来の肖像画とは異なり、リアリティに媚びるのではなく、リアリティの完全な代用品を提供すると考えられているからである。
政治主導、そしてスピード感、既得権益打破をアピールする一方、自らの思惑と異なるものを否定し、「イメージづくり」に奔走しているようにも見える河野氏に対し、津田教授はこう釘を刺す。
「コロナのような事態は、この国で暮らす全ての人に影響が及びます。一部の人の支持さえ得られればいいという問題ではありませんから、ポピュリズムとは相性が悪く、可能な限り幅広い合意を得ることが求められているわけです。だから、トランプ大統領は太刀打ちできなかった」
「特にワクチンのように争点が顕在化しやすい領域では、たとえば副反応を過度に警戒する人たちを敵視し、ブロックし、『デタラメ』とやっつけるのではなく、きちんと説得して納得してもらうというプロセスが必要です。河野さんも、やはり丁寧なコミュニケーションを優先すべきではないのでしょうか。それは、メディアとの関係においても同様でしょう」
最後に、いまの政治状況を予言していたかのようなアーレントの言葉を、再び紹介する。
権力を掌握する者がたとえいかなる工夫をこらそうとも、真理の代替物となりうるものを発見したり考案したりすることはできない。なるほど、説得や暴力は真理を破壊しうるが、真理に取って代わることはできない。
将来の首相候補としても名前があがる河野氏。その振る舞いや発言は、すべて「事実」として記録されることになる。壊そうとしても、決して壊すことのできないものとして。