700年前の飲み会の様子がパワハラすぎるとネットで話題に

    つれづれなるままに…

    いまから700年ほど前に書かれた吉田兼好の書いたとされる随筆「徒然草」。酒飲みの描写があまりにも現代っぽすぎる、と話題です。

    「徒然草175段を読む限り、我々は700年間飲み会のパワハラに苦しみ続けているらしい」というツイートで話題になった、その内容。

    「飲み会のナニが嫌って、別に気の合う仲間とマイペースに飲むのはいいんだよ。でも強引に絡んできて、無理矢理酒を飲ませたりして面白がるのは意味不明。あんな蛮族の風習、嫌に決まってるだろ」 …的な事が書いてある徒然草175段を読む限り、我々は700年間飲み会のパワハラに苦しみ続けているらしい

    いったい、どんなことが書かれているのか、実際に読み直してみました。

    *太字部分が現代語訳、一部意訳を含みます。全文掲載ではありません

    注目の第175段は「世には、心得ぬ事の大きなり」(世の中には、よくわからないことが多いわ…)から始まります。

    友あるごとには、まづ酒をすゝめ、強ひ飮ませたるを興とする事、いかなる故とも心得ず、飮む人の顔、いと堪へ難げに眉をひそめ、人目をはかりて捨てむとし、遁げむとするを捕へて、引き留めて、すゞろに飮ませつれば、うるはしき人も忽ちに狂人となりてをこがましく、息災なる人も目の前に大事の病者びゃうじゃとなりて、前後も知らず倒たふれふす。

    「何かというと無理やりお酒を飲ませておもしがることは、どんな理由だろうが理解できない」という書き出しで始まる文章は、こう続きます。

    「飲まされた人は耐え難いと眉毛をひそめ、人目に隠れて酒を捨て、逃げようとする。そこを捕らえて、引き止めてむやみやたらに飲ませれば…」

    「礼儀がしっかりとした人も急に狂人みたいになって馬鹿をして、健康な人も大きな病気にかかったように、前後の感覚をなくして倒れてしまう」

    むごい。あまりにもハラスメントの度がすぎる、当時の飲み会の様子が伝わってきます。

    さらに、「無理やり飲まされたら本当につらいんよ…」というような叫びが続きます。

    祝ふべき日などはあさましかりぬべし。あくる日まであたまいたく、物食はずによび臥し、生しゃうを隔てたるやうにして、昨日のこと覺えず、公私おほやけわたくしの大事を缺きて煩ひとなる。人をしてかゝる目を見すること、慈悲もなく、禮儀にもそむけり。かく辛き目にあひたらむ人、ねたく口惜しと思はざらむや。他ひとの國にかゝる習ひあなりと、これらになき人事ひとごとにて傳へ聞きたらむは、あやしく不思議に覺えぬべし

    「お祝い事のある日などは悲惨すぎる。飲まされた方は次の日まで頭は痛いし、食事もできなくて、違う世界に生まれ変わったかのように突っ伏している」

    「昨日のことも覚えてないし、仕事でもプライベートでも大事なことを欠けさせて大変なことになっている」

    無理やり飲まされた方は、いつの時代もたまったもんじゃないんですね。兼好はこうも嘆きます。

    「こんな風な目に人を合わせることは、無慈悲だし、礼儀もなってない。辛い目にあった人は恨みを持たないわけがない」

    「こんな風習が日本にはあるんだと、仮に自分が他国の人だと思って聞いたら、異常な、考えられないものだと思っちゃうよ…」

    その後も「人の上にて見たるだに、心うし」(他人事でも、酔ってるやつは不快だわ…)と、不満は収まる気配がありません。

    思ひ入りたるさまに心にくしと見し人も、思ふ所なく笑ひのゝしり、詞おほく、烏帽子ゑばうしゆがみ、紐はづし、脛高くかゝげて、用意なきけしき、日頃の人とも覺えず。女は額髪はれらかに掻きやり、まばゆからず、顔うちさゝげてうち笑ひ、杯持てる手に取りつき、よからぬ人は、肴とりて口にさしあて、みづからも食ひたる、さまあし。

    笑い罵ったり、喋りすぎたり、烏帽子をひんまげたり帯や紐をほどけさせたり……女性も髪をかきあげて大笑いながらほかの人のお酒を奪ったり、やばいヤツは酒の肴を人に口に押し付けて自分も食ったり…

    兼好はもう呆れて「さまあし」(無様だ)と切り捨てていますが、描写は終わりません。

    あるはまた我が身いみじき事ども、傍痛くいひ聞かせ、あるは醉ひ泣きし、下ざまの人はのりあひ諍ひて、淺ましく、恐ろしく、はぢがましく、心憂き事のみありて、はては許さぬ物どもおし取りて、縁より落ち、馬車むまくるまより落ちてあやまちしつ。物にも乘らぬ際は、大路をよろぼひ行きて、築地、門の下などに向きて、えもいはぬ事ども爲ちらし、年老い袈裟かけたる法師の、小童の肩をおさへて、聞えぬ事どもいひつゝよろめきたる、いとかはゆし。

    現代と変わらず、自慢話をする人もいるし、泣き上戸になるやつもいるし、罵り合ったり、人のものを奪ったり、縁から落ちるやつもいたんですね…。

    さらには、帰り道で馬や車から落ちるやつも。歩きで帰るやつは、大通りで吐き散らしたり立ちションしたり、老人の僧侶が子どもに下ネタを話しかけてて見るにも耐えなかったりしたとか…😟😟😟

    こうして悲惨な飲み会の様子を振り返って見ると、700年経っても人間、進歩がないことがわかります…。

    百薬の長とはいへど、万の病は酒よりこそ起れ。憂忘るといへど、酔ひたる人ぞ、過ぎにし憂さをも思ひ出でて泣くめる

    「酒は百薬の長というけれど、万病は酒から起きている。悲しいことを忘れるともいうけれど、酔ってる人こそ、昔のことを思い出して泣いているじゃん…」

    これ、いまだに言われていることですよね。

    こんな風に酒について批判を書き連ねてきる兼好ですが、後半ではなぜか一転します。

    「かくうとましと思ふものなれど、おのづから、捨て難き折もあるべし」(こんな風に嫌なものだけれど、やっぱり捨てがたいんだよな…)とお酒を持ち上げています。

    月の夜、雪の朝、花の本にても、心長閑に物語して、盃出したる、万の興を添ふるわざなり。つれづれなる日、思ひの外に友の入り来て、とり行ひたるも、心慰む。

    「月の夜や雪の朝、花の下なんかで、のんびりとおしゃべりしながら飲むのは楽しいし、暇な日に思いがけず友達がきて飲むのも、やっぱり楽しい…」

    ん…ちょっと趣を持ち出して自己弁護しているようにしか見えませんが…?

    さらに続く、お酒へのラブレター。どうしたんだ。

    冬、狭き所にて、火にて物煎りなどして、隔てなきどちさし向ひて、多く飲みたる、いとをかし。旅の仮屋、野山などにて、「御肴何がな」など言ひて、芝の上にて飲みたるも、をかし。いたう痛む人の、強ひられて少し飲みたるも、いとよし。よき人の、とり分きて、「今ひとつ。上少し」などのたまはせたるも、うれし。近づかまほしき人の、上戸にて、ひしひしと馴れぬる、またうれし。

    「冬に狭いスペースで煮物をしながら仲良しと飲むのも最高だし、旅行先とかピクニックとかで『こんな肴があったらな〜』と妄想しながら芝の上で飲むのも良い」

    「酒を嫌う人が無理を言われて少しだけ飲むもの、とっても良い。目上の人が特別に『少ないな〜、もうちょっと飲みなよ』と言われるのも嬉しいし、お近づきになりたい相手がのんべえでどんどん仲良くなれるのも、嬉しい…」

    その後も酒推しは続き、最終的には「さは言へど、上戸は、をかしく、罪許さるゝ者なり」(まあ色々言っても、飲んべえは愉快で許しちゃうんだよね…)とまで言い切っています。

    前半であれだけ飲んべえを批判しながら、そんなことを惜しげも無く書いちゃった兼好。結局、彼もまた飲んべえだったのかもしれませんね。