「都議会のドン」と言われた自民党・内田茂都議(7期)。その地盤である千代田区から立候補するのは、27歳の新人女性候補だ。
今回の都議選では、自民党内最年少候補。自らのことを「自民党推し」と語る彼女は、いったいなぜ政治の世界に足を踏み入れようとしたのか。
BuzzFeed Newsは、自民党公認の中村彩氏(27)に話を聞いた。
「私、アクティブなんですよ。土日の予定は5〜6個入れる。朝からブランチからのランチからのアフタヌーンティーからの、バドミントンからの飲み、みたいな生活で……」
中村氏は平成元年(1989年)生まれ。慶應大学大学院法学研究科を修了後、日本取引所グループ(東証)で働いていた社会人4年目だ。
自らを「精神的にも体力的にも超タフ」と語る。立候補表明前の平日には、会社のフレックスタイム制度を使って「5時には上がって友達と飲んだり、好きなことしたり」していたそうだ。
「高校時代から政治家になりたかった」といい、この4月に自民党の候補者公募に名乗りを上げ、選抜の末、千代田区からの出馬が決まった。
「ドンの後継」と呼ばれて
千代田区といえば、「都議会のドン」と呼ばれる内田氏の地盤だ。
内田氏は2016年の都知事選で、自民党の公認候補以外を応援した所属議員は「本人と親族が除名処分の対象になる」という文書を出した。
自民党が相対する「都民ファーストの会」からは、「不透明な中で忖度政治が行われていた。都議会のドンと言われる一部の人たちの顔色を見て、議員や行政が動いていた」(音喜多駿・都議団幹事長、BuzzFeed Newsのインタビュー)と批判される存在だ。
そんな地盤から立候補する中村氏は、「ドンの後継」とも呼ばれる。だが、ネガティブとも取れるイメージが付くことに、臆する様子はない。
「私じゃなくて、誰が出ていても『後継』と言われるはず。付いて回ることだと思っています」
野党からは「若い候補者の擁立はただのイメージ戦略で本質は変わらない」(同)など様々な批判もある。それについては、こう一蹴した。
「よく私がドンに操られる、仕切られると言われるけれど、私にしてみたらちゃんちゃらおかしい話。内田先生の言うことを全部聞いて、言われた通りに話しているわけじゃないですし」
「長年の付き合いがあれば別だけれど、私は公募。内田先生1人に決められたわけじゃない。まったく新しい政治をする気概で立候補したんです」
78歳の内田氏は現職都議の中でも最年長。2人の年の差は51歳、本人も言うように「おじいちゃんと孫」のような関係だという。
「内田先生は個人的に直接会ったら優しいし、良いおじいちゃんですよ。孫のように可愛がってくれる。でも、批判をする声があるなら無視はしないで聞くべきだとも感じています」
「1人が悪いわけではなかったとしても、なんとなく『自民党は悪い』という空気があるのは事実。風通しが悪そう、若い人や女性が少ない……。そんなイメージを払拭するために、私は立候補しているんです」
自民党を「内側から変えたい」
そう語る中村氏は、自民党を「内側から良くしていきたい」と意気込む。
「おかしいことがあれば声を大にしていくし、嫌だったらすぐ無理と言っちゃえるタイプです。はっきりと物事を言っていく政治をしないと」
自民党から立候補するのに、「自民党は古い組織」とも感じているという。どういうことなのか。
「若い人たちには、権力の大きい人の集まりという懐疑心を持たれていて、それが政治離れにつながっているのではないかと思っています。大手企業みたいな巨大組織で、これじゃあ若い人の支持を得られない」
「そもそも自民党だけではなく、政治の世界は女性や若い人が少なすぎる。そういう状況を刷新することができるのは、4年後どうなっているかわからない党じゃなく、長く安定政権を運営している第1党の自民党ですよね」
事実、中村氏の言うように都議会の「女性や若い人」は少ない。
朝日新聞によると、現職都議126人のうち、年代別で見ると多い順に60代が47人、50代が33人、40代が27人。一方で30代は7人、20代は1人だけ。女性は25人と、全体の2割にすぎないという現状がある。
ただ、都民ファーストが千代田区で公認した新人候補の樋口高顕氏も、34歳と若手だ。
2月にあった千代田区長選では、トリプルスコアで都民ファーストの支援する現職が自民推薦の候補に圧勝している。自民党にとって厳しい戦いとなることは間違いない。
中村氏もその点、「女性・若手票を持っていきたいけれど、相手も若い。まだわからない」と語っている。
政治家になろうとしたきっかけは
それにしても、なぜ平成生まれの27歳(記者も同い年)が都議選を目指そうと思ったのか。
父親の転勤の関係で地方を転々とし、富山県で小・中学校時代の多くを過ごした。
「私はずっと地方を転々としていたから、こんな良い国はないだろうといつも思っていた。愛国主義的な意味ではなく、平和で安全で、戦争も起きていなくて、食べ物も美味しくて、やりたいこともできるような環境がある」
その後、神奈川県の慶應義塾湘南藤沢高等部に入学。政治家を志すようになったのは、高校時代だったという。
「帰国子女が多い学校だったのですが、そのメンバーたちが、みんな日本のことをあんまり好きじゃなかったことが、一番の理由です」
「将来は海外に住みたい、海外で働きたいと言う子や、日本の良さがわからないという子が多かったことに違和感を覚えて。日本人としての誇りとか、アイデンティティーが少なかったのが、悲しかった」
日本の経済を再興し「プレゼンスを高めること」で、国内外の人たちを引きつける国にしたい。そういうことができるのは、政治家だと思った、という。
「きっと、アピールが足りていないんです。日本が世界の中心だと思えるくらい、いちばん豊かで、尊敬もされていて、みんなが住みたいと思うような国にしたい」
「私は自民党推し」と語る理由
大学、大学院と経るにつれ、中村氏は政治家になる道筋を具体化していった。
法学研究科に在学中には、憲法を研究する傍ら、自民党の片山さつき議員事務所でのインターンなどを経験。
社会人になってからは、自民党の政経塾にも入塾し、2016年には、小池百合子都知事が設立した「希望の塾」にも入ったという。
「希望の塾」に入っていたにもかかわらず、小池知事が代表を務める都民ファーストから出馬しなかった理由は何なのか。
「実は最初は都民ファーストの公募にも応募していたんです。でも、面接の際に、なぜ議員になりたいのかという志を聞かれることがなかった。就活で言えばTOEICの点数しか聞かれず、熱意を話せなかったような感覚で。それが私にはショックだった」
「それに、そもそも私は思想は自民党。都民ファーストも当初は小池知事が自民党員だから良いなと思っていたのに、民進党出身者や生活者ネットなどと組んで、思想がバラバラになってしまった。変な話、『自民党推し』の私がなぜそこに入るべきかもわからないな、と感じていました」
なぜ、「自民党推し」なのか。
「富山など生まれ育った地域では保守が強く、支持するのは当然に自民党という環境だったからですね。親も自民党を応援していて、小さいときからの教育が大きかったのかもしれません」
「もう一つは、憲法改正です。自民党は党是として改正を掲げていますが、私も賛成。大学院で災害時における憲法の役割を研究しているうちに、有事に政府の権限を定める『緊急事態条項』は必要だと思ったんです。時代の状況に合わせないといけない。こんなに緊迫している情勢がある中で、よく変えないな、と」
病床の母にかけられた言葉
「自民党推し」の中村氏は、都議選候補者の公募をテレビで知ったという。「力試し」のような気持ちで応募し、面接をしたその日のうちに合格した。
「すぐに連絡が来て悩んだんですが、その場に家族がいて。父親と妹に相談をしたら、心配しつつも『彩がずっとやりたいと言っていたことのチャンスだから、やってみたら』と言ってくれたんです」
こうして政治家への道を手繰り寄せようとしている中村氏。でも、いちばん意外に思っているのは彼女自身だ。
「もともとは35歳まで働いて、それから政治の道に進みたいと思っていたんです。でも、この半年間で話が進んで。自分でもびっくりしています」
どうして8年も早く、政治の道に?
「実は、去年の7月4日に母親を癌で亡くしたんです。それが大きかった」
余命宣告を受けた母親は、看病をする中村氏に「人生にやり残したことはない」と語りながら、こんなことを教えてくれたという。
「いつ若くして死ぬかわからない。目の前にチャンスが来たり、誰かが助けてくれたりする機会があれば、どんどん使ったほうが良い。やりたいと思ったことは、絶対にやった方が良い」
SNSも「当たり前に」活用
日々の活動では、街頭での辻立ちだけではなく、SNSも活用する。TwitterにFacebook、Instagram……。忙しい合間を縫って、すべて自分で管理をしている。
「当たり前のツールとして使っています。まず私の友達に知ってもらいたいし、その友達たちの後ろには、100人の有権者がいるんです」
「そのうちの誰か1人に、私の考えを知らせることができれば良い。まさに『バズらせる』ですね。できるだけ多くの人に、シェアしてもらいたい」
好景気を経験したことのない世代だ。
自身が声を代弁したい若者たちの気持ちもわかる。「日本がやばくなっていくんじゃないか」と思っている人も多い。だからこそ「東京の経済を盛り上げたい」という。
誰もがチャレンジできる街をつくりたい。ビジネスのしやすい街にしたい。地方に多くの友達がいるからこそ、「地方と東京の関係を作り直したい」——。
都議として挑戦したいことは尽きない。そんな中村氏は、どんな政治家が理想なのか。
「自分だけじゃなく、有権者のために信念を貫き通せるようになりたいと思っています。社会がこうあった方がより良いだろうと気持ちを貫き、発信していきたい」
最終的な夢は「総理大臣」。しかし、まずは「身の回り」から変えられるようになりたいという。だからこそ踏み出した、都議への第一歩だ。
「もちろん、なりたいという気持ちと、なれるかは別です。自分の身の回りのことを変えられない人間がもっと大きいことを変えられるかと言ったら、変えられないとも思うので」
亡き母の言葉に背中を押された最年少候補は、いよいよ9日間の選挙戦に臨む。