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鬱を抱える芥川賞作家を救った、「吐き出す」ということ

「蛇にピアス」の金原ひとみさんに聞いた。

20歳という若さで芥川賞に輝いた、ひとりの小説家がいる。

金原ひとみ、34歳。10年以上にわたって筆をとり続けてきた彼女はいま、2人の娘の母親となった。

なぜ彼女はひたすら、物語を紡ぐのか。彼女にとっての小説とは、何なのか。


東京は金曜日の夜だったけれども、取材のためにSkypeをつなげた画面の向こうは昼下がりだった。

「インタビューをされるといつも、『小説読むとすごい人に見えるけど、会うと普通ですね』って言われるんですよ」

BuzzFeed Newsのインタビューに応じた彼女は、パリにいる。

デビュー作「蛇にピアス」で芥川賞を受賞し、「蹴りたい背中」の綿矢りさとともに世間の注目を浴びたのは、13年前のこと。

受賞した年に担当編集者と結婚し、東日本大震災を機にフランスに移住。34歳となった彼女はいま、娘2人と夫との4人で暮らしている。

「年に数回は消えてしまいたいと思う時があります。消滅欲求が、わっと盛り上がる時が定期的にあって。もちろんきっかけはあるんですが」

真っ白な光が差し込む部屋の中で。彼女は自らが抱えている鬱のことを、淡々と語り始めた。

消えたい、と思い続けてきた

「10歳のころ非常階段から飛び降りようか悩んで、毎日泣いていた時期がありました。その衝動的な想いの強さは、この20年くらい、あんまり変わっていないような気がします」

「そういう時は決まって、ピアスをしたり、タトゥーを入れたくなります。十代の頃はリストカット、二十代では拒食や筋トレ、とにかく身体的に辛いことをしてお茶を濁すというか、ごまかしごまかしやってきました」

その言葉の端々に、重苦しい空気はない。「だから根本的な解決ではなくて、対症療法でしかないんですけどね」と笑い飛ばすほどだ。

「『蛇にピアス』で書いたのも、結果的にはそういうことでした。生きていくためにピアスやタトゥーをいれたのに、逆に落ちていく。死ぬ気力もなくなって、落ち込んでいく惹かれるものにのめり込んでいった結果、生きる実感が取り戻せなくなったという話でもあります」

19歳で執筆した「蛇にピアス」では、「生きている実感」を得ようと、ピアスや刺青などの「身体改造」にのめり込む同い年の少女・ルイを主人公にした。そこには、こんな台詞がある。

私は一体、いつまで生きていられるんだろう。そう長くないような気がした。部屋に帰ると、舌のピアスを2Gにした。ググ、と押し込むと血が出た。痛さのあまり涙が出た。私は一体何のためにこんな事をしてるんだろう。

執筆から10年以上が経った、いまも。彼女自身とルイに重なる部分はそのまま、存在し続けている。

救いのなかった小説は、変わった

「やっぱりどの登場人物も、自分とどこかしら共通しているものがあります。自分の中にないものは書けないと自覚していて。すべての登場人物が分身です」

金原ひとみ、と聞けば暗い作品を思い浮かべる人も多いだろう。

恋愛、セックス、結婚、育児。愛し愛されること、他人や社会と関わること、食べること、「生きている実感」を見出すこと——。

そんなことに生きづらさを感じたり、悩んだり、そして時にぶち壊したりする人間模様を、彼女は、緻密に描いてきた。

変化もある。デビュー当時は若い女性たちが主人公であることが多かったが、その対象が母親や娘たち、男性へと広がっているのだ。

一人称の「自分語り」ではなく、育児に悩む3人の母親の視点(「マザーズ」)など、複数の人物から描かれるものも増えた。

「初期の頃は、自分の思いをわっと詰め込んで、後付けで社会にコミットしていく、というような書き方をしていた。でも最近は、一人の視点では書ききれないことを書きたいと思うようになってきた」

「自分だけが見えている世界だけで小説を書いていくと、魚眼レンズみたいに歪んでしまうところがある。その歪みがいい作品に結びつくこともあるけど、最近はできるだけ多角的な視点を取り入れたいなと思っているんです」

彼女が「思いをわっと詰め込んだ」文章といえば、鬱を抱えた女性作家が「錯文」を連ねるという「AMEBIC」のそれが、印象的だ。

正常であるという事の、何という辛さ。私は今日も正気を失ったり、錯乱したりするのだろうか。錯乱が私を楽にしてくれるという正常さ、それすらも私には、とても辛い。錯乱が血抜きのような、はけ口的なものになってくれているのかもしれない。しかしそんな可能性を考えるのが、恐い。錯乱は私にとって必要なものであるかもしれないが、それを認めたくない私がいる。

このような詩的とも言えるような言葉の羅列も、滑らかに、柔らかい文体に変容しつつある。もちろん持ち味である、独特の疾走感は保ったまま、だ。

鬱、自傷、摂食障害、ドラッグ。暗く、どこにも抜け出すことのできないような閉塞感を描くことの多かった彼女の「救いのない」小説は、希望を持てるような軽やさと、多角性を得たとも言える。

「この世界は最低だ」からの脱却

なぜ、変化が起きたのか。大きな転機はフランスへの移住と、母になったことだった。

たとえば、フランスへの移住。自分を縛っていた物事からの「脱却」を目指したが、それが叶わなかった、という気づきを得たという。

「日本にいたときから、ずっとつらくて。それでこっちに来ても、楽になったどころかやっぱりつらい。これは逃れようのない、生まれ持った資質なんだと思うようになりました。そんなこと、わかっていたといえばわかっていたんですが」

妊娠と出産、育児を経て、「思った通りにならないことがたくさんある」と知り、自分と他者の違いを否定しなくなったことも、変化につながっている。

「自分の子どもやその友達を見ていると、普通に生きていて、全然違う感じがするんです。なんで私は子どもの時からずっと生きづらかったんだろうって、30を過ぎて改めて考えさせられます」

「そういう資質の人が一定数いるとわかってきた。つらいと思う自分は特別ではなく、そうでない人たちも皆切実に生きていて、共存の可能性について考えられるようになった」

そうした気づきは、自らの小説へとポジティブに反映されていった。

「自分自身にある程度の諦めというか、納得がいったから。小説を書く上でも『この世界は最低だ、生きる価値がない』という否定だけではなく、『その上で』という視点に立ち返れたのかなって思います」

書くことで、吐き出すということ

小説を書くことは、客観的に自分を見つめる作業である、という。

「デビュー当時からずっと、自分が理解できているところのちょっと上の範囲を目指して書いてます。書き始めた時にはクリアに見えてこなかった部分を、少しずつ掴んでいくっていう感覚です」

彼女の作品の多くには、主人公や登場人物の一人として、若い女性小説家が出てくることが少なくはない。まるで自らの化身のように。

先出の「AMEBIC」のみならず、自伝小説を執筆する女性を描いた「オートフィクション」や「マザーズ」など。どれも、苦しみながら、もがきながらも生きている「彼女たち」が描かれていた。

しかし、最新作は少し違う。高校生と大学生の姉妹が主人公の「クラウドガール」では、小説家だった母親が「自殺」しているのだ。

そこには、こんな台詞がある。母親が生前に受けたインタビューを娘が読み返す場面だ。

私は小説を書いている時が一番解放されていて、現実と向き合うほど絶望しています。小説の中には、私の存在を知っている人は一人も居ないから。

絶望した現実と向き合い、死に至った小説家の「母親」。かたや、いまも書き続け、そして生き続ける自分自身。その違いは、どこにあるのか。

「私は自分の中に信じられるものはないんですが、自分の書いたものに裏切られたことがないんです。自分と自分の書いたものとの距離感やそこに求めるものが、あの『母親』とは違ったのかもしれません」

彼女はいう。書くという作業は、自らにとって「吐き出すこと」であると。

「出産後、育休的に数ヶ月書かない時期を設けたとき、ものすごく鬱になったんです。何を経験しても吐き出す場所がないと思うと、下水管のないトイレみたいな。行き場がない、どん詰まりみたいな感じになっちゃって……」

その行為は「小説家だった母親」が言うような「解放」に止まらないほど、大きな効用をもたらしているのだ。彼女は「救い」という言葉を使って、こう語った。

「書いているときは、パソコンと私っていう世界の中で、ある種の信頼関係の中で自分の書きたいことを表現できる。そこに描かれるのはユートピアみたいな世界ではないですけど、信頼のある場で苦しみを吐露していく中で、自分が救われていっている、という感覚があるんです」

それでも彼女は生きていく

芥川賞の受賞から13年。これまで13本の作品を、世に出してきた。

決して「生きやすく」なったわけではない。それでも、書くことで「生きづらさ」は少しだけ、楽になっている。

「来年あたりにもう一冊書ければと思っています。この原稿が育つかなと思っているものがあって」

血を出すことだけではなく。書き続けることで、吐き出すことで生きていく。たとえ、いくども描いてきた「女性小説家」を殺してでも。

「鬱でこその、自分だと思っているんで。当面は今のまま、対症療法的にだましだましやっていきます」

そう語りきった画面の中の彼女は、後ろから差し込む光のように穏やかだった。


取材日:2017年10月13日

BuzzFeed Newsでは、金原ひとみさんの【死にたい夜は、どうやって明かせばいいのだろう? 芥川賞作家はこう答えた】も掲載しています。