原爆が落とされたあと、人々はどう生きたのか。被爆後の広島を収めた写真たち

    「苦しい中、必死で生きてきた人がいなければ、いまの広島は、ありません」

    1945年8月。焼け野原となった広島市街地で、自転車を押す男性。

    1945年9月。広島駅に止まった、満員の列車。

    1945年10月。原爆で火傷をした我が子の看病をする母親。

    同じく、1945年10月。放射能を防ぐためにマスクをしている子どもたち。

    1945年11月。人々で混み合う広島市内を走る、米進駐軍のジープ。

    1946年3月。建て直した家の前を耕す2人の女性。

    1946年8月。被爆から1年後の、広島市街地。建設途中の建物が見える。

    1948年。被爆したビルの屋上から、町並みを見下ろす若い男女。

    同じく1948年。被爆した学校で、授業を受ける子どもたち。

    1950年。米・原爆傷害調査委員会の研究所の建設作業。

    1955年、元安川沿い一帯に広がっていた「原爆スラム」。

    同じく1955年。カトリック教会「広島世界平和記念聖堂」で開かれた慰霊祭。

    1965年。広島平和記念公園を訪れる、家族連れ。

    そして2017年8月6日、平和記念式典。「こども代表」の2人の小学生は「平和への誓い」でこう語った。

    「あのまま、人々が諦めてしまったら。復興への強い思いや、願いを捨てていたら。苦しい中、必死で生きてきた人がいなければ、いまの広島は、ありません」

    こども代表のスピーチ全文はこちらから。