発生から1年が経った熊本地震。実は、明治時代にも同様の地震があったことが、改めていま、注目されている。
熊本市は震災後、当時の「熊本明治震災日記」を現代語訳にして復刊させた。当時の市井の様子、行政や軍隊の対応策などが事細かに記されている、貴重な資料だ。
そこに描かれている内容からは、デマに惑わされ、パニックに陥る市民たちと、それを必死に整えようとする行政や新聞社の苦悩が見て取れる。現代に伝わる教訓とは、何なのか。
127年越しに繰り返されたデマ

1889(明治22年)7月28日。
午後11時40分ごろ、熊本地方を推定マグニチュード6.3の直下型地震が襲った。
この年、新たに発足したばかりの熊本市は大混乱に見舞われた。人口約4万2700人あまりの街で、死者は21人、負傷者は59人、建物の全半壊はあわせて256棟に及んだという。
この際、熊本で初めての新聞発行者だった水島寛之(みずしま・かんし)によってまとめられたのが「熊本明治震災日記」だ。
2016年の熊本地震では、「動物園の檻からライオンが脱走した」「クレア(イオンモール)で火事が起きた」などのデマがSNS上で蔓延。テレビ局が火災を報じてしまうなど、混乱を助長させた。
熊本の動物園からライオンが逃げ出したというツイートが大量に拡散されてるけど、これは「ヨハネスブルグは世界一治安が悪い」というので使われていた外国の画像。熊本の人たちを混乱させてしまうから不謹慎なデマ広めるのはやめてほしいㅠㅠ
これは127年前の熊本でも、同じだった。
火山の噴火、軍隊の逃走……
震災日記を読むと、「火山が噴火する」「また大地震が起きる」「軍隊が逃げ出した」などという根拠不明の「デマ」が蔓延し、市民が大混乱に陥ったことが伝えられている。
たとえば、こんな記載がある。
「二十九日(震災翌日)の午後になって、不思議な噂が我が熊本に蔓延した」
いまの熊本市西区にある「金峰山」が噴火する、だからみんなが逃げている……。長引く余震に不安な市民たちは、伝聞でどんどん噂を広げた。
「民衆がひたすら怖れたのは、金峰山または二ノ岳の破裂による災禍だった(中略)。本日の何時には激烈な地震があるらしい、今度の何時には西山が爆発するに違いないと」
8月3日に大きな余震があると、デマは再び勢いを増した。
「去る三日、熊本市全域が、今にも火山灰に埋もれるであろうという奇怪な噂が流れてから、市外に避難しようと逃げる者が多かった」
流言は流言を呼び、大勢が市外に逃げ出し、街は閑散としたという。騒ぎは市内にあった銀行が休業するまでに発展してしまった。
込められた反省と自責の念
なぜ、明治熊本地震でデマは拡散したのか。
当時の熊本市の規模は5.55平方キロメートルに対し、人口が約4万2700人。ちいさい街だった分、伝播のスピードも早かったのだろう。

また、日記の著者の水島自身もこう分析している。
「風説がまた風説を誘い、浮言はまた浮言を呼んだ。かれこれ見聞して、人々の心はいよいよぐらつき胸を痛め、あわてふためくばかりとなった」
さらに「虚言騒動に対する著者の所感」とした、こんな記載もある。
「民衆が各々恐怖のあまり、百出して止まることのなかった根拠のない噂に目をくらまされて、自分たち自らで、この騒動を起こしたとはいえないだろうか。今となって当時の状況を思い出せば、我々も自ずと慚愧の念に耐えない」
「仮に後世の人が、我々に向かって、そのことを訊ねたとき、どのように答えようか。我々はうつむいて、根も葉もない噂に惑わされた、と答える他ない」
127年前の教訓を伝える言葉には、強い反省と自責の念が込められていた。
いまにも通ずる行政対応

日記からは、行政がこのデマ対応に苦慮している様子も見て取れる。火山学者を熊本に集め、さらに新聞などを通じて情報の発信を続けたようだ。
デマの蔓延だけではなく、これも2016年の地震に通ずるところがある。
熊本市の大西一史市長は震災直後から、自らのTwitterでライフライン情報や「正しい情報の公表先」など、さまざまな発信を続けていた。
熊本市から発表する震災関連の情報は、熊本市HPの情報が公式なものです。 https://t.co/EKv2YmY3Dr これ以外の発表は熊本市からの発表ではありませんのでご注意下さい。
その目的は「デマ潰し」だった。のちに、BuzzFeed Newsの取材にこう答えている。
「地震などの災害時にはデマが広まりやすい。いちいちそれぞれに対応するのではなく、『熊本市として公式な、正確な情報はここに載っていますよ』と呼びかけることが目的でした」
教訓を引き継ぐ意味

「情報の大切さは、現代も明治時代も変わらないのだとよく分かる史料です」
そう取材に語るのは、現代語訳を担った市都市政策研究所の植木英貴・副所長だ。
「広がったデマによって市内は大きく混乱し、大勢が逃げ出しました。どんどん拡散し、回り回って尾ひれ羽ひれがついていく状況だったようです。いまのように、ラジオもテレビも、ましてやネットもない時代ですから」
「行政が学者の正確な調査報告をすることで、なんとか騒ぎは収まっていく。いかに、わかりやすく、正しい情報提供が大切かという教訓があります。科学的なものを示すことで、市民に安心を与えることができる、という教訓です」
そもそも今回、この資料が現代語訳されたのは、大西市長の指示があったからだという。
熊本地震について伝える新聞記事で日記について知った市長が、研究所に発行の依頼をしたのだという。それまで研究者などの中ではその存在が知られていたが、一般的には「忘れられたもの」(植木副所長)だったそうだ。
「刊行に寄せて」に、大西市長はこう記している。
「このような貴重な史料を現代語に訳して、『平成二十八年熊本地震』の記録とともに後世に受け継いでいく事こそ重要であると感じた」
「災害は必ず起こる。過去の教訓に学ぶことで備えるしか術はない」
研究所では2017年度中に、今回の熊本地震の行政対応をまとめた「震災記録誌」を編纂する予定だ。