News·公開 2022年8月6日焼け野原となった広島で… 原爆投下後の写真が記録した、人々の歩み広島市に原子爆弾が投下されてから77年。人々はどのように「その後」を歩んだのか。被爆後の写真から振り返る。by Kota Hatachi籏智 広太 BuzzFeed News Reporter, JapanLinkFacebookPinterestTwitterMail 原子野となった広島市街地を通過する汽車。大勢の乗客が見える 被爆1ヶ月後、異臭を避けるためにマスクをする子どもたち 被爆から1ヶ月、原子野を歩くカップル 原爆ドーム(広島県産業奨励館)の前で佇む男性 翌年3月、カラーフィルムで撮影された広島市街地 同じく翌年3月。行政の仮設住宅に暮らす親子 被爆翌年7月。原爆の被害を受けた小学校で授業を受ける子どもたち 校舎の窓枠は爆風でひしゃげたままになっている 同じく翌年7月。路面電車に乗り込む人たち 線路の向こう側には、まだ瓦礫も見える 被爆翌年、福屋百貨店の屋上で撮影された男女。共同通信社の企画取材の一環だった 被爆から2年、復興を歩む広島市街 被爆から9年。中心部の本通商店街 被爆から10年、復興した市街地 10年後。原爆症で苦しむ母親を看病する15歳の娘。父親は通勤中に被爆し死亡した 同じく10年後の「原爆ドーム」。近くにはバラックも広がっていた 1965年、被爆から20年。平和記念公園を訪れる家族連れ 被爆から77年。子ども代表は、平和記念式典のスピーチ「平和の誓い」でこう語りかけた。