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アメリカ統治下の沖縄を伝える30枚の写真 終戦から20年間の歩み

1965年8月19日、現役の首相として戦後初めて沖縄の地を踏んだ佐藤栄作首相。その日まで沖縄はどう歩んできたのか。写真が物語る。

いまから52年前の1965年8月19日。当時の佐藤栄作首相が現役の首相として戦後初めて沖縄の地を踏んだ。「終戦の日」からその日まで、アメリカの統治下におかれた沖縄はどう歩んできたのか。

当時の写真で振り返る。

1. 日本が降伏したことを聞き、喜ぶ沖縄の人たち(1945年8月15日)

沖縄県公文書館所蔵

2. 終戦後、沖縄で最初に投降した日本兵たち(1945年8月21日)

沖縄など南西諸島の日本軍が全面降伏に調印したのは9月7日だった。
沖縄県公文書館所蔵

沖縄など南西諸島の日本軍が全面降伏に調印したのは9月7日だった。

3. 米空軍の軽食屋で働く沖縄の女性。沖縄の人たちは、米軍の施設でさまざまな仕事に就いたという(1947年)

沖縄県公文書館所蔵

4. 商店の前で、ビール缶で作った飛行機を手にする少年と、島バナナをカメラマンに見せる少女。当時、沖縄で数軒の商店がある地域は首里だけだったという(1948年)

沖縄県公文書館所蔵

5. 悪天候の中、村長選挙で投票しようと列をつくる人たち(1948年)

1945年9月には、沖縄本島の収容地区で戦後初の選挙となった市会議員選挙があり、戦前を含め初めて女性に参政権が与えられた。民主主義の国・アメリカを実感させるものがあったという。
沖縄県公文書館所蔵

1945年9月には、沖縄本島の収容地区で戦後初の選挙となった市会議員選挙があり、戦前を含め初めて女性に参政権が与えられた。民主主義の国・アメリカを実感させるものがあったという。

6. 1週間分のタバコやキャンディなどを買い求める米軍の兵士たち。沖縄の女性の多くが米軍基地内の売店で働いていた(1948年)

沖縄県公文書館所蔵

7. 路上で軽食を販売する女性と子ども(1950年11月6日)

沖縄県公文書館所蔵

8. 那覇の風景(1950年11月7日)

沖縄県公文書館所蔵

9. 豚足などの地元料理を作る女性(1950年11月8日)

沖縄県公文書館所蔵

10. 米軍によるクリスマスパレードがあった日。イエス・キリスト生誕のシーンを膝をついて見入る沖縄の人たち(1950年12月23日)

沖縄県公文書館所蔵

11. 戦争孤児となった子どもたちのために、米軍が開いたクリスマスパーティー。サンタクロースがプレゼントを渡している。

沖縄県公文書館所蔵

12. ボクシングのコツを教えてもらう子どもたち(1951年7月26日)

翌年、サンフランシスコ講和条約によって、日本は独立を果たした。しかし、沖縄は、奄美や小笠原とともに日本から切り離された。日本にもアメリカにも属さないという曖昧な地位となり、復帰運動は強まっていった。
沖縄県公文書館所蔵

翌年、サンフランシスコ講和条約によって、日本は独立を果たした。しかし、沖縄は、奄美や小笠原とともに日本から切り離された。日本にもアメリカにも属さないという曖昧な地位となり、復帰運動は強まっていった。

13. ビーチでくつろぐ米軍の兵士やその家族ら(1954年5月)

沖縄県公文書館所蔵

14. 現在の宜野湾市の伊佐浜で「金は一年土地は万年」の幟を立てる地元の人たち(1955年7月)

伊佐浜の住民たちは、黙認耕作地として戦争によって荒れ果てていた土地を耕した。しかし、米国民政府は一帯を強制収用しようと動き、住民たちは激しく抗議。「土地は汲んでも汲んでもつきない泉です。土地がとりあげられたらわたしたちは死ぬのです」などと、接収反対を訴えたという。
沖縄県公文書館所蔵

伊佐浜の住民たちは、黙認耕作地として戦争によって荒れ果てていた土地を耕した。しかし、米国民政府は一帯を強制収用しようと動き、住民たちは激しく抗議。「土地は汲んでも汲んでもつきない泉です。土地がとりあげられたらわたしたちは死ぬのです」などと、接収反対を訴えたという。

15. 賑わいを見せる那覇市内の商店街(1955年8月)

沖縄県公文書館所蔵

16. 那覇市、国際通りの夜(1957年7月)

沖縄県公文書館所蔵

17. 沖縄での通貨「B型軍票(B円)」が米ドルに統一されるのを前に、切り替えを知らせるパンフレット(1958年9月4日)

沖縄県公文書館所蔵

18. B円から米ドルへの換算価値を示すパンフレット(1958年 9月4日)

沖縄県公文書館所蔵

19. 5日間でB円から米ドルへの交換がされた(1958年9月17日)

沖縄県公文書館所蔵

20. 那覇市の国際通り。「クリスマス歳暮大売出し」の垂れ幕が見える(1960年)

沖縄県公文書館所蔵

21. バーの前で、立ち話をする地元の2人の女性(1960年2月)

沖縄県公文書館所蔵

22. 来沖した「アイク(IKE)」の愛称で呼ばれたアイゼンハワー米大統領を迎える沖縄の人たち。祖国復帰を訴える人たちも多くいた(1960年6月19日)

アイゼンハワー大統領は、1954年に「沖縄の米軍基地を無期限使用する」と一般教書演説で述べていた。
沖縄県公文書館所蔵

アイゼンハワー大統領は、1954年に「沖縄の米軍基地を無期限使用する」と一般教書演説で述べていた。

23. 出入管理部でパスポートを確認する職員。アメリカ統治下の沖縄では、本土に渡航するにはパスポートが必要だった(1961年6月29日)

沖縄県公文書館所蔵

24. 国際通りを走る車からアメリカと同じ右側通行だったことがわかる。復帰後の1978年に左側通行に変更された(1963年7月)

沖縄県公文書館所蔵

25. 東京五輪の聖火がギリシャから沖縄に到着した。当時、祝日以外は公の場での日の丸の掲揚は禁止されていた(1964年9月7日)

沖縄県公文書館所蔵

26. しかし、この時は黙認された。沿道では、祖国復帰の願いも込め、無数の日の丸の小旗が振られた。聖火リレーの第1走者だった男性は、「僕は日本人なんだ…」と感じたという(1964年9月8日)

日の丸の掲揚が認められたのは、1967年だった。
沖縄県公文書館所蔵

日の丸の掲揚が認められたのは、1967年だった。

27. ケネディ大統領が1962年に「琉球は日本の一部」と明言するなど、沖縄をめぐる問題は日米間で重要な議題となっていった。

那覇市の平和通り商店街(1964年12月)
沖縄県公文書館所蔵

那覇市の平和通り商店街(1964年12月)

28. そして、1965年8月19日。戦後初めて現役の首相として佐藤栄作首相が沖縄の地に降り立った。

沖縄県公文書館所蔵

29. 佐藤首相は那覇空港でこう挨拶したという。

沖縄県公文書館所蔵

沖縄が本土から分かれて二十年、私たち国民は沖縄九十万のみなさんのことを片時たりとも忘れたことはありません。本土一億国民は、みなさんの長い間の御労苦に対し、深い尊敬と感謝の念をささげるものであります。私は沖縄の祖国復帰が実現しない限り、わが国にとって「戦後」が終わっていないことをよく承知しております。これはまた日本国民すべての気持ちでもあります。

私が、今回沖縄訪問を決意いたしましたのは、なによりもまず、本土の同胞を代表して、この気持ちをみなさんにお伝えしたかったからであります。

30. この4年後、日米首脳会談で日本復帰が正式に決定。1972年5月15日午前0時、沖縄全島にサイレンと汽笛が鳴り響き、沖縄は復帰の日を迎えた。

沖縄の施政権が返還され沖縄県が発足され、日の丸が沖縄県庁の屋上に翻った。
時事通信

沖縄の施政権が返還され沖縄県が発足され、日の丸が沖縄県庁の屋上に翻った。

バズフィード・ジャパン ニュース記者

Kensuke Seyaに連絡する メールアドレス:kensuke.seya@buzzfeed.com.

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