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「復帰したら、僕の仕事が…」企業の責任者の“ハイブリッド育休“が超戦略的だった!

「半育休」と呼ばれる制度を活用して「ハイブリッド育休」を選択した「CRAZY(クレイジー)」の吉田勇佑さん。そこには、事業責任者としての戦略がありました。

共働きが増えるなか、ビジネスパーソンたちはどんな工夫をしながら子育てをしているのか。

ウェディング事業を展開する「CRAZY(クレイジー)」の吉田勇佑さん(33)は、同い年の妻と、2歳の娘と0歳の息子を育てています。

コロナ禍の影響で、第一子のときには育児休業を断念。第二子の誕生を機に「ハイブリッド育休」と名付けた念願の育休を100日間取得しました。

どうして「ハイブリッド」なのか。そこには、同社の執行役員で、婚礼事業の責任者を務める吉田さんならでは考え方がありました。

ーー第一子の娘さんがお腹に宿ったことを知ったとき、どのように思いましたか?

結婚したのは2013年で、娘が生まれたのは2020年でした。

子どもがほしいと考えてから4年ほどかかったんです。毎月のように「今回はどうなんだろうね」と2人で楽しみに待っては、お腹に宿らず、落ち込んでいました。

だから、妻から妊娠の報告を聞いたときには、ボロボロと一緒に涙を流して喜びました。その瞬間は、いまでもはっきりと覚えています。

ーーどうして子どもがほしいと思われたんですか?

妻と家族をつくりたかったのが一番ですかね。家族をつくるって、現代ではいろいろな選択肢がありますが、僕らは2人の子どもを授かることを選びました。

両親に孫を見せたかったというのもあります。

ーーどんなタイミングで「親になるんだ」と実感されましたか?

妻が妊娠中に録音してくれた娘の心臓の音を聞いたときです。

もう一つは、妻のお腹に向かって声をかけると、娘が動いてくれて。「パパってわかってくれているな」と親になる実感がさらに芽生えたように思います。

ーー出産前から実感されていたんですね。

はい。コロナ禍での妊娠でした。妻のつわりがひどすぎたのもあって、辛い時期を一緒に乗り越えられたことも、親になるんだとより感じさせてくれたのかもしれません。

妻の苦労が「100」だとしたら、僕の苦労なんて「1」なんですけどね。

ーーその時期を乗り越えるにあたって、どんなサポートをされたんですか?

妻が過ごしやすい環境を整えました。つわりのひどかった数ヶ月間は、全然動けなくなったし、あらゆる匂いがダメになって食べられる物が限られていました。

なので、物の置き場所を変えたり、匂いの少ない食材を買い集めたりしました。リンゴの皮をむくのは、めちゃくちゃ上手くなりましたね(笑)

ーー第一子目のときに育休を取得されなかったのは、コロナ禍と出産が重なったからですか?

そうです。育休を取得したかったのですが、踏み切れませんでした。

当時、コロナの影響が全く予想できず、ウェディング事業の対応を次々と迫られ、仕事がとても忙しくなりました。

クレイジーの式場である『IWAI OMOTESANDO』の支配人だった僕は、業務に追われ、妻のサポートも難しくなるほどでした。

事業の責任者として、このタイミングで抜けることを自分が望まなかったんです。

ーー第二子の息子さんの妊娠がわかったのは2021年で、誕生されたのは2022年ですよね。「半育休」と呼ばれる制度を活用し、ご自身で「ハイブリッド育休」と名付け、100日間の育休を取られた。その意思決定までの流れを教えてください。

今回は、絶対に育休を取得しようと心に決めていました。

コロナ禍になってから、ある程度経過し、式場の運営方針が定まり、事業が順調に推移し、会社のメンバーたちが事業を託せるくらい成長していました。

この3つの要素と、人生やパートナーシップを大切にする会社のカルチャーに後押しされ、育休を取得することができたんです。

ーーどうして育休中に少し働く、というスタイルを選ばれたんですか?

全ての仕事を手放して育児に専念するのがベストだと思いつつも、仕事も家庭も大切にしたかった。

そこで考えたのが、週5日勤務、週2日休みを逆転させる形でした。100日間育休を取るんだけれども、在宅ワークを基本にちょっと働くというのが、ベストアンサーだと考えたんです。

ーーその決断に対して、どんな反応がありましたか?

社内のメンバーたちは「めちゃくちゃいいと思う」と認めてくれましたし、妻も「ありがたいね」って言ってくれました。

ーー育休を取得されてよかったことはなんですか?

育休を取ることで、僕がやっていた業務の一部をメンバーたちが担うことになります。それによって、みんながもっと成長できると考えていました。

結果として、期待に応えすぎてくれましたし、組織力も高まりました。

復帰したら、僕の仕事がほとんどなくなっているほどでした(笑)

とはいえ、事業の責任者がいなくても仕事が回るのが、組織として理想です。会社の拡大を考え、次の事業を展開したいと考えていましたし、思い切って舵を切れると確信した期間になりました。

(育休を取得したことで、行動や価値観が変わり、人生が大きく変化した吉田さん。記事の後編はこちら

<吉田勇佑(よしだ・ゆうすけ)さん>

33歳。株式会社CRAZY(クレイジー)執行役員、CRAZY WEDDING事業責任者。式場『IWAI OMOTESANDO』の支配人として開業に携わった後、現職に。

妻は同い年で、高校時代に交際をスタートして結婚。会社の同僚でもあり、現在も育休を取得中。

CRAZY WEDDINGで結婚式を挙げたのをきっかけに、2人とも転職した。