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「世界一短い三国志」がめちゃくちゃ壮大だった。

たった11文字の記録が伝えるもの。それは壮大な中国史の1ページだった。


中国史の中でも人気の高い『三国志』の時代を紹介する「特別展 三国志」が、東京・上野の国立東京博物館で7月9日から開かれている。

この展覧会では、魏・蜀・呉が中華統一をかけて争った三国時代(220年〜280年)について記した古いレンガが展示されている。その内容がとても趣深かったので紹介したい。

これが「世界一短い『三国志』」だ。

写真にあるのは、三国時代の終わり(280年)に作られた磚(せん、レンガ)だ。墓の構築に用いられたもので、1985年に江蘇省南京市の郊外で見つかった。かつてこの地は呉が支配していた。

寸法は縦30センチ、横15センチ、厚さ5センチ。一見すると土でつくられた何の変哲もないレンガだが、そこにはいくつかの文字が刻まれていた。

わずか11文字が伝える三国時代の終焉

記されていたのは、こんな文字だ。

「姓朱、江乗人、居上[描]。大歳庚子晋平呉天下太平」

現代語に訳すとこうなる。

「墓の主人の姓は朱、本籍は江乗で、上[描]に住んだ。庚子の歳(280年)に晋が呉を平らげ、天下太平となった」

このレンガについて、東京国立博物館の市元塁・主任研究員は「同時代資料として、三国の終焉と西晋時代の始まりを告げる大変貴重なもの」と語る。

大歳庚子晋平呉天下太平
庚子の歳に晋が呉を平らげ、天下太平となった)

わずか11文字、声に出して読めばたった5秒。それゆえに「世界一短い『三国志』と言えるもの」と、本展の目録でも紹介している。

天下を統一したのは、魏でも蜀でも呉でもなく…

そもそも、60年に及ぶ「三国時代」とは、どんな時代だったのか。

きっかけは、後漢末期の農民反乱「黄巾の乱」(184年)だった。以降、各地には群雄が割拠。華北の曹操、江南の孫権、四川盆地の劉備が台頭した。やがて後漢王朝は滅び、中華帝国の天下は魏・蜀・呉に三分された。

魏に代わり、新たに晋(西晋)を建国したのが司馬炎。かつて軍師として曹操に仕えた司馬懿の孫だ。

280年、司馬炎は呉を滅ぼす。ここに群雄割拠の「三国時代」は終わった。レンガに刻まれた「大歳庚子晋平呉天下太平」の11文字は、このことを伝えるものだ。

1700年前のレンガが伝えること

後漢滅亡から西晋の統一まで、およそ60年。レンガに記された11文字には、名だたる武将たちが戦場を駆け抜け、幾万の兵士とともに、自らの野望と運命を賭けて戦った歴史が凝縮されている。

一方でまた、群雄割拠した「三国時代」は、わずか11文字に収まってしまうとも言える。

悠久の歴史の中では、なにもかもが一瞬のこと。1700年前のレンガは、そのことを後世の人間に伝えようとしているかのようだ。

三国時代を描いた小説の白眉、吉川英治の『三国志』のラストも、これと通じるものがあるかもしれない。

文庫にして全8巻(およそ3600ページ)にわたる大長編。その最後を締めくくる一行で、吉川は極めて簡潔に三国時代の終焉を表した。

「三国は、晋一国となった」

(吉川英治「三国志」(八)講談社)


特別展 三国志」は、7月9日〜9月16日まで、東京国立博物館の平成館にて開催中。