立川志の輔が語る「オチ」の芸術性 落語と映画の違いとは

    志の輔師匠が映画初主演で得た学びとは。“ガッテン”したことを聞いてみた。

    Kei Yoshikawa

    落語家の立川志の輔さん(65)が、映画『ねことじいちゃん』で初主演に挑んだ。

    「落語家が映画の主演なんて、おかしいでしょ?」と謙遜しながらも、高座の上とカメラの前では「緊張感が別物だった」という。そして、落語と映画では「オチ」の芸術性に違いがあったと語る。

    志の輔師匠が映画初主演で得た学びとは。“ガッテン”したことを聞いてみた。

    主演のオファーに「この人たちは何を言っているんだろう…?」

    Nozomi Shiya

    今回が映画初主演だって? もちろんそうですよ。うちの師匠(故・立川談志)は色々と出ていましたけど……。落語家が映画の主演をやるなんて、おかしいでしょう?(笑)。

    いや、憧れみたいなものはありましたよ。でも、僕が「主演」なんてことはあるわけないと思ってましたし。

    「もしそんなことがあったら」。それは、新作落語を作る上で「ひょっとして面白い材料になるのかな」と思ったり、ネタとして考えただけ。話を頂いたときは「この人たちは何を言っているんだろう…?」と、ワケがわからなかったんです(笑)。

    なぜ、映画の主演をやることになったのか?

    (c)2018「ねことじいちゃん」製作委員会

    最初は、映画のプロデューサーさんからメールが事務所に届きましてね。

    スタッフ:あの〜『ねことじいちゃん』という、映画の…。じいちゃん役をやっていただきたいということらしく…。主役なんですけど…。

    志の輔:えぇ…?

    スタッフ:監督が『世界ネコ歩き』の岩合光昭さんで…。

    志の輔:そりゃ、なんかの間違いだろ。お断りしておいて。

    実は、岩合光昭さんとは4年前に一度お食事をしたことがあるんです。

    当時、渋谷のヒカリエで偶然みかけた写真展で感激をしたことがありましてね。あの日はヒカリエにある劇場(東急シアターオーブ)で舞台を見た帰りでした。

    エレベーターが混んでいたので、仕方なくエスカレーターで下へ降りてきたら、猫がポーンと飛んでいる大きな写真が目に飛び込んできたんです。展覧会の看板でした。

    気になって入ってみたら、世界中のありとあらゆるネコの写真がありましてね。「うわぁぁ!なんだこれは!この人は何者なんだ!」と驚いたんです。

    (c)2018「ねことじいちゃん」製作委員会

    そのあと、NHKの『ためしてガッテン』のスタッフに「この前、岩合光昭っていう人の写真展に行ってきてさ…」って話したら「ああ。ウチで『世界ネコ歩き』っていう番組をやっている人ですよ」って。

    それで『岩合光昭の世界ネコ歩き』を見たら、「うわぁぁ!すごい!この人、こんなにネコと自然に話をしてる!」って感激しちゃって。

    「岩合さんと一回ご飯に行けたら良いなぁ」「NHKで番組をやってるんだから誰か知り合いいるかなあ」と思っていたんです。

    そうしたら『ためしてガッテン』を担当している部長さんが「私、昔ディレクターだったときに岩合さんの三脚持ちをやってました」って。それで岩合さんとお会いできました。

    (c)2018「ねことじいちゃん」製作委員会

    本当に純粋無垢な人で、こういう人だから動物がオープンになって、あんな素敵な瞬間が写真に撮れるんだと思ってね。

    ある種の尊敬に近い念を抱いていた。今回オファーがあったときも「この人にしなきゃよかった、失敗したと思われたら、俺は生涯立ち直れない」と思った。

    それで一度はお断りしたんです。でも、いくらなんでもメールだけで断るのは失礼だと思って、直にお電話して一言ご挨拶したんです。

    「主役じゃなくて良いんです。通行人でも、何でもいいんです。ワンカットだけ出してもらえたら、僕の一生の思い出になるので」と(笑)。

    そうしたら「とにかく事務所で話し合いましょう」と。それで、とりあえず作品のお話を伺って、スケジュールの話は事務所としてもらいました。

    (c)2018「ねことじいちゃん」製作委員会

    ただ、僕はワンカットだけのスケジュールの話をしているのかと思ったら、気づいたときには「主役だから、1カ月撮影で島に滞在しなきゃいけない」と。どんどんどんどん話が進んでいてね。

    「なにをいってるんだよ!無理だって!そんな、主役なんかできないよ!」ってお伝えしたんですが、ある日、岩合さんがこんなことを仰ったんです。

    「僕、明日からアフリカに行くので2週間帰ってきません。志の輔さんのことだから、その間にプロダクションに電話して“引き受けるの辞めます”って言うでしょう。でもそう言われたら、僕はもうこの映画撮るのをやめますから」

    これには驚きましたよ(笑)。それでまぁ、そこまで仰るなら…とお引き受けすることにしたんですね。

    映画と落語、異なる“オチ”の芸術性

    Nozomi Shiya

    演じたのは「大吉」という70歳の老人です。送られてきた脚本を見て驚いたのは、やはり映画と落語との違いでした。

    僕ら落語家は言葉を頼りにしゃべるわけです。不思議なことですが、たとえ映画の脚本であっても、ついつい言葉を追い求めようと思ってしまうんですね。

    落語には「笑い」があり、最後に大きなオチがある。落語家は、そこに向かって進むわけです。

    ところが、今回の映画『ねことじいちゃん』は、老人とネコを主人公にした日常生活のワンシーンを描いた作品です。

    サスペンスじゃないから大事件も起こらない。犯罪者も出てこない。描かれるのは、飼い猫との暮らしや同じ島に住む仲間との日々、都会で暮らす息子とのすれ違いです。日常という枠は出ていない。

    あくまで“台本だけ”を見るとオチがないんですよね。

    だけど、これは映画の台本であって、落語の台本じゃない。

    実際に映像になると、印象は全く違った。エンディングでは、主人公の老人が、何も言わずにネコと二人で桜並木を歩いていく。そしてドローンを使って、二人が暮らす島をロングで映し出す。

    映像として、最高のオチだったわけです。

    (c)2018「ねことじいちゃん」製作委員会

    落語じゃないとわかっちゃいるけど、どこかで落語だと思って脚本を読んでいた自分がいた。

    でも、作品の出来上がりを見てわかったんです。ああ、これが映像の美なんだ。カットの積み重ねの芸術なのだ、と。

    試写ではなんとなく気恥ずかしくて、スクリーンを直視できなかったんです。でも、このことに気づいた辺りから、自分が演じた老人を「大吉さん」という独立した人なんだと思えるようになった。

    そして、猫のタマ役のベーコンが、私を嫌わず1カ月ずっと膝の上、腕の中にいてくれた。それが何よりもうれしかったですね。

    「落語ではありえない、一人一役」

    (c)2018「ねことじいちゃん」製作委員会

    初めて映画の主演をやらせていただいて、改めて気づいたこともありました。

    共演していただいた役者さん達からは、こんな声をかけていただいたんですね。

    「志の輔さん、落語では一人何役もやってるんじゃないですか。一人を演じるぐらいどうってことないでしょ?」

    ただ、それは違うなぁと気づきました。

    一人一役を演じきる、その人になりきるってことは、実は落語家は一切していないんですね。そんなことしたら人物の切り返しができないですから。登場人物が一人になっちゃう。落語ではありえないことだったんです。

    (c)2018「ねことじいちゃん」製作委員会

    今回の映画で僕は、落語は「演じてはいない。演じるものではない」ことを再確認することができたような気がします。

    どのカットだろうが、「大吉」という一人の人物になりきるんだということ。「演技」という上では当たり前のことですけど、今回それを初めて実感できました。

    しかも、10数秒にしか使わないワンカットに、50〜60人もの人間が力を尽くすのも映画の凄さです。その姿を眼前で見ると、やはりビビりますよ。

    カメラさん、照明さん、音響さん、美術さんをはじめ多くのスタッフが40〜50分かけて作った場で、「はい!準備ができました!どうぞ!」と言われて、一言セリフを言う。

    このプレッシャーは、2千人の前で落語をやるプレッシャーとはまた違う種類のものでした。変な言い方ですけど、スタッフの方々になんか申し訳ない…という気持ちになっちゃうんですよ。

    役者さんたちは、それをはねのけて自分の演技プランでお芝居されているのでしょう。どの凄さにも驚きましたし、そんな環境でも猫たちは堂々と自然に演技をしている。

    猫を見て、自分のほうが変に肩に力が入っているなと反省することもありました(笑)

    「映画人の凄さを痛感」

    Nozomi Shiya

    はじめはね、私も「さすがに70歳の演技は無理でしょう」と言ったんだけど、プロデューサーは「今の時代はどうとでもなりますから!」って(笑)。

    撮影では毎朝メイクさんが1時間かけて、入念に白髪を一本一本を頭に入れるんですよ。メイクさんたちの手によって、立川志の輔がだんだんと70歳の老人に変わっていく。

    正直言うとね「白髪が2〜3本無くたって、わからないんじゃないの?」って思ったんですよ(笑)。でも、みんな妥協しないんですよね。「映画人」の凄さを痛感しました。

    台本というバイブルを、監督という船長のもとで、全員の力で立体化していく。その様子を自分の目で見れたこと、作品に関われたことは本当に良かった。

    「晩年の過ごし方に正解はない」

    Nozomi Shiya

    老いを感じる瞬間?そうですねぇ。今回の映画でも「70歳の動きをしなきゃいけない」「元気ハツラツではいけない」と思って演技をしていたつもりでした。

    でも途中で、普通に道を歩いていたときに躓いちゃってね…。「あれ、やばいな…。これ、演技しなくても十分に年をとっていんじゃないか…?」って思ったり(笑)

    (c)2018「ねことじいちゃん」製作委員会

    晩年の過ごし方って、人それぞれで違いますよね。

    「年齢に負けないように」と、アンチエイジングを考えながら暮らしている人もいるでしょうし、「年齢相応の生活を」と思って暮らしている人もいるでしょう。

    そこに正解はないのだと思います。

    今の自分の状況の中で、「一番幸せなポイントってなんだろう?」と考えたほうが、よい人生を送れるのかもしれません。

    ただ、老人と猫の生活を描いたこの映画は、色々なことを考えさせてくれます。

    ペットを飼っている人には「ひとつの物言わぬ生き物が、自分をこんなに助けてくれているのか」「そこに居て当たり前だと思っていたけど、“居てくれているんだな”」と。そう思ってくれたら嬉しい。

    ペットを飼ったことない人、飼う予定がない人も、ペットが家族同様だと思っている人の気持ちがわかるような、あたたかい気持ちなっていただければ。そうなれば、監督も作ったかいがあったと思うんです。

    「死ぬ前にやりたいこと」

    Kei Yoshikawa

    どんな70歳になっていたいかって?そうねぇ。俺、多分落語やっているのかなあ…。

    やっぱり落語のことを一番に考えますよね。ただ、「落語家は最期まで落語家でいなければならない」「最期まで落語をやらなくてはいけない」という規則はありません。

    まぁ、大概の方はそうされているわけですけど。

    ただ先日、大阪の桂南光師匠が記者会見でこんなことを言っていたんです。

    「70歳を超えて、しばらくしたら元気なうちに引退します。『これで引退します』って言わないで、ある日突然一切出なくなります」

    南光さんは2020年3月に入門から50年を迎えるそうです。落語を半世紀やってこられて、新しい楽しみについて考えるようになったと。

    ひょっとしたら、俺もなにか新しい楽しみを…と、考えることもあります。

    ほんとはね、『ねことじいちゃん』の試写を見た後、こんなことを思ったんですよ。

    「俺も死ぬ前に一本、自分で映画をつくりたいなぁ」って。

    新作落語を自分で映像にしてみるとか。例えば新作落語の「メルシーひな祭り」とか(笑)

    そう思うと、この先も何があってもいいように、まだまだ情報を仕入れて、勉強して、いろいろな人と出会いたいって思えるんです。

    もしかしたら70歳を起点にして、仮に「映画を一本、撮ってみませんか?」とお話をいただいていたら、それはそれで楽しい人生だと思います。

    まぁ、その時におじいさん役があったら岩合監督を起用しようと思っています(笑)

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