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佐々淳行さんが捜査を指揮した「あさま山荘事件」 現場は極寒、弁当も凍った

事件があったのは1972年2月。あまりの寒さに、弁当も凍った。

佐々氏は東大法学部卒業後の1954年、警察庁に入庁。外事・警備畑を歩んだ。

1972年2月の「あさま山荘事件」では、当時の後藤田正晴・警察庁長官の下で現場を指揮した。その後、三重県警本部長や防衛施設庁長官などを歴任。1986年、内閣安全保障室の初代室長に就任した。

退官後は危機管理や安全保障の専門家として活動。2007年の東京都知事選挙では、3選を果たした石原慎太郎氏の選対本部長を務めた。

日本中が見つめた「あさま山荘事件」

あまりの寒さに、弁当も凍った

母親の説得、犯人は銃を発砲

立てこもり10日目、警察が突入

事件はテレビで生中継された

NHKアナウンサーが吐露した「異常さ」とは

人間が人間に狙いをつけて、銃で撃っているということを、そのまま同時にテレビで中継している。

この犯罪そのものが異常であることはもちろんですが、テレビでこんなに長時間、茶の間に送り込まれるということ、そのことの異常さ。そんなことが同時に進行している。

異常なことの積み重なりで、大変恐ろしくなりますね。

(NHKアーカイブス「あさま山荘事件」より)

戦後70年、佐々氏は事件をこう回顧した。

昭和の日本を震撼させた、あさま山荘事件。佐々氏は戦後70年でのインタビューで、事件をこう回顧している。

「山荘での立てこもりだけでなく、『総括』として、仲間をリンチで殺害していたことにも国民は大きな衝撃を受けた。メンバーたちの革命運動に一部同情的な世論もあったが、冷めるきっかけとなった」

(読売新聞2015年12月26日)