Updated on 2018年11月3日. Posted on 2018年11月2日

    「紅の豚」でジーナが歌うシャンソンには、めっちゃ悲しい歴史があるって知ってた?

    甘く切ない恋の歌「さくらんぼが実る頃」がたどった悲しい歴史とは。

    宮崎駿監督の映画「紅の豚」が11月2日、日本テレビ系「金曜ロードSHOW!」で放送されます!

    あまりにワクワクしてしまい、今日は仕事が手に付きませんでした。

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    ところで、みなさんは「紅の豚」のどんなシーンが好きですか?

    飛行艇の空戦シーンをはじめ、見どころは盛りだくさん。その中でも私が好きなのは、マダム・ジーナが店のピアノに合わせてシャンソンを歌うシーンです。

    #紅の豚 🐷 #今夜9時🕘 #ノーカット🎬 青い空☁️ときらめく海🌊を愛するひとりの豚(オトコ) そのオトコはなぜ豚になってしまったのか… 「カッコイイ」とは何か?宮崎駿監督の答えがココにあります!

    曲のタイトルは「さくらんぼの実る頃」。イブ・モンタンをはじめ、フランスを代表する歌手たちに愛されたシャンソンの名曲です。

    劇中ではジーナを演じる加藤登紀子さんが、流暢なフランス語でしっとりと歌い上げています。

    作品をグッと大人っぽくしている印象的な音楽ですが、実はフランス人が経験した悲しい歴史と深く結びついている歌だったのです。

    今日はそのことを伝えたくて、この記事を書きました。

    ■甘く切ない恋の歌『さくらんぼの実る頃』の物語

    Wikimedia Commons

    ナポレオン3世(左)とプロイセン宰相ビスマルクの会談の様子

    話は今から150年ほど前のフランスにさかのぼります。

    1866年、当時のフランスは皇帝ナポレオン3世が治める「第二帝政」の時代でした。彼はナポレオン・ボナパルトの甥っ子です。

    そんな中、国を追われた社会主義者のジャン・バティスト・クレマンは隣国ベルギーに亡命。その最中に発表したのが「さくらんぼの実る頃」でした。

    さくらんぼの実る頃を 僕はいつまでも愛するだろう

    あの時から僕は心に抱き続けている 

    この季節に開いた傷口は たとえ幸運の女神がやってきても

    決して癒やすことはできない 僕の苦しみを

    甘く切ない、失恋の思い出を綴ったこの詩に、作曲家のルナールはノスタルジックなメロディをつけました。

    発表から4年後の1870年。フランスはプロイセンとの戦争(普仏戦争)に臨みますが、ナポレオン3世は捕虜になり、帝政は崩壊してしまいます。

    皇帝なきあと、フランスには臨時政府が成立。プロイセンと休戦交渉することになりましたが、賠償金のほか石炭や鉄などが豊富にあるアルザス・ロレーヌ地方を割譲することになりました。

    さらにプロイセンは、フランスの象徴ともいえるヴェルサイユ宮殿で「ドイツ帝国」の成立を宣言。これはフランス国民にとっては屈辱でした。

    やがてパリはプロイセン軍に包囲されますが、市民や労働者たちは国民軍を組織し、徹底抗戦を主張。「ねずみのパイ」で空腹をしのぎ、バリケードを築きました。

    Wikimedia Commons

    1871年3月、市民たちは「パリ・コミューン」を結成します。史上初めて、労働者によって作られた自治政府でした。

    亡命先から帰国していたクレマンはパリ・コミューンの議員に選ばれ、リーダーの一人として活躍します。

    そしてコミューンで出逢った女性兵士に「さくらんぼの実る頃」を捧げました。

    パリ・コミューンは、「汚職は死刑」と定めたり、すべての役職を直接選挙で選ぶなど、徹底した民主主義を目指しました。

    かつて革命を成し遂げたフランス市民たちによる自由、平等、そして抵抗と革命気質の象徴とも言われます。

    その一方で、思想の違いから内部で対立も発生しました。

    同年5月、パリ・コミューンにも終わりがやってきます。ドイツの支援を取り付けた臨時政府が武力弾圧に乗り出しました。

    最後は「血の一週間」と呼ばれる市街戦の末、パリ・コミューンはわずか72日間で崩壊しました。

    犠牲者は約2万5000人にのぼるとされ、この時のセーヌ川は血の色に染まったと伝わります。

    普仏戦争の敗北とパリ・コミューンの失敗。こうしてフランスは2つの悲劇に見舞われました。

    「さくらんぼの実る頃」は、犠牲となった人々を悼み、市民たちに古き良き時代を回顧させる…そんな曲として愛されるようになったのでしょう。

    ■宮崎監督が「さくらんぼの実る頃」を用いた理由は

    👄「バカ・・・・・・」 まで あと6⃣時間 #ジーナ #マダム #未亡人 #ポルコの旧友 #紅の豚 #ノーカット #kinro

    マダム・ジーナが歌う「さくらんぼの実る頃」は、エンディングテーマの「時には昔の話を」と相まって、ノスタルジックな香りを映画に与えています。

    宮崎監督はなぜこの曲を劇中に用いたのでしょうか。

    もしかしたら、『紅の豚』が企画された1991年当時の空気を知ることがヒントになるかもしれません。

    当時、世界は大きなうねりの中にありました。

    湾岸戦争、ソ連の共産党クーデタ、ユーゴスラビアでの民族紛争……冷戦終結後、激的に変化する世界情勢に、宮崎監督は大いに影響を受けました。

    加藤登紀子さんとの対談の中で、宮崎監督はこう語っています。

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    宮崎:湾岸戦争以来、世界が突然動き始めたときに、自分の生き方の根っこの部分が揺らいできたということがある。

    自分の今までのうしろめたさを根拠にした世界観とか歴史観、あるいは戦後の経済成長期に居合わせて、世の中少しずつ良くなっていくから人間性も良くなっていくんじゃないかとか、どこかで疑問符をつけながらも自分のいちばん根拠としてきた部分がぐらついた。

    ほんとうにぐらついたと言わざるを得ないんです。しばらくの間、政治的判断力がすごく鈍った。そうとは気取られないようにしてましたけど(笑)。

    加藤:『紅の豚』は、自分の内なる世界観や美意識を他人に押しつけもせず、伝えもせず、できるだけ気取られないようにしながら、だけど毅然と生きてきた男の映画だと、私は思っているんです。でもそういう男のイメージって歴史的にずーっとありますよね、ジャン・ギャバンから高倉健まで。

    宮崎:そのイメージというのは実を言うと、加藤さんの「時には昔の話を」とか「さくらんぼの実る頃」のフレーズが、大きなひっかかりになっているんです。

    だから1920年代になって、半世紀も前の歌を愛しながら、真っ赤な飛行艇に乗って飛び続ける「豚」に託された信条というのは、おそらくうまく伝われないだろうとわかっているんだけど、それはまあ、作る側のひそかな楽しみですから。

    文藝春秋社『ジブリの教科書12 千と千尋の神隠し』(文春ジブリ文庫)より

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    劇中で「ファシストになるより、豚のほうがマシさ」と語る主人公のポルコ。

    激動の時代にあっても、ぐらつくことのない魂を持つポルコに、宮崎監督は自身の姿を重ねようとしたのかもしれません。

    Contact Kei Yoshikawa at kei.yoshikawa@buzzfeed.com.

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