フランス・パリのノートルダム大聖堂で4月15日夜(日本時間16日未明)、大規模な火災が発生した。この火災で、大聖堂のシンボルである尖塔も火に包まれ、崩壊した。
現地から報告された映像では、建物上層部から火が上がっているように見える。
フランス内務省のTwitterによると、現地では400人の消防士が消火活動をあたっている。
一方でAFPは、フランス消防当局が火事を止められるか「わからない」と表明したと報道。甚大な被害が生じる可能性を示唆している。
火災発生を受けて、フランスのエマニュエル・マクロン大統領が現地入りした。
マクロン大統領はTwitterで「ノートルダム大聖堂が悲惨なことに」「我々の一部が燃えるのを見るのは悲しい」と投稿した。
AFPによると、マクロン大統領は「最悪の事態は避けられた」と発言。全壊は免れたという認識を示した。
ル・モンドによると、マクロン大統領は消火活動にあたった消防士たちへ敬意を表した。
その上で、「ノートルダム大聖堂はフランス人の歴史や文学そのもの。生活の中心だった。我々はノートルダム大聖堂を再建するだろう。それはフランス人が期待することで、我々の歴史にふさわしい。それが我々の運命だから」と述べた。資金を調達するため国際的なキャンペーンを実施するという。
現在のところ火災原因は不明だが、ノートルダム大聖堂では現在改修工事が実施されており、これが原因となった可能性があるという。ル・モンドによると、当局が火災原因に関する捜査を開始した。
ノートルダム大聖堂とは
ノートルダム大聖堂は14世紀に完成したフランスを代表するゴシック建築。パリ発祥の地、セーヌ川のシテ島にある。1991年にユネスコ世界文化遺産に指定された。
「ノートルダム」はフランス語で「我らの貴婦人」の意味で、聖母マリアを意味する。パリで最も美しい宗教建築物の一つとも評される。色鮮やかなローズウィンドウ(バラ窓)と呼ばれるステンドグラスなどで知られている。
1789年のフランス革命後の混乱で荒廃したが、1804年12月には皇帝ナポレオン1世の戴冠式の会場となった。
ナポレオン失脚後、復活したブルボン復古王政が倒された七月革命の翌年(1831年)にユーゴーが発表した『ノートルダム・ド・パリ』に登場するなど、再び脚光を浴び、近代になって修復が施された。
現在もパリ大司教座聖堂として、フランスのカトリック教会を代表する地位にある。
第二次世界大戦でパリはナチス・ドイツに占領されるが、ノートルダム大聖堂をはじめサント・シャペルなど歴史的建造物は戦火を免れた。
パリ市観光局によると、2017年には1200万人もの人がノートルダム大聖堂を訪れた。名実ともに、パリで最も人気のある観光名所の一つとなっている。