
「水曜どうでしょう」のディレクター陣がいなかったら、世界はどうなっていたのだろうかーー。
HTB(北海道テレビ放送)が、自局をモデルにした漫画「チャンネルはそのまま!」を連ドラで実写化した。開局50周年を迎えた同局は2018年9月、新社屋へ移転。それに伴い、旧社屋を丸ごとセットとして利用した。
「水どう」ディレクターの藤村忠寿さんは監督、嬉野雅道さんはプロデューサーとしてそれぞれ参加。番組開始23年目のいま、テレビ作りへの思いを聞いた。
大切にしたのは、テレビ局の「日常の動き」

――「チャンネルはそのまま!」の原作は佐々木倫子さんの漫画でした。「バカ枠」という、キャラで採用された記者を中心にローカルテレビ局の日常を描いた作品です。実写化する上ではどんな工夫を。
藤村:どこから話そうかなぁ…。まずね、漫画を実写化するって、自分の中では初めてのことだった。だから、佐々木さんの漫画を読んで、まず「これは何が面白いんだろう?」って考えたのね。
そうすると、主人公の雪丸花子が面白いんじゃなくて、彼女の周りにいる人たちが、雪丸にかき回される様子が面白いってことに気づいたんです。
豪雨で増水した川に猿が漂流していたりとか、脱走したイグアナを主人公が偶然つかまえちゃったり…と。現実的には荒唐無稽な事件も出てくる。
ただ、それをそのまま実写にしてしまうと「いやいや、ありえないでしょ?」みたいな感じになるでしょ。

この「チャンネルはそのまま!」という漫画は、テレビ局の「日常」を描いている。
その「日常」を、どうやって際立たせるか。佐々木さんは、あえて現実にはありえないような話を作品にぶち込んで、彼らの「日常の動き」を際立たせているように感じた。

ほら、普通は漫画を実写化しようとすると、全て原作に寄せようとするじゃない? キャラクターの身なりにしても、何にしてもさ。そこはあんまり考えなかった。
主人公を演じた芳根京子さんが一番悩んだと思うけど、雪丸花子っていうのを、どういう存在にしたらいいのかと問いがあって。
「真剣さの度合いって、人に伝えるのは難しい」

――主人公の「雪丸花子」が、どんな存在かという問いですか。
藤村:俺が思うに、雪丸花子は「バカ」だと思われているけど、自分なりに一生懸命やってるだけなんですよね。
そのやり方が、普通の人から見ると、ちょっと違うふうに見えるだけ。本人はいたって真面目だし、決してふざけているわけではない。
真剣さの度合いって、人に伝えるのは難しい。例えば、自分が話をしているとき目をジーッと見つめてきて、「はい。はい。はい」って真面目に返事をする人を見ると「こいつホントに聞いてんのかな?」みたいな雰囲気になるでしょう?
そんな風に、真面目にやっているけれど、周りが「こいつ真面目にやってるのか?」と反応するような存在を目指した感じ。

嬉野:漫画のキャラクターは作品の中で確立されている存在。実写化の難しさはここにある。すでに確立されたキャラクターに、役者が自然に乗っかれるかどうか。役者は生身の人間だから、無理があると、かえって不自然になって損をするから。
藤村:似てるから良いわけではない。芳根さんも、演じるシーンと同じ原作のコマを台本に貼っていたことがあった。でも、そこにはあまり引っ張られないほうがいいなって思って。
漫画って1コマですべてを表さなきゃいけない。怒るシーンではワーッと怒って、泣くシーンでは涙がちょちょぎれるみたいに。
でも、これを実際にやると明らかに無理がある。人間の顔って、瞬間的に変わらないし。下手にやるとコメディになっちゃう。
嬉野:藤村君は「漫画は点だ」「コマは点だ」って言うわけ。だから、実写の場合は点から点への自然な流れを持ってこないとおかしくなる。
「社員が出演してる」 他の追随を許さないリアルさ

――本物のHTB社屋を使っていることもあって、リアリティは群を抜いている。
藤村:大勢の人間が50年間働いていた社屋を使っているからね。あの社屋が放っているリアリティがある。
総監督の本広克行さんは「ドラマだけど、この社屋を“記録する”という意味も強いんだ」と言っていました。
開局50周年に、無くなってしまう自分たちの社屋を記録として残したい。単なる記録映画じゃなくて、HTBがモデルになった『チャンネルはそのまま!』ドラマをやることに意味があると。
テレビ局を舞台にしたドラマは今までもあった。だけど、今回のドラマはセットじゃなくて本物のテレビ局で撮った。レベルが違う気はする。社屋の引っ越しがあったから実現したわけで。もう二度とできないよね(笑)

――実際にHTBの社員も出演しているそうですね。
藤村:報道部のシーンでは報道部員が出ていますよ。彼らの動きって、見ていて違和感がない。しらじらしくないし、出す声も不自然じゃない。
営業部員も全員出ていて。編成局長の話を聞くときの態度とか、あのまんまよ。やっぱり営業部員がやると「聞いているようで、聞いていない」っていう、あの感じが出るんだよな(笑)

あんなのまじめに聞いてないもん。たとえば、局長が「売り上げが下がっている。ユルいことなんてやっちゃいけない!」みたいなセリフがあるわけよ。
そうなると社員は、真面目に聞かないよな。「ああいうこと言う奴、嫌だなよな」「でも、あいつ次期社長候補だから、怪訝な顔をすると査定に関わるしなぁ」って思いながら聞いている。
だけど、話終わった瞬間に「はーい。ありがとうございましたー」って部屋から出て行く。そのスピードはめちゃくちゃリアルですよ(笑)
嬉野:演出入れてたの?さすがだ。普通のドラマの現場じゃあり得ない(笑)
「俺は明らかに“バカ枠”だったと思う」

―――藤村さんがHTBに入社されたのは1990年。もともと、アルバイトをされていたそうで。
藤村:そうそう。学生のとき1年半ぐらいバイトでカメラの助手をしてたの。ベテランの横で機材担ぐ仕事を1年くらいやってたね。
バイトしてみたら、なんかゆるいし、のんびりやってる会社だなあって思って。「あ、ここは楽そうだな。ここでいいや」って。
――「ここでいいや」で、よく入れましたね…。
ちゃんと入社試験は受けたよ! まあ、僕は優秀だったからね(笑)
でも、俺は明らかに「バカ枠」だったと思う(笑)。当時はまだバブルだったから、新入社員を11人も採っていた。
嬉野:今みたいな「厳選して採る」っていう時代には、選に漏れる人材ですよ。見過ごして入っちゃった。
藤村:俺を含めて、バブルがなかったら絶対に入社できなかった奴はいる。俺もバイトしてなかったらテレビ局なんか入ってないと思うもん。
――HTBには、本当に「バカ枠」ってあるんですか…?
嬉野:いやいや。「バカ枠」ってこの人ぐらいしかいないもの。
いいか、世の中そんなにいっぱいバカがいると思うな(笑)。希少人材だぞ (笑)。
「バカ」と言ってもね、ちょっと世間の空気を読まないっていうか、自分が考えていることに集中しちゃう人だから。これを根絶やしにしちゃいけない。そういう人がいた方が、チームも活性化する。
でもね、だからといって「俺もバカ枠になろう」って思う人がいるかもしれないけど、それは違うんだよね。
「水曜どうでしょう」藤村・嬉野コンビは偶然の産物

――嬉野さんは、最初は東京で映像のお仕事をされていた。その後、1996年にHTBへ。
嬉野:俺は女房の尻に乗って、札幌に引っ越してきた。女房は俺に厳しくて、早く就職したいなあと思ったら、その時にちょうどHTBが朝番組を立ち上げるために人を募集していたんだよね。
でも、「中継とかの経験ない人は、ちょっと…」って言われて、制作部に入ることに。そしたら、この人がいたのよ。
制作部に入って1週間ぐらいだったかな。いきなり番組の企画書出したの。「所さんの目がテン!」みたいな科学番組だよ。それで科学者を10人ぐらいリストアップしてさ。
その時の制作部長が技術畑の真面目な人で。後になって、藤村君がチーフディレクターになった時に「嬉野君みたいな人がいれば、役に立つかもしれない」って。それで一緒に仕事をすることになったの。
でもね、HTBの歴史上、技術から来た人が制作部長になるなんてことはなかったの。ピンポイントでその人がいたときだった。
そう考えると藤村君の入社も、僕がHTBに入ったのも、制作部長が僕らを組んだのも全て偶然の連続。
どれひとつ欠けても「どうでしょう」はなかっただろうし、ここまでくることはなかったと思う。
「HTBを辞めようと思ったこともあった」

――お2人はHTBを辞めようと思ったことはなかったんですか?
嬉野:おぉ…。それは…あったよね。
藤村:あります、あります。
嬉野: 2009年〜2010年頃ですね。2人とも辞めようと思っていました。
――当時は局の方針で、お二人が所属していた制作部が解体されることになった。あの頃、藤村さんが書いた日記の言葉が印象的でした。

藤村:会社ってさ、組織を変えれば、なんかリフレッシュされる…みたいなイメージってあるじゃない?
やることない人に限って組織を変えようとするんだよね。ウチの会社も、そういうことばっかりやってたから。
制作部も「水曜どうでしょう」をはじめ、いろんな番組が生まれた。番組を続けることによって、そういう力って発揮できるんだけど、ちょっとでも芽が出ないと…となることがある。
いつまでも上の世代がいると、若い奴が育たないから、「こいつらをちょっと外して、若い奴にやらそうみたいな」こともある。まあ、その考えもわかる。
でも、それで一気に組織を変えようとしちゃったからさ。「じゃあ、今までやってきたことって何?」「これから芽が出るかもしれないことも、またスクラップ・アンド・ビルドで全部潰すのか?」「それっておかしくないですか?」って、言っていた時期があった。

嬉野:芽があるというか、「もうちょっと続ければ伸びそう」っていういい番組が一度にゼロにされちゃった憤りはありました。「じゃあ、何を目指したいんだ」っていうのがあった。
藤村:「ただただ、新しくしたい」っていうだけだったから「それはダメでしょ」言ってたのかなぁ。
嬉野:「組織を変革することで注目されたいのかな?」って思ったぐらいでしたよ。受験勉強に身の入らない学生が、やたら部屋の掃除をするみたいな(笑)。
藤村:勉強時間の予定表を書いてみたり「今日は歴史やめといて、じゃあ数学で…」なんて言ってるような感じだよね。
嬉野:「やるぞー!」とか、張り紙を書いたり。
藤村:それやる暇あったら勉強しろって思うもんね(笑)
「一つのことをずっとやっているほうがいい」

――結果を急いで、本末転倒になるというか…。いまの世の中は、スピードが速くなって、結果も速く出すように求められている時代なのでしょうか。
嬉野:でも、そんなに早く結果は出ないよね。俺らは23年、同じ仕事をしているから。一つのこと続けていると色々なものが見える。結果的にいろんなことを学ぶ気がする。
藤村:一つのことをやっていくと、ちょっと飽きたりするってことだけかな。
一つのことをやるのは楽だからね。別に厳しいことはない。新しいチャレンジとかする必要ねぇし。のんべんだらりとやってりゃ一つのことは続く。無理しなきゃいいだけ。
一つのことをやるって、実はみんなにとって一番いいこと。なのに、短期間での結果ばかりが求められるようになって。
結局、すぐに消費されるものしか生み出せていないのが、いまの社会なんだろうな。江戸時代から続いている店とか職人の技術とかさ、そう簡単に崩せないでしょ。
嬉野:抗えない時間の長さってある。

藤村:同じ製法で、ずっと作り続ける。それに敵わない部分は必ずある。一つのことをずっとやっているほうが、設備投資も少ないし、コストパフォーマンスもいいのにって、俺は思うんだけどね。
嬉野:「水曜どうでしょう」も作り手を変えないという、この頑なまでの姿勢よ。番組の人間関係も、スタッフが変わったって遜色ないだろって思うかもしれないけど、ちょっと違うんだよ。
ご家族でお父さんとお母さんが毎週変わってごらん。そんな家庭成り立たないでしょう。
藤村:子どもはつらいでしょ。これと同じことなんですよ。だから、同じように続けるっていうことがやっぱいい。
どうでしょう新作は「2019年内にやる」

――ちなみに、「どうでしょう」の新作はいつごろ放送に…。
嬉野:ああ…。新社屋にも移ったし。
藤村:まあ、今年はやるだろうね。放送しないとねぇ、さすがに…。
嬉野:「やるやる」って言ってから。2年越しですからね(笑)
藤村:今年はやるやる。ロケもしたから。終わってるから。あとは編集するだけなんで。ただ、ドラマをやってたからね。
――最近、お二人はYouTubeにも活動の場を広げました。 もしかして、テレビがつまらなくなったとか…?
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藤村:ないない! 大体、みんなそういう風に言うじゃない? そんなわけないでしょお?「テレビでできないから、こっちに行くんだ」とか…、俺そんなことを言った覚え一度もねぇ(笑)
嬉野:大体さ、いまもこうやって(会社に)しがみつきながらここにいる(笑)
藤村:そうそう(笑)。これを離したりはしない。ただ、楽しそうだなぁと思って。まぁ、今まで野球をやってたけど、ちょっとサッカーのほうもやってみようかな…くらいの感じだよね。
――ファンをいろいろな手で喜ばせようと…。
藤村:あぁ、それもない!それもない!喜ばせようっていうのは、基本ないから(笑)