アカデミー賞ノミネート作品の裏側 ーー 英語さえ話せなかった日本人の熱意
一人の絵描きが夢をつかむまで。
昨年、米アカデミー賞の短編アニメ賞にノミネートされた『ダム・キーパー』。
街を守るためにダムを動かしつづけるブタくんと、転校生のキツネくんとの出会いを描いた物語です。
監督したのは堤大介さん(写真左)とロバート・コンドウさん。
ピクサーで長い間アートディレクターを務めていた堤さんは『トイ・ストーリー3』や『モンスターズ・ユニバーシティ』などの大ヒット作品に携わってきました。
そんな堤さんが、同僚のロバートさんと長期休暇中に制作したのが今作『ダム・キーパー』。

休暇から戻った後も、週末や空いた時間に制作していたといいます。
やがて『ダム・キーパー』は数々の映画祭に招待されはじめ、
ロバートさんと共に、スタジオ「トンコハウス」を立ち上げます。
ピクサーを去った堤さんは、Facebookにこう綴っています。
「一度は全てが整った心地の良い環境から抜け、ピクサー創始者達がそうしてきたように、自分もゼロから何かをもがきながら、苦しみながら、作っていきたいと思い、決心しました。そんな未来が見えないでやると言う経験なしに、自分達の次なる成長はないと」
やがて『ダム・キーパー』は、米アカデミー賞短編アニメ賞にもノミネートされます。
惜しくも受賞は逃しましたが、たった数人ではじまった小さなスタジオにとって、十分すぎるほどのスタートとなりました。
物語は、ここでは終わりません。BuzzFeedは「トンコハウス」で働くもう一人の日本人、長砂賀洋さん(写真中央)に話を聞きました。

そこにはもう一つの物語がありました。
昔から堤さんの大ファンだったという長砂さん。もともとは日本のアニメ制作会社で働いていました。しかし、堤さんのような絵が描けるようになりたいという一心で渡米を決意します。
「もともと堤さんの大ファンだったので、何度かメールを送っていたんです。最初は返事がこなかったんですが......。『アメリカで絵の勉強をしたいからオススメの学校を教えてほしい』というメールを送ったら、はじめて本人からメールがもらえたんです」
「それから、1年間くらい仕事をつづけてお金をためた後、ちょっとしてからアメリカへと旅立ちました」
その情熱はどこからくるの? と聞いたところ、「すごいミーハーなんですよね。堤さんは僕にとってのグラビアアイドルみたいなものだから。いつか会いたい! という気持ちが強かったんです」と長砂さん。
そしてはじめての渡米は、少しずつ長砂さんの世界を広げてくれました。
「英語をまったく話せないまま渡米したので、最初にたどり着いたホテルでは、玄関の扉を開けることすらできなかったんです。それで、タクシーの運転手に手伝ってもらったり......」
「だから、まずは英語学校に通って、慣れてきたころからアトリエに通いはじめました。そこで特に絵を描くのが上手い同級生がいたんですけど、話しかけてみたらなんと、昔からウェブサイトをチェックしていたアーティストだったんです」
「アメリカってこういうことが起こるんだーって思った。今までそういう人は全然違う世界の人だと思ってたから」
しかし、そんな新鮮な日々も長くは続きません。
「半年くらい経ったころからだんだん毎日が同じようになってきて......そろそろ日本に帰ろうかな、と思うようになったんです」
そんなところに第二の転機が訪れました。
「僕が滞在していたサンフランシスコで堤さんの展覧会が開かれることになったんです。そこではじめて念願の堤さんとの対面を果たしました」
「声をかけるチャンスをうかがって、堤さんのメールを見てアメリカにやってきたことを直接伝えたんです。でも、堤さんはまったく覚えてなくて......ああそうですかって言われて終わりでした」
少し拍子抜けした長砂さんですが、数カ月後に堤さんがブログでアニメーターを募集しているのを見つけます。
「僕がやっていたのはアニメーターの仕事ではなかったのですが、『何かできることはありませんか?』と、とりあえずメールを送ってみました。そしたら、なんと『とりあえずピクサーに来て一緒に話しましょう』という返事がきたんです。うれしくて思わずガッツポーズしてしまいました」
堤さんに熱意を買われた長砂さんは『ダム・キーパー』の制作に加わることになります。

「でも、絵の技術がまったく足りていなかったので、堤さんから課題を出してもらって、絵のトレーニングを受けていました。能力が本当に低くて、ぜんぜん描けなかった。制作に入ってからも、ずっといろいろ教えてもらっていました。だから、ちゃんと役に立てたのは、多分、最後の3カ月くらいです」
「最初はピクサーの真ん前にある赤レンガのところにスタジオを借りて、窓もない狭い部屋でスタートしました。『ダム・キーパー』のプロジェクトがはじまった当初は、堤さんとロバート、それから僕だけ」
「二人とも自分にとってのスターだったから。同じ空間にいれるだけで幸せでしたね」

「朝から勉強会を開いたり、外に絵を描きに行ったり。チームみんなで『ダム・キーパー』を制作したことは大切な思い出です」と長砂さん。
「いまは次回作『ムーム』に取り組んでいます」


上の画像は長砂さんの手がけた「トンコハウス」による次回作『ムーム』のコンセプトアート。川村元気さん、益子悠紀さんによる絵本が原作の短編映画です。
「今回の仕事をやっていても、結局何も変わっていないような気がしていて......。絵が成長すればするほど、堤さんやロバートがどれだけすごいかがわかってくるんです。でも、なんとか食らいついていきたいですね」
他にも「トンコハウス」は『ダム・キーパー』の長編映画を準備中とのこと。
「3月には銀座のギャラリーで展覧会をするので是非来てください」
そんな長砂さんについて、堤さんはこう語ってくれました。

「いつも天然キャラで、周りから愛されている長砂は、トンコハウスの顔と言っても過言ではありません」
「出会った当初、正直、絵の実力ではとても採用できなかったのですが、『掘った芋イジクルナ』しか言えない語学力でアメリカに来ちゃう彼の行動力に心を打たれ、『ダム・キーパー』の制作の見習いから始めてもらいました」
「失敗を恐れず、どんどん上へ上へ自分を磨き続けた彼は、最後は『ダム・キーパー』のペインターチームのリーダー的存在にまでなってくれました。『努力して、実力をつけ、堤を蹴り落とすのが夢』と冗談ぶいていた、曇りメガネの裏の真剣な目のいびつな光に、僕はいつもインスピレーションを受けています」