イタリア人モデルが「スピリッツ」で漫画家デビューした話

    そのいきさつとは?

    「めちゃめちゃ忙しいけど、実はそんなに大変じゃない」

    そう目を輝かせながら話すのはイタリア出身の漫画家ペッペ。

    モデルをしながら、リアリティ番組『テラスハウス』にも出演し、10月からは『週刊ビッグコミックスピリッツ』で初めての連載『ミンゴ イタリア人がみんなモテると思うなよ』をスタートした。

    「なぜかというと、もう本当にさ、夢を叶えて、このチャンスが二度とやってこないっていう気持ちでやってるから。本当にやりたいことを全部やってるから。もうハッピーすぎて、うれしすぎて。もう本当に感謝の気持ちでできる! なんでも」

    「僕も描きたい!」

    はじめて漫画と出会ったのは16歳、高校3年生の夏だった。アニメはたくさん見ていたが、その原作に「漫画」というものがあるとは知らなかった。ある日、イタリアの本屋の片隅に置かれた漫画を見て、すぐに虜になった。

    「はじめて見たのは『NARUTO』『名探偵コナン』と『ケロロ(軍曹)』。その3つを見て、『おおこれおもしろい! これってもしかしてアニメと同じストーリーじゃない?』って思って」

    その後、早速インターネットで探して「漫画」の存在をはじめて知る。

    翌日には『NARUTO』を全巻買って、気がついたら一気読みしていた。そして、決意する。

    「僕もこれできるんじゃない? 僕も描きたい! 描こう!」

    「一回しか生きることができないから、やろう」

    その夏は、ひたすら好きな漫画の絵をコピーして練習した。インターネットで調べながら、その絵にストーリーを加え、漫画の体裁にすることも覚えた。それからは毎年新しい漫画を描き続けた。

    本格的に漫画家になろうと決意したのは高校5年生(イタリアの高校は5年制)のときだ。

    「『一回しか生きることができないから、やろう』と思った」

    そのまま日本に行くことも考えたが、「まずは語学を身につけよう」と大学で日本について学ぶことを決意する。

    南イタリアから北のベネチアの大学に進学し、日本語だけではなく、日本の文化や歴史・小説についても勉強した。漫画も描き続けた。

    そして、卒業と同時に日本行きの片道チケットを買う。

    「卒業は2014年の11月。で、はじめて日本に来たのは2015年の1月。卒業してから2ヶ月で日本にきた。もう待てなくて(笑)」

    ルパン三世のパーカーで「イッセイ ミヤケ」のオーディションへ

    日本に来た初日、ハチ公像を見に行った。そこでスカウトされ、モデルの道へ。ファッションへのこだわりが強いイタリアで育ったが、ペッペ自身は「そんなにファッションに興味はなかった」という。

    「(漫画ほど)そこまでダサい服じゃなかったけど、だいたい同じパーカーを着てた(笑)。ルパン三世のパーカー。それでオーディションも行ってたんだけど、もちろん仕事は決まらなかった(笑)。でも、全然気づいてなくて。『なんで、仕事決まらないの!?』って」

    「そしたら、マネージャーから『そのパーカーだよ。そのパーカーでイッセイ ミヤケのオーディション行けば落ちるに決まってるよ!』って言われて(笑)。『あ、そうなんだ?』って気づいて。その日から、プレーンの白Tシャツを着るようにして、仕事が決まるようになった」

    最初は興味のなかったファッションも、いまではすっかり大好きになった。

    「『ファッションってやっぱりおもしろいなあ。これもアートだなあ』って思う」

    いいことも悪いことも「いつか漫画で使える」

    突然入ったモデルの世界では、当然戸惑いもあった。それは、『ミンゴ』の第1話にも描かれている。

    「この話は実際に聞いた話。この仕事やってる人たちはみんなめっちゃ遊んでる。毎日クラブに行ったりとか、毎日違う女と遊んでる人たちに会った。そういう話を聞いてちょっとショックだった。でも、『やば、おもしろい。すごい。これ漫画で使おう』と思って。だから、これ、オープニングページにした」

    漫画家になりたいと決めたときから、いいことがあっても悪いことがあっても「これはいつか漫画で使える」と思って過ごしてきた。

    松本大洋に憧れて

    モデルをしながら漫画を描き続け、ある日、『週刊ビッグコミックスピリッツ』編集部に漫画を持ち込んだ。

    憧れの漫画家、松本大洋が連載していた雑誌だ。

    「松本大洋のすごいファンで。絵のタッチが、ちょっとおもしろいでしょ。普通の漫画じゃないよね。なんかちょっとヨーロッパっぽいスタイルで描いてる」

    山手線の中ではじめて『Sunny』を読んだときは、思わず泣いてしまったという。

    「『ここで泣いちゃダメ』って思いながら(笑)。(松本の作品は)シーンに入っちゃう。描き方だけで、私もそこに立ってるって感じられる。こんなにうまくなりたいって思った」

    そんな松本大洋のオリジナリティあふれる絵を認めたスピリッツなら、きっと自分も受け入れてくれると思った。

    「でも、はじめて持ち込んだときは全然ダメだった。ちゃんと読み切りとして描けなかったし。そこから、アドバイスをもらって描き直した。そして、また持ち込んで、描き直した」

    ペッペの担当編集者は、当時を振り返ってこう話す。

    「新人さんをいっぱい担当しているのですが、10人に1人がデビューできるかできないかくらいなんです。テーマ出しをして、直したネームを持ってくるのが半年後の人もいる。そんな中、一週間以内にちゃんとネームを直してくる人は努力できる才能があるから優秀と判断しています。(ペッペは)その才能があった」

    「たくさんの漫画家に出会いましたが、優秀な作家ほど(本人も)魅力的なんです。感情や人の痛みがわかると、それが漫画にも反映されます。ペッペはすごく人を見ていて本音を言えるので、そこになれる可能性があると思いました」

    そして、2017年に応募した「スピリッツ賞」で、はじめて賞をとった。

    「もらえたのは1万円だけだったけど、『なにかチャンスがあるかもしれない』と思ってすごい泣いた」

    「お母さん! できたよ!」

    はじめての賞から2年後、念願の漫画家としてデビューすることになる。

    当時住んでいた赤羽のアパートで、その知らせを聞いた。

    「ちょうど彼女と別れて、あんまりハッピーじゃなかったとき(笑)。2人で住んでたアパートの中に1人でいて、(デビューの知らせの)メールがきたら、すげえハッピーになった。真逆になった(笑)」

    「すぐにお母さんに電話した。『お母さん! できたよ!』って。そのあとは友達一人ずつに電話して。その後、ベッドに横になって『やばい!』ってすごい喜んでた」

    「オタクイタリア人もいるよ」

    漫画を通して伝えたいのは「みんながすぐに見た目だけで判断されないようになったらいい」ということ。

    実際、日本人女性から見た目だけで「絶対遊んでる」「絶対チャラい」と言われることが多かった。

    「『イタリア人といえばチャラいでしょ?』みたいなのが、ちょっとイヤ(笑)。イタリア人だって普通に友達になれるし、イタリア人だけじゃなくて外国人みんなが見た目で判断されなくなるといいね。あと、オタクイタリア人もいるよって伝えたい。僕も一応オタクだからね(笑)」

    夢は無限大!

    最後に、今後の抱負についてこう語ってくれた。

    「西炯子さん(漫画家)のアシスタントをしていたときに『もう夢叶えたから、次の夢は何にしようかな』と言ったことがある。そしたら、『漫画家になっただけで夢叶えたって言わない。連載続けるのが夢だろ!』って言われて(笑)。『たしかに』って思った」

    「だから、漫画家としてもっと立派な漫画家になりたい。あと、漫画だけじゃなくて映画も撮ってみたいし、俳優として演技もしてみたい。いつか、音楽もやってみたいな」


    インタビュー後、好きな日本語を画用紙に書いてもらった。

    「え、難しいな……」と悩むこと1分。

    「カタコト」という4文字を大きく書いてくれた。

    「カタコトしゃべらないようにがんばってるけど、(モデルとしての)撮影のときにカタコトでしゃべってほしいって言われる。カタコトしゃべらないとおもしろくないんじゃない? だから、私にとって『カタコト』はすごい大事な言葉。まだ(本当のところは)わかんないけどね、カタコトしゃべった方がいいか、しゃべんない方がいいか」


    <ペッペ>

    1992年生まれ。イタリア出身。モデルとして活動しながら『週刊ビッグコミックスピリッツ』で『ミンゴ イタリア人がみんなモテると思うなよ』を連載中。12月12日には初の単行本も発売予定。リアリティ番組『テラスハウス TOKYO 2019―2020』(フジテレビ系列)にも出演中。