AIは死の定義を変えるか レーシングゲームで亡き父と戦う時代

    稲見昌彦教授は語る

    4月29日・30日に開催されたニコニコ超会議 2016で、「超AI緊急対策会議」というセッションが開かれた。

    そこで取り上げられた話題の1つが、「AI(人工知能)と死の関係」だ。

    AIにとって死とは何を意味するのだろうか。また、テクノロジーによって死の意味はどのように変わっていくのだろうか。セッションの後、登壇者である東京大学大学院の稲見昌彦教授に聞いた。



    Keijiro Abe / BuzzFeed

    AIの死は2つある

    −−AIにとって、死とはどのような状態なのでしょうか。

    この問いに対する答えは、大きくわけて2つあると思います。まず1つめが、AIとしての自己同一性がなくなること。人から見て人格が変わってしまうこと自体、死んだのと同じことなのではないでしょうか。

    最初は記録(記憶)が消えてしまうことが死だと考えていました。しかし、いまはクラウド上に保存できるので記録がなくなる心配は減りました。そうなると、個性としての連続が続くかどうかが大切になってきます。個性が非連続的に変化してしまったとき、それは死を意味するのでしょう。

    2つめは、AIの記憶がみんなの中から消えてしまうこと。ドラえもんを想像してみてください。ドラえもんとの想い出の記憶がみんなの中から消えてしまったら、それもまた死になるのではないでしょうか。

    ドラえもんとやりとりしていると、自分の中にドラえもんとやり取りするための自分がいます。おそらくドラえもんの中にも、あなたとやり取りするための部分があるでしょう。

    小説家の平野啓一郎さんはこれを「分人」と呼んでいます。その分人が消えてしまうと、それは死を意味します。死の痛みは、他者の中にある自分の一部が死んでるから感じるのかもしれません。

    一方で、三人称としての死はなくなるかもしれません。

    変化していく死の概念

    −−「三人称としての死」とは、どういうことですか。

    一人称としての自分は、たぶん、生物としての寿命がきたら死んじゃう。でも、誰かから見たときに、私とほぼ同じように受け答えするようなAIなら残せるかもしれません。

    そうなると、他者の中での僕は生き続けているという言い方もできます。だから、一人称の死は今後も避けようがないのですが、三人称としての死は実はなくなる可能性があるんです。

    FacebookやTwitterを考えてみてください。死後もFacebookやTwitterが運用されつづけていたらどうでしょうか。質問に対する返事も、「いいね」も、昔話も、全部その人っぽい感じでしてくれる。そうなると、「あ、おばあちゃん生きてるじゃん」みたいになりますよね。

    未来の「終活」は、自分のコピーとしてのAIに徐々に入れ替わっていく過程になるのかもしれません。だから、生まれてからウェアラブル機器やさまざまな情報デバイスに囲まれ、すべてのログが残るような時代には、三人称としての死は今後はなくなっていくのではないでしょうか。

    AIというと、どうしても独立したものだと思いがちなんですけど、誰かのコピーをつくる技術だと考えてもおもしろいんです。

    −−自分のコピーが死後も残るなんて、少し嫌な感じがしますが……。

    そのときに私は安心して死ねるのか。それとも、AIに嫉妬を覚えながら死んでいくのか。それは、そのときになってみないとわかりません。

    でも、いまの死の概念っていうのは、西洋から近代に輸入されたという言い方もできるんです。輪廻転生を信じて、自分の命よりも家の継続の方が大切だった時代もあるわけですからね。

    伊勢神宮を考えてみてください。伊勢神宮って、20年に1回建て替わっていますよね。建物そのものは全然歴史的ではないけれど、伊勢神宮というシステムは1000年以上続いている。だから、機能としては、すでに永遠の命を得てしまっているんです。

    人間も、伊勢神宮型になっていくのかもしれません。

    shinji_w / Creative Commons / flic.kr


    レーシングゲームで死んだお父さんと戦った子ども

    −−死後に自分のコピーが残るような事例はすでにあるのでしょうか。

    近いことは起きはじめています。レーシングゲームで死んだお父さんと戦ったという話があります。

    vimeo.com

    こちらは、その実話をもとにしたムービー。

    Xboxのレーシングゲームで、トップの成績になると、そのゴーストと競争できるモードがあるらしいんです。

    John Wikstrom / Via vimeo.com

    たしか、6歳くらいのときにお父さんが亡くなった子の話です。10年後にXboxでプレイしてみたら、お父さんのプレイデータが残っていたんです。

    小さい頃によくお父さんと遊んだゲームで、当時は全然お父さんにはかなわなかったらしいのですが。

    お父さんのデータがゴーストとしてあらわれて、彼はしばらく夢中で競っていました。それで、しばらく遊んでいたらお父さんのゴーストを追い抜くことができたんです。でも、彼はゴールの前で止まった。勝ってしまうとお父さんのデータが消えてしまうから。

    これはAIとは言えないんですが、情報世界を通して亡くなった人と触れ合うことは、すでに起きはじめているんですよね。これって新しい記憶というか、遺産というか。死後、ものは残るけど情報は消えると思いきや、情報も残せるようになってきている。

    遠くない将来、小学校の課題で「あなたのおじいちゃんおばあちゃんは、同じ年のときに、どんな書き込みをしていたでしょうか。それを見て、気持ちを探ってみましょう」みたいな話も出てくるんじゃないでしょうか。