「マイルドヤンキーはれっきとした不良」 ヤンキー界の重鎮・岩橋健一郎氏

    「ヤンキー」はどこにいった?


    “ヤンキーのバイブル雑誌”と呼ばれる『チャンプロード』が、11月26日発売号をもって休刊する。

    1987年9月の創刊号から29年間、チャンプロードに連載している、青少年不良文化評論家の岩橋健一郎氏(49)が、BuzzFeed Newsの取材に対して同誌の休刊を明言した。

    29年の歴史に幕、なぜ?

    チャンプロードは、なぜ休刊することになったのか。

    スマートフォンやタブレットの普及などにより、逆境に立たされている紙媒体。岩橋氏は、紙からネットへの移行が遅れたことを、一番の原因に挙げる。

    「若い人たちの多くは、紙なんかどうでもいいと思っている。スマートフォンとタブレットがあるんだから」

    一方で、コンテンツの甘さについても厳しく指摘する。

    チャンプロードは2012年3月号で、誌面をリニューアルした。この時、編集方針が大きく変わった。

    以前の編集方針では、中学生と高校生をターゲットに定め、軸をぶらさずにコンテンツを作っていた。

    しかし、新たな方針により、「年齢層を広げて反響のよかった企画を押し出し、広告主を持ち上げるようになった」。

    具体的には、旧車會(暴走族OBが中心となり結成する、交通法規を守って集団走行する組織)の企画が増加。次第に、チャンプロードから中学生や高校生が離れていった。

    「追っかけてしまっているんだよね、読者を。(チャンプロードの購読を)卒業する人を恐れちゃいけない。その分、新しい人が入ってくるんだから。方針が変わるまでは、そうやって雑誌を作っていた」

    岩橋氏は、チャンプロードが「廃刊」でなく「休刊」になることを強調する。

    「今後、まだどうなるかわからないが、一旦お休みして体制を立て直しながら、『年一』『臨時号』といった形で雑誌を出せればと思う」

    読者である「ヤンキー」はどこにいった?

    「誤解してもらいたくないのが、ヤンキーがいなくなったわけではないこと」

    チャンプロード休刊の原因を尋ねたBuzzFeed Newsに対し、岩橋氏はこう答えた。

    いまメディアに露出しているヤンキーといえば、“マイルドヤンキー”と呼ばれる人々だ。

    マイルドヤンキーは、時代が時代ならヤンキーになっていたと考えられる若者を指す。

    具体的には、(1)悪そうなイメージのファッションを好む、(2)地元志向が強い、(3)ミニバンが好き、(4)車の外装よりも内装を改造したがる、(5)ショッピングモールに集まる、(6)タバコや酒、ギャンブルが好き——といった特徴がある。

    岩橋氏は、このマイルドヤンキーという呼び名に対し、「そういう呼び方をしてはいけない」と真っ向から反論する。

    なぜか。岩橋氏は語気を強め、熱くこう語った。

    「チャンプロードで取材をした少年たちに、『岩橋さんはすごい。暴走族が1000台も走っていたんですよね』と言われる。でも、とんでもない。俺から言わせてみれば、今のヤンキーの方がすごい」

    「今のヤンキーは、法律が整備されて、インターネットやSNSが普及した環境の中にいる。都市部に近いヤンキーは、昭和の文化を背負っている地方の典型的なヤンキーに対して、都市型ヤンキーとして街に溶け込んでいる。暴力団員が見た目で判断できないのと同じだ」

    「俺の時代は、法律も緩かった。表で人を引っ叩いても捕まらないし、何をやっても許された。その時代に群れをなすことは、誰にでもできた。その点で言えば、俺たちの方がマイルドだった」

    チャンプロード休刊の遠因?

    休刊の直接的な原因は、「ネット移行の遅れ」「読者離れ」だと岩橋氏は言う。

    この背景には、2011年に共同通信が報じた、チャンプロードの出版元である笠倉出版社の「大リーグ放映権での詐欺被害」が関係しているかもしれない。

    共同通信によれば、ある会社員2人が、2004年7月から2006年11月頃にかけて、笠倉出版社から16億円以上をだまし取った疑いがあり、警視庁捜査2課が2011年8月3日、会社員2人を詐欺の疑いで逮捕していた。

    岩橋氏はコメントを控えたが、他の出版関係者によれば、この時の損失が、2012年のチャンプロード編集体制の変更に影響したという。

    当時、リニューアルにともない編集長が変わり、それまで社内にあった編集機能が、外部の編集プロダクションに移された。

    そうしてチャンプロードの編集方針も変わり、岩橋氏の言うように、既存の読者だった中学生と高校生が離れてしまったのだ。

    いろいろあった、29年間。岩橋氏はこう振り返った。

    「昭和の歴史をよく29年間も引っ張ってこれたなというのが、本音です。休刊を悲しむというより、このジャンルの月刊誌が29年間も続いたことがすごいと思う。内容はともかくとして、そこを評価していただければ嬉しい」