
「これは棒の手紙と言って知らない人から私の所に来た死神です。あなたのところで止めると必ず棒が訪れます」
1997〜1998年頃に出回った、不幸の手紙ならぬ“棒の手紙”の冒頭です。
不幸の手紙とは、ある期限内に、複数人に同一文面の手紙を送らないと「不幸になる」と脅すいたずら。
同様のものに“幸福の手紙”があり、いずれも1960〜1970年代に流行したとされ、その後も携帯電話が普及するまで断続していました。後の“チェーンメール”と言えます。
その“亜種”として生まれたのが「棒の手紙」。棒が来るわけないし、さすがに騙されないだろ……と思いますが、実際に出回っていたことは当時の新聞が伝えています。
1997年11月12日の読売新聞(東京朝刊)
「不幸の手紙」ならぬ「棒の手紙」が出回っている。音楽雑誌の編集部が、「不幸の手紙」に困った読者から回収しているうちにわかった。
1998年5月16日の朝日新聞(東京夕刊)
「春先に母親が脳出血で倒れました。生死の間をさまよっているときに、突然『棒の手紙』なるものが舞い込みまして……」。こんな怒りの手紙が読者から届いた。
「不幸の手紙の処分をします」。読者に向けたこんなメッセージを、ある月刊誌の中に見つけた。音楽専科社(東京)の「アリーナ37゜C」という、若者向けの音楽誌である。
渡辺孝二編集長によると、「不幸の手紙が来て困っている」という読者の投稿をきっかけに、二年前から処分を引き受けるようになった。これまでに約三百六十通が送られてきた。
なぜ、棒なのか。
2つの記事にある音楽雑誌「ARENA37℃」(2013年9月号をもって休刊)の説明によれば、棒の手紙が生まれたのは「誤字」が原因だそう。
当時、編集部から分析を依頼されたSF作家の山本弘氏は、その結果をウェブサイトで公開しています。とても詳しい分析です。
その中で山本氏は、棒の手紙の出現背景についてこう説明します。
途中で字の汚い奴がいたらしく、「不」と「幸」がくっついて「棒」になってしまった。しかも「文章を変えずに」という指示があるため、誤字であることが明らかなのに、次々と「棒」が書き写されていった。その数がしだいに増えて「不幸の手紙」を陵駕、ついには「棒の手紙」ばかりになってしまったのだ。
山本氏の分析によれば、棒の手紙は1年以上も存続していたそう。消滅した一因に「誤字の増殖」を挙げています。
「不幸」が「棒」になったほかに、たとえば「手書き、コピーでも可」が「予書、ヒピーも可」、「よくない日が続きます」が「よくない白が続きます」となっていたケースがありました。
手書きで送られるうちに誤字が増え、意味が通じなくなった。棒の手紙はこうして廃れたようです。
ちなみに前出の朝日新聞記事には、こんな記述がありました。
ちなみに、「棒の手紙」を無視した横浜市の読者の母親は、幸いなことにその後ゆっくり回復し、現在リハビリに励んでいる。